コンサルタントだった頃教わったことは数多くあった。

が、結局のところ、些末なことを除いていくと、全ては一つに集約される。

すなわち、

「どうすれば、仕事で成果を出せるか」

である。

 

もちろん成果の定義は局面ごとに異なる。

売上目標の達成、人材の育成、メディアへの露出、顧客リストの獲得、労働時間の短縮、生産ラインの効率化、コストダウン、あるいはリストラ……

あらゆる局面において「クライアントにとっては成果がすべて、成果が出せなければゴミ」ときつく諭されていた。

 

ときに、上司に尋ね回り、セミナーに出席し、様々な本を読み漁った。

「気合と根性」が大事、という人がいた。

「あいさつすれば、全てはうまくいく」というセミナーがあった。

「人の話を聞け」という本があった。

 

しかし、私には全くピンとこなかった。

気合いと根性は、コスパが悪く、再現性が低く、継続性に難があり、とても現場では使えない。

あいさつは大事だが、それだけで成果が出るほど仕事は甘くない。

人の話を聞くことが仕事の成功につながるときもあるが、それだけで成果が出るわけではない。

 

要は、数々の「成功法則」は、キャッチコピー以上のものではなかったのである。

当時の私に必要だったのは、テクニックではなく、どんな仕事にも使える、普遍的な「成果を出す方法論」だった。

 

 

転機は、ピーター・ドラッカーの「経営者の条件」という古典を手にとった時に訪れた。

その出会いは、衝撃というほかない。

私が知りたかったことがすべて、そこにあった。

そこには、こう書かれていた。

もし成果をあげる能力が修得できるものであるならば、問題は次のようなものとなる。

すなわち、その能力は何から成り立つか、具体的に何を修得すべきか、修得の方法はいかなるものか、それは知識か、体系的に修得できるものか、あるいは徒弟的に修得すべきものか。基本の繰り返しによってのみ修得できるものか。

ここには私が知りたかったことが書いてある。そう確信した。

 

そして、次に書かれていたのは恐ろしくシンプルなことだった。

私は、成果をあげる人のタイプなどというものは存在しないことにかなり前に気づいた。

私が知っている成果をあげる人は、気質と能力、行動と方法、性格と知識と関心などあらゆることにおいて千差万別だった。

共通点はなすべきことをなす能力だけだった。

よく「リーダーの◯種類のタイプ」のような書籍があるが、この主張はそれらを否定していた。

著者は、その本質を「なすべきことをなす能力」と言っている。

 

なすべきこと……?

どういうことだろうか。

成果をあげる人に共通するものは、つまるところ成果をあげる能力だけである。

企業や政府機関で働いていようと、病院の事務長や大学の学部長であろうとまったく同じである。いかに聡明、勤勉、創造的、博識であろうと、成果をあげる能力に欠けるならば成果をあげることはできない。

言い換えるならば、成果をあげることは一つの習慣である。

成果をあげることは、頭の良さでもなく、勤勉さでもなく、クリエイティビティでもなく、知識でもない。

「習慣的能力」である。

いくら頭が良くても、知識が豊富でも、成果をあげる能力がなくては、宝の持ち腐れ、というのだ。

 

では、その能力とは何か。詳しい説明はぜひ、同書を読んでいただきたい。

が、簡略化すると、それは次の5つである。

 

1)時間を管理すること

2)「仕事をすること」ではなく「成果を出すこと」を重視すること

3)自分、上司、同僚、部下たちの、得意なことから始めること

4)優先順位を厳しく守ること

5)多様な意見をもとに意思決定すること

 

私はいたく感動した。

これほどまでにシンプルで、かつ本質をついた方法論は、私は出会ったことがなかった。

私はその日のうちに、仕事の方法を改めた。

 

大事なことは、スケジュールに先に入れるようになった。

気をつけなくても、些事よりも優先的に実行できるように、自動化したかったからだ。

 

「仕事をこなすこと」が重要にならないように、タスクリストには「期待される成果」も合わせて書いた。

例えば「床を雑巾がけをする」という書き方ではなく、「床をきれいにする」という書き方にした。

レンガを積んでいるのではなく、教会を建てていると認識したほうが、仕事の質が上がるのだ。

 

人の良いところを探し、自分の苦手なことは極力やらないようにした。

こうすると、良いことが2つある。

1.仕事がスタックしなくなった。

2.強みに基づいて人を見るので、多くの人を尊敬できるようになった。

欠かさずあいさつもするようにした。愛想が良い人には皆、協力してくれるのだ。

 

「やりやすい仕事」ではなく「やるべきこと」から始めるようにした。

仕事のやりやすさで、勝手に仕事の優先度を変えないようにした。

仕事の順番は、純粋に重要度にしたがわなくてはならない。

 

どんな人の話でも、良く聞くようにした。

人の能力に関心をもち、人の話を傾聴し、それをメモするようになった。

 

 

もっと言えば、「何が何でも、成果をあげようと思うこと」とは、結局、自分のプライドとの戦いだ。

 

