新海誠監督の「天気の子」をみた。
前作である「君の名は」が一般向けにも非常にわかりやすい作風だったのに対し、今回の天気の子は物凄く読み解きがいのある芯の入った作風で大変に面白かった。
一部では既に話題になってるが、ストーリーの仕立て方がパソコンのビジュアルノベルゲームを感じさせる作りであり、これを一般向けに映画館で放映したことには正直驚愕した。
どう見るかは人それぞれなのだろうけど、僕はこの物語はシステムを念頭において解釈していくのが最も面白いと思った。
以下、順々に僕の解釈を書いていくことにする。
効率の良いシステムを形成する事の代償
私達は暮らしやすさを作り出すためにシステムを構築する。
そこでは逸脱者は基本的には受け入れられない。
システムはシステムの中にいるものには優しいが、そこから外れるものにはものすごく冷たくなる。
冒頭の主人公が受ける厳しい境遇は、システム都市東京がまるで彼を排除するような意志を発揮しているかのように僕には見えた。
システムには様々な負の側面がいくつかある。
1つはシステムが個人から人間性をある程度捨てさせるという事だ。
例えば夏美の「就活」。
お世辞にも、あれはよい場面として描かれてなかったと思うが、彼女がシステム側に入り込むためには、あの茶番みたいなイニシエーションをくぐり抜けなくてはならない。
自分を殺してまで「御社が第一志望です」と何度も言わせるシーンを繰り返えさせているのは、システムに入るために人間性を放棄させるという代償を支払わされているのを見せられているが如くである。
もう1つはシステムは時に個人の自由を制限するという事だ。
先程、家出少年がシステム都市東京では受け入れられないと書いたが、ヒロインである陽菜もまた、東京で弟と2人で暮らすという願望をシステムから許されない。
誰にも迷惑をかけず弟と2人で上手にやっていっていたとしても、未成年だけが暮らすことをこの社会は許さない。
システムは”決まり”を個人の自由よりも強く遵守する。
システムはこのように個人から人間性をある程度消失させ、個人の自由も制限する。
しかし、その代わりに私達は高度に効率的な東京という都市を手にすることができている。
個人とシステム、どちらが大切なのか。
これはとても難しい問いだが、これに対する新海誠監督なりの回答が、その後で徐々に描かれていく。
システムに従って、無機質に動く人々
この社会における大人の人の多くは、非常にシステムに従って上手に生きている。
例えば、物語中盤で出てくるホテルの人達。
彼らは宿がなくて困ってる未成年の主人公達には宿泊サービスを提供せず「身分証を提示しろ」と声がけをし、暗にシステムの利用を断っている。
他にも大雨が降った後の鉄道会社の人達。
彼等は大雨の影響で狂った運行システムを通常に戻す作業に従事しつつ、線路内を走る主人公に「路線に立ち入らないで、止まりなさい」と声がけする。
なんだか、誰も彼もシステムに忠実で、そこには人情というものがない。
これがジブリの物語なら、それこそ「泊まる所無いの?じゃあ本当は駄目なんだけど・・・裏の倉庫で寝てていいよ」なんて話がでてきても良さそうだし、鉄道会社の人達も「そんなに必死でどこにいくの?送っていってあげようか?」という人情ありそうな行動を取りそうなものだ。
けど、そういう人情はこの物語ではほぼ発揮されないし、またそれで私達も全く違和感を覚えない。
何故か?それはこの物語の舞台が東京だからだ。
東京という都市は、それ自体がまるで1つの意志を持つかのごとく極めて効率よくシステマティックに運営される場であり、そこに住む人達はシステムが効率よく動き続ける為の歯車の一部なのである。
システムの中に入りそれに適応すると、私達はいつの間にかシステムを運行する構成要素の一部となり果てる。
ホテルの人は未成年を「泊めない」事でシステムを正常に運行する”役割”を発揮しているし、鉄道会社の人達も注意するのが仕事であり、どこかに走っていこうとする人を送り届けるのは”仕事”ではない。
この物語でシステムを逸脱して行動している人は非常に少ない。
誰も彼もが、まるでプログラムなんじゃないかというぐらい、システムに従って行動している。
システムに反して働いたのはオカルト雑誌編集プロダクションの社長である須賀圭介や、就活中の学生である須賀夏美ぐらいで、基本的にこの物語では気持ち悪いぐらいにみんなシステムの一部として忠実に働いている。
唯一、後半で安井刑事だけが
「ただまあ、彼はまさにいま人生を棒に振っちゃってるわけでして」
「そこまでして会いたい子がいるってのは、私なんかにゃ、なんだか羨ましい気もしますな」
とシステムに従って”正しいこと”をさせられている事に対する疑問を投げかけているが、彼も結局はシステムに従って行動をしている。それぐらいに東京という街は強い。
新海誠監督は、このような描写で私達にシステムの中に位置するようになると、人はそれを維持するための歯車の一部となり、人として何か大切なものを失ってしまうのではないかという事をこの映画で見事に描き出している。実に見事である。
こうしてみてみると、果たして高度な統率が取られた東京という街においては、自由意志ではなくシステムにより人がプログラム化されてるのではないかと思ってしまうほどである。
