うちの長男は小学校高学年です。
中学受験、どうしようかねえ、なんて言いつつも、塾に行ったり模試を受けたりしています。
僕自身は中学校は地元の公立に何も考えずに入りましたし、親からも中学受験をすすめられたことはありませんでした。
田舎だったし、いまから30年以上も前の話ではありますし。
いまから考えると、昭和の小学生は、けっこう自由だったなあ。
受験を意識しはじめると、それはそれで悩ましいところもあるのです。
「目標」は高いほうが良いのだろうけれど、あまりにレベルが高い学校を志望校にしているのを目の当たりにすると、「それはちょっと一筋縄ではいかないんじゃないの……」となるべく婉曲に伝えたくなるのですが、それはそれでやる気を失わせるかもしれないし、過信して受験し、落ちたら傷つくかもしれないし……
「いい大学に受かることが、人生を幸せなものにするとはかぎらない」という実例はたくさんありますが、その一方で、全体の「傾向」としては、高偏差値で有名な大学のほうが、人生において、やりたいことがやりやすくなるのではないか、と、中途半端な学歴の僕としては悩んでしまうのです。
がんばって勉強しても、いわゆる「良い大学」に入れるとはかぎらないけれど、合格できる可能性が上がるはず。
子どもにとって、どうするのがいちばん良いのだろうか?
そんなことを延々と考えているときに、一冊の本を読みました。
『誰もが嘘をついている ビッグデータ分析が暴く人間のヤバい本性』(セス・スティーヴンズ=ダヴィドウィッツ (著), 酒井 泰介 (翻訳)/光文社)という本のなかに、こんな話が出てくるのです。
著者はグーグルの元データサイエンティストなのですが、われわれが日々検索していることが、すでに、こんなにビッグデータとして活かされているということに驚かされます。
調べているつもりで、実際は「調べられている」。
もちろん、個人情報が出ない形でまとめられており、著者も「グーグルはあらゆる特定人物の検索歴も提供していない」と言及していますが。
大学を考えてみよう。ハーバードのような世界最高の大学に進むことと、ペンシルバニア州立大学のような手堅い一流校に進むことの差は重要なのだろうか?
出身校のランキングと将来の収入には、またもや明確な相関関係がある。職業生活に入った10年後、ハーバード大学の平均年収は12万3000ドル、ペンシルベニア州立大学では8万7800ドルである。
だがこの相関関係は、因果関係を意味しているわけではない。
ステイシー・デールとアラン・B・クルーガーのエコノミストコンビは、一流大学の卒業生の将来の収入の因果関係を調べる妙手を考案した。使ったのは、高校生のその後について記載した膨大なデータセットだ。そこにはどこの大学に出願し、どこに合格し、どこに進学したかや、出身家庭、成人後の収入などのデータが含まれていた。
標本を実験群と統制群に分けるため、彼らは同等の家庭の出身者で、同じ大学に合格しながら、別の大学に進学した学生たちに注目した。
ハーバードに合格しながらペンシルベニア大学に進学した学生たちもいるのである。恋人の近くにいたかったのかもしれないし、習いたい教授がいたからかもしれない。
こうした学生たちは、大学の合否裁定委員会に言わせればハーバードへの進学者と同等の才能を持ちながら、彼らとは別の教育体験をした学生たちである。
ではこの2つの集団――いずれもハーバードに合格したが片やペンシルベニア州立大学を選んだ――のその後はどうなったか?
結論はスタイベサント高校の研究に負けず劣らず衝撃的だった。両集団とも、職業生活を通じておおむね同じ収入を得ていたのだ。将来の収入を基準とするなら、同様な一流大学に合格しながら別の学校に入学した学生たちは、結局同じ職場に行きついていたのである。
もちろん、収入だけが問題ではなくて、医学や法学、あるいは芸術というようなジャンルであれば、その大学・学部に受かるかどうか、というので決まってしまう面もあるのですけど。
高校からの推薦入試や特殊な一芸入試を除いては、受験というのは、基本的に一発勝負であり、ずば抜けた実力を持っている人以外は、運の要素が少なからずあると思います。
にもかかわらず、どこの大学に受かるのかで、人生はかなり決まってしまう……と僕は思い込んでいたのです。
ところが、少なくともこのアメリカの統計においては、同じくらいの学力の人であれば、超一流大学に入学しても、地元のランクの少し落ちる大学に入学しても、全体としては、その後の人生はそんなに変わらない、ということなのです。
僕はこれを読んで、少し勇気づけられました。
この結果から読み取れるのは、勉強をして学力・知力を磨くことは、その後の人生において、努力に応じたプラスをもたらす、ということなので。
大学には合格・不合格があっても、それはあくまでも「通過点」でしかない。
この本では、アメリカの公立校ランキング首位のスタイベサント高校についてのこんな調査結果も紹介されています。
では、スタイベサント高校の回帰不連続分析の結果はどうだったか?
この研究を担ったのはMITとデューク大学の研究者ら――アティラ・アブドゥルカディログル、ジョシュア・アングリスト、パラグ・パサック――である。
彼らは合否線ぎりぎりの学生たちのその後を調べた。
イルマズのようにあと1問か2問で合格を逃した学生たちと、合否線を1、2問で上回って首尾よく合格した人々のその後を大規模に比較したのである。成功の基準はAP成績、SAT得点、そしてやがて進学した大学のランキングとした。
その結果の衝撃は、彼らの論文の題名――『エリート幻想』――が雄弁に物語っている。
スタイ高入りした影響? まったくのゼロた。合否線のわずかな上下に位置した人々は、同等のAP成績やSAT得点を上げて同等の大学に進学していた。
スタイ校出身者が他の高校の出身者よりも栄達する理由はただ一つ、もともと優秀な人間を採っているから、というのが研究の結論だった。
同校の生徒がAPやSATの成績が良いにしても、果てはより良い大学に進学しても、それはスタイ校での教育を原因とする結果ではない。
「激烈な入試は、生徒層全般の高い学習効果の説明にはならない」と論文は記している。
高校入試の段階でも、成績が同じくらいであれば、どこの高校に入学するかというのは、大きな問題ではない、ということみたいなんですよ、意外なことに。
もちろん、明らかに教育レベルが劣るような学校に行けば話は別かもしれませんが、少し偏差値ランキングが下がるくらいであれば(現実的には、スタイ校に受からなかった学生たちは、そのすぐ下の偏差値の学校に行くはずです)、3年後に有意差は出ないのです。
考えてみれば当たり前のことなのですが、長い目でみれば、「学校の名前にこだわること」よりも、「自身の実力を磨くこと」のほうが大事なんですよね。
地道な努力は、案外、報われるようになっている。
逆に言えば、運よく実力より上の学校に合格しても、それだけで人生がうまくいくわけではない、ということみたいです。
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【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
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