なんの成果も出せない時には、仕事が憂鬱になることもしばしばあり、人は後ろ向きになる。

私はそんな時、自分のプライドを維持するために、

「マネジャーが自由にやらせてくれないから」と言い訳した。

「お客さんが宿題をやらないから」と責任転嫁した。

「評価が不公平だから」と会社の評価制度の不満を述べた。

 

でも、それは間違っているばかりか、損をするだけである。

プロフェッショナルの態度ではない。

 

例えば、以下に3人の対照的な学生の話がある。

「成果を追い求めること」がどのようなことなのか、ここにははっきりと書かれている。

ここに、知識も能力もほぼ同等の三人の大学生がいて、三人ともビジネス・スクールを出て、企業のエグゼクティブになりたいと志望していると仮定しよう。

 

第一の大学生キャルは、平均Bの成績をとれるだろうと目算を立てていた。というのは、それまでずっとそうしてこられたからだ。彼は講義に皆出席し、宿題をサボることもなく、やるべきことは何でもちゃんとやった。

ところがある年、期末試験の前に流感にかかり、平均点がCプラスに落ちてしまった。

だが、それはぼくのせいじゃない、と彼は言う。なあに、来年Aをとれば、均らしてBにすることができるさ、と。

しかし、またなにか別の故障が起こる。ある問題の解釈を間違えて、Cの評点をもらってしまう。そのほかにも、彼のまじめな意図の裏をかくようなことがあれこれと起こる。

結局、彼は平均Bマイナスの成績で卒業し、Bマイナス級のビジネス・スクールに入れたら幸運としなくてはならなくなるだろう。

 

二人目のエグゼクティブ志望者アルは、一二のトップクラスのビジネス・スクールの中のどれかに入りたいと思い、それには平均Aか、きわめてそれに近い成績をとらなくてはならない。

なにかの学科で初めてBをとってしまうと、彼は夜の勉強時間をそれまでの一~二時間から三~四時間に延長する。しかし、第二、第三学年でも、ほかの科目は全部Aだが、ひとつの科目だけはBから這い上がることができない。

そして口惜しくは思うが、それについてそれ以上何をやったらいいのかわからない。

それで、毎年三つか四つのAにBが一つなら、まあまあじゃないかと自分を慰める。最終学年の成績はAが二つ、Bが一つ、そして思いもかけなかったCが一つあった。

彼は一二のビジネス・スクールへ入学願書を出し、ただ幸運を祈った。

彼がトップクラスのビジネス・スクールの中のどれかに入れるかどうかは、もはや自分の力だけではどうにもならない。ほかの志願者の成績との優劣関係にかかっていた。

 

三人目の学生は、自分が入りたいのはスタンフォードかハーヴァードかのビジネス・スクールで、それ以外は願い下げだと心に決め、それにはオールAの成績をとることが必須条件だった。

彼はハルという名前だった──なぜか私の耳に快く響く名前だが──と仮定しよう。

ハルは何がなんでもオールAをとらなくてはならないと思い定めていた。

いつでも自信をもって試験にのぞめるように、毎夜三~五時間勉強した。

しかし、オールAの成績を保って迎えた最終学年に、彼はひとつの科目──高等会計学──で初めてつまずいた。第一学期にはBをとるのがようやくだった。

そこでいっそう勉強にはげんだ。しかし、学年の中ごろになっても、その科目では依然としてBマイナスのあたりでもがいていた。

──どうしたらいいのだろう?彼はその学科に関して、読むように決められた以外の本も読んでみた。それでもやはりその学科をマスターできなかった。

助けてもらえないかと教授に頼むと、同情はするが時間がないと断られた。

──どうすればいいのか?友人のキャルとアルは、彼の悩みに取り合おうとしなかった。

──四年間にBが一つだなんて、悩むほうがどうかしているよ。しかし、ハルの決心は動かなかった。どうしても高等会計学にAをとるんだ!

彼はプライドを捻じ伏せて、家庭教師をしてくれる大学院生を見つける。そして深夜まで勉強する。物事をとことんまで考えつめる習慣をつけ、はげみにはげむ。

そしてもちろんAの成績をとり、望みのビジネス・スクールに入る。(中略)

 

やがてビジネスの世界に入ったキャルとアルとハルは、それぞれのタイプの先輩たちがすでに歩んだコースをたどるだろう。

キャルは大した業績を挙げずにのんびりやっていき、アルは想像力に乏しいが良心的にこつこつ働き、そしてハルはITTのような会社で高みをきわめるだろう。

成果をあげることは「知っている」と「できる」が乖離している。

知っていても、実践できなければ意味がないし、能力を身に着けたければ、プライドをかなぐり捨てて、自分でやってみるしかない。

 

最後に、ドラッカーはこう言っている。

成果をあげる道は、尊敬すべき上司、成功している上司を真似することではない。

たとえ私の本であっても、それに載っているプログラムに従うことではない。

肝心なのは、試行錯誤しながら、自分のなりの「成果のあげ方」を見つけることなのだろう。

 

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