「システムに従って生きれば、ラクなのに」
この物語の登場人物の多くは、こう思ってる。それこそ「大人になれ」というのは、まさしくそういう事だろう。
システム都市東京がまるで意志を持ってるのではないかと感じさせられる描写が、陽菜が100%の晴れ女として人柱になるシーンだ。
天候が雨を降らせ東京を破壊しようとしているのは、地球というシステムが東京という異常なシステムの成立を許さずにぶっ壊そうとしているようだし、陽菜が晴れ女として選出されたのはシステム都市東京が地球に反逆してシステムの運行を守るために「人柱」という役割を生み出したかのようにすらみえる。
ヒロインである陽菜は「人柱」として、正常な天候を取り戻す為にシステムに殉じさせられそうになるが、私達の社会も時にシステムの為に人が殉じる事がある。
それこそ前回、低賃金カルテルという、安くて便利なサービスを社会に提供する為に社会に殉じている人達の話を書いたけど、時に私達はシステムの為に、社会にある種の生贄を捧げる事がある。
(参考:私達が安くて便利なサービスを使えるのは、私達の誰かが安く働いてくれるから。)
私達の社会はこれから超高齢化社会に突入し、このままだと膨大な金額の社会保障費を若者が高齢者に支払う事となる。
それこそ15歳の若者は今の団塊の世代へ年金を支払うために、4000万円近い損失を最初から負う羽目になっており、ある意味ではこの物語の登場人物である若年層はこのままシステムが”正常”に働くためには「人柱」となり社会に殉じなくてはならないという話にみえてくる。
この物語の雨続きの天気を無理やり”正常”の天候に戻すために若者を生贄を捧げるという描写は、様々な生贄を前提として運営されるシステムへの痛烈な皮肉に僕はみえる。
恐らく、メインキャラに若者が選ばれたのは偶然でも何でも無く必然の事なのだ。
僕は延々と続く雨という異常気象を生贄を捧げてまで晴れさせるという描写は、高齢層が若年層から社会保障費という形で搾取し、巨額な世代間格差を生み出してまで年金という異常システムを無理やり成立させようとしている事へのメタファーにみえる。
システムより個人を尊重し、システムが崩壊しても人は新しいシステムを作り出して上手くいきていく
この物語では、結局主人公とヒロインはシステムの維持のために生贄になるという選択から逸脱する。
普通の監督なら、結局世界も平和になったし、主人公とヒロインも元の世界に戻ってこれました、めでたしめでたし……としそうなものだけど、さすがは新海誠監督はそうはしない。
結果、システム都市東京は大雨で大部分が水没し、システムは以前と同じようには保たれなくなった。
この事で割をくらった人間として描写されているのが「晴れ女」の仕事を最後に依頼した高齢者だ。
彼女は元に住んでいた場所が水没してしまい、アパートぐらしを余儀なくされる。
先も書いたように、僕は雨続きの天気を無理やり”正常”の天候に生贄を捧げて戻すという描写を年金のメタファーとして読み解いた事もあって
「ああ、若者が今の社会保障制度システムを維持しなかったら、高齢者には同じような生活環境は保証されないよ」
という事をこんな形で提示したのかと思わせられてしまった。
しかし、須賀圭介もこの「晴れ女」を最後に依頼した高齢者も、システムの正常運行の為に生贄を捧げる事を拒否し、システムをぶっ壊した主人公の事を全く恨む素振りもみせない。
もちろん、あまりにもオカルトな話なので、彼の話を信じてないという事もあるだろうけど、それ以上に新海誠監督は
「誰かが生贄になって維持されるようなシステムは絶対に間違ってるし、そんなものは許されてはならない」
「それに、人はそこまで弱い生き物ではない。確かに一度システムが破壊されたら社会は混乱するかもしれないけど、人はまた新しいシステムを作り出して新しい社会を形成する」
「だから、若い人たちはシステムのために殉じるだなんて馬鹿げた考えに付き合わず、もっと自分を大切にして欲しい」
というメッセージを視聴者に伝えたかったのではないかな、と僕は思った。
それこそ、彼の考える自分なりの「ライ麦畑の捕まえ役」というのは、システムに生贄にされるような人をキャッチし助けてあげる人、そういう存在なのだろう。
とまあ、こんな感じでメッセージ性がかなり強い物語なので、前作である”君の名”はのような物語が好きな人は物凄くモヤモヤするかもしれない。
少なくとも頭を空っぽにしてみても、楽しい物語ではあまりないと僕は思う。
その他にも数多ある村上春樹へのオマージュや拳銃の発砲という反システム行為が異世界への扉を開く鍵のメタファーとなっている事、そしてムーを用いてエロゲー業界への恩返しを描いている等の話など、色々と書きたい事は多いのだが、今回は物語の解釈についてのみを重点的に書き上げた。
こういう視点で物語を解析して、また自分の読み取った物語と比較して、この作品を楽しんでもらいたい。
天気の子、まったくもって良い映画である。
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(Photo:Ben Salter)