3月といえば、卒業や異動・転勤の月ですね。

僕もこれまでの人生で、かれこれ10か所近くの病院で働いてきました。

 

最近は、3月31日まできっちり働いて、翌日には次の職場、ということは少なくなってきましたが、以前は、3月の最終日も定時まで働いて、翌日は朝いちばんで次の職場で仕事、ということも多かったのです。

外科の医師は、3月31日の夜に緊急手術、というのも何度かみてきました。

内科の場合も、出勤最終日の時間ギリギリに、ずっと診ていた患者さんが紹介されてきて……ということは少なくありません。

 

医局に属していれば、1〜2年での転勤が日常茶飯事の医療業界でも、やはり、転勤前というのは慌ただしくなります。

入院中および外来の患者さん全員に、簡単な経過と治療方針のサマリーを書くなどの、引き継ぎをしなければならないし、いろんな部署からの送別会が続きます。

何年間かでも、苦楽を共にした職場であれば、寂しい気持ちにもなります。

 

ある病院に勤務していたとき、同じ科に、少し年上の「すごく良い先生(以下、先輩)」がいたのです。

先輩は人から頼まれたことをほとんど断らず、自分の専門外の患者、あるいは、「救急外来に運ばれてきたけれど、どの科も引き取りたがらないような『老衰』のような患者さん」も、いつも笑顔で受け入れていました。

穏やかな人で、どんなに忙しいときでも、声を荒げたり、他のスタッフにきつくあたるようなこともなかったのです。

 

しかしながら、仕事というのは「できる人」「断らない人」に集ってくるものでもあります。

他所の科からの相談は「話しやすくて、なんでも引き受けてくれる」先輩に集中し、その先生は、同じ科のなかでも図抜けて大勢の担当患者を抱えて、いつも夜遅くまで仕事をしていたのです。

病院というのは、「その場にいる」だけで、「ついでにちょっと御相談なのですが……」という状況になることもあり、先輩の仕事はさらに増えていきました。

 

ある上司は、「あいつは立派なヤツだけど、あんな働き方をしていたら、いつか壊れるんじゃないか」と心配していたのです。

「専門外の患者まで抱え込んで、何かトラブルが起こったら、自分の首を締めることになる」とも。

僕も内心、「あんな働き方はできないし、この病院では、どんなに仕事をしても給料が上がるわけじゃないのになあ。家庭のことはどうなっているのだろう」なんて、思っていたものです。

 

その年の3月31日、先輩は転勤することになりました。

正確には、転勤ではなく、地元の病院に戻ることになったのです。

その日、先輩がいつものように仕事をして、同僚の医者たちにお別れの挨拶をし、病院を出ようとしたときのことでした。

 

「先生、ちょっと待って!」

ひとりのベテラン看護師が、彼に玄関ホールで声をかけました。

すると、四方八方から、看護師や事務の人などが集ってきて並び、先輩のための「花道」をつくったのです。

大勢の人が、そのために先輩の帰りを待っていたのです。

みんなが手をつないでつくったアーチを通り抜けながら、先生は少し泣いているように見えました。

僕が見た、その長い花道も、少し潤んでいたのです。

 

しばしの別れの場面のあと、先輩は大きな花束をたくさん抱えて、病院を出ていきました。

途切れない、拍手の中で。

 

僕は基本的に「賞罰なし」の人間だし、いつも「働いた分は給料をもらいたい。生活もあるしね」とか「プライベートな時間がたくさんほしい」と思っています。

転勤するときは、盛大に送別会をしてもらえることもあれば、めんどくさいから誰にも会わないように、と、ひっそり職場を出ていったこともありました。

 

この先輩のときのような、熱い「見送り」は、僕自身が体験したことがないのはもちろん、それまで見たことがなかったし、その後もありません。

その病院を僕が去るときも、儀礼的なお別れのやりとりだった。

いや、当時の僕の働きぶりで、あんな盛大なお別れをされたら、かえって恥ずかしくて消えてしまいたくなったでしょうけど。

 

僕は、あのとき、そんなふうにみんなに惜しまれて送られていく先輩をみて、すごく羨ましかったのです。

あの時間は、彼自身が、これまで自分のいろんなものを犠牲にしてやってきたことの、ささやかな見返りだったのでしょう。
そのために、あそこまでの仕事ができるか?と問われたら、やっぱり僕にはできない。

僕には、日常でのささやかな「ラク」の積み重ねのほうが、たぶん優先順位が高いのです。

 

因果応報、には違いありません。

先輩には、たしかに、あれだけのことをしてもらう「資格」があったと思います。

そして、医者としての日常と現実に直面する前の自分が「医者とは、こうあるべきだ」と思っていた姿が、あの場面にはあったのです。

 

僕は現実のめんどくささや身体のきつさに負けてしまった。

僕のなかには、あの先輩の働き方は「セルフブラック労働化」だ、という気持ちもあったのです。

そこまでやって、自分を追い詰めて、壊れてしまったらどうするんだ、という。

 

医者という仕事は、自分からやることを見つけようと思えば、底なし沼のように仕事が尽きない。

仕方ない、僕にはこれが限界だったんだ……。

 

今の世の中では、「身を削って仕事をする」ような働き方は、時代遅れとか、自分を大事にしていない、なんて言われがちです。

僕には、「そうだよなあ」という気持ちと、「それは、きちんとやらない(できない)自分への言い訳ではないか」という後ろめたさが、ずっとあるのです。

 

先輩が見送られていた光景は、僕にとって、なんだかとても崇高なものとして、いまでも胸に刻まれています。

「立派に生きる」ことを、いつのまにか放棄したことに気づいた、自分への苦みとともに。

 

その一方で、「それで給料が上がったわけでもないし、あの一瞬の祝祭のために、先輩は、あれだけの仕事を請け負う価値があったのだろうか?」とも考え続けているのです。

 

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第6回 地方創生×事業再生

再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは

【日時】 2025年7月30日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【今回のトーク概要】
  • 0. オープニング(5分)
    自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
  • 1. 事業再生の現場から(20分)
    保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
  • 2. 地方創生と事業再生(10分)
    再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
  • 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
    経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
  • 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
    「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
  • 5. 経営企画の三原則(5分)
    数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
  • 6. まとめ(5分)
    経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”

【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

(Photo:Matt Madd