異動の時期である。

昇進し、マネジャーなどの管理職となった方も多いだろう。

 

管理職になると、組織の中枢として新しい仕事の仕方が求められるようになる。

裁量も報酬も大きくなり、「組織を動かす」やりがいを強く感じる人もいる。

 

だが、それにうまく適応できない人も多い。

 

「管理職がこれほど難しいとは思いませんでした」

「部下が思った以上に言うことを聞きません」

「コミュニケーションが大事だとわかっていても、時間が取れないです」

そんなふうに、管理職の難しさを語る人は数知れない。

 

しかし、いちメンバーであったときは様々な仕事をうまくできたはずの彼らがなぜ、管理職という仕事に「適応できない」ケースがこれほどまでに多いのだろう。

 

 

私は前職、管理職研修の講師を頻繁に行っていた。

私がやっていた中で、特に人気があった研修は、「新任」の管理職研修だ。

「具体的で」「すぐに使えて」「効果の高い」、管理職としてのTipsを数多く紹介する研修になっており例えば、

 

・部下の話をいきなり否定しない

・小さなことでも表彰する

・声掛けをする

・お客さんの満足の声をフィードバックする

 

などの施策を紹介し、毎回、8割、9割以上の高い満足度を得ていた。

 

だが、研修を実際に受けたマネジャーたちが、その後、本当に良い管理職になったのか、うまく組織の中枢に適応できていったか、というと、若干の疑問が残る。

 

事実、「管理職研修で学んだことを実践していますか?」という質問に対して、多数のマネジャーたちが

「実践できていない」

「忙しくてやる時間がない」

という、現実を抱えていた。

 

また、実践してみたが、

「習ったとおりには行かない」

「うまく行っているかわからない」

という管理職も多数いた。

 

私が行っていた管理職研修は、結局の所、活かせるかどうかは「本人次第」であったし、研修を受けた人と受けなかった人とで、その後のマネジメント能力に有意な差がでたとは言えなかった。

要するに、「時間のムダ」であったのだ。

 

 

私はそれを受け入れるのに少し時間がかかった。

自分の一生懸命やってきた研修が、無意味なものであるとは認めたくなかった。

だが、それが現実だった。

 

現実を受け入れなければ、新しい一歩は踏み出せない。

私は、「マネジャーに求められるもの」とは、一体何なのかを、真剣に考えるようになった。

 

 

その後、マネジメントの権威である、ピーター・ドラッカーの文献に立ち返ったときのことだ。

その中には、次のように書かれていた。

人を管理する能力、議長役や面接の能力を学ぶことはできる。管理体制、昇進制度、報奨制度を通じて人材開発に有効な方策を講ずることもできる。

だが、それだけでは十分ではない。根本的な資質が必要である。真摯さである。

最近では、愛想よくすること、人を助けること、人づきあいを良くすることが、マネジャーの資質として重視されている。そのようなことでは十分なはずがない。

私は、ドラッカーに見透かされているような気がした。

「お前が教えているような、小手先のテクニックで、マネジャーとして一流になれるわけがないだろう」と。

 

私は食い入るように、その次の文章を読んだ。答えがあるはずだ。

事実、うまく行っている組織には、必ず一人は、手を取って助けもせず、人づきあいも良くないボスがいる。

この種のボスは、とっつきにくく気難しく、わがままなくせに、しばしば誰よりも多くの人を育てる。

好かれている者より尊敬を集める。一流の仕事を要求し、自らにも要求する。基準を高く定め、それを守ることを期待する。

何が正しいかだけを考え、誰が正しいかを考えない。真摯さよりも、知的な能力を評価したりはしない。

このような資質を欠く者は、いかに愛想がよく、助けになり、人づきあいがよかろうと、またいかに有能であっって聡明であろうと危険である。

そのようなものは、マネジャーとしても、紳士としても失格である。

私は呆然とした。

今まで私が研修で教えてきたことは一体何だったのか。

失格ではないか。

 

それ以来、私は管理職研修ができなくなってしまった。

だが、マネジャーに必要なことの言語化をすることはできた。

 

つまり、こういうことだ。

マネジャーになったら、「スキルの成長」から「人格の成長」に軸足を移さないと、行き詰まる。

 

いち社員として、仕事になにより必要なのは、純然たる仕事の遂行能力、つまり、スキルである。

スキルを磨き、できることの幅を広げ、多くのネットワークを築き、収益につなげる。

 

しかし、マネジャーの仕事は、その延長線上にあるものではない。

究極的には、マネジャーに必要なのは、真摯さ、つまり人格の本質にかかわることであって、スキルではないのだ。

 

もちろん、マネジャーが真摯さを発揮するには、スキルが必要な場面もある。

だが、土台たる人格の問題を避けて、スキルの習得に走っても、それは砂上の楼閣というものだ。

 

 

広辞苑で「真摯であること」について調べると、次のように出てくる。

管理職となった人々も、かつては部下であっただろう。そのときに、上司に期待したことは一体何だったのか。

真面目で、仕事にひたむきであり、その人と合う、合わないはともかく、正しさについて真剣であることではなかっただろうか。

 

部下を持つ、ということは、部下の人生の一部について責任を持つ、ということだ。

適応できないマネジャーたちは、短期的に成果を出そうと焦るあまり「マネジメントスキル」に囚われていることも多い。

しかし、それでは部下たちに見透かされるだけである。

「打算的な人だ」と。

 

そんな時は、本来あるべき土台となる「真摯さ」であり、自らの「人格」に立ち返るのも良い。

むしろ、真摯さや、マネジャーに必要な人格についての逸話は、小説や映画、そのほかありとあらゆるコンテンツで学ぶことができる。

自らが尊敬する人を思い返しながら、自省することもできる。

毎日、部下の反応を見ながら、反芻して改善も可能だ。

それは、毎日の仕事の中でできるし、特別な時間など、必要ないのである。

 

4月から新しく管理職になる方々、どうか頑張っていただきたい。

その努力は、必ず誰かが見ている。

 

 

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