今日わたしが問いたいのは、これだ。

「給料がよくて本人が望めば、長時間労働は認められるべきなのか」

 

ブラック企業という言葉が日常的に使われ、定期的に過労死が話題になる日本で、長時間労働はだれにとっても身近な問題だ。

働き方改革が叫ばれるのも納得である。

 

でも本当に、長時間労働は許されないのか?

内心、「給料がいいなら長時間働くのは当たり前」「本人が望むなら働いてもいいじゃないか」と思っていないか?

 

だから今日、問いかけたいのだ。

「給料がよくて本人が望めば、長時間労働は認められるべきか」と。

 

キーエンスやマッキンゼー社員なら長時間労働で当たり前

この疑問が芽生えたきっかけは、当サイトで公開された2つの記事だ。

ひとつめは、『平均年収2183万円の会社「キーエンス」的に生きるということについて。』。

 

記事では『キーエンス解剖』という本が紹介されており、そこにはこうある。

キーエンスの社員は「とにかくめちゃくちゃ働く」と言われる。その激務ぶりは「30代で家が建ち、40代で墓が建つ」と表現されることもある。

なるほど、平均年収が2000万円を超える企業であれば、そりゃめちゃくちゃ働くだろう。

 

記事に対するコメントでも、「あの会社で生き残れるのが真の意識高い系」「身内が元キーエンスだけど詳しいことは言えない」とあるように、高給取りが激務なのは当然であることを前提としているものが多かった。

 

長時間労働を示唆していても、そこに「キーエンスはブラック企業」という声はない。

 

また、『働かないおじさんに怒っている人は、家にある置物にフルスイングできるかを考えてみるといい』という記事でも、同じような違和感を覚えた。

 

記事内では、コンサルタントとしてマッキンゼーで働く人について、このように書かれている。

言うまでもなくマッキンゼーのコンサルタントは激務である。

出張やら深夜に及ぶ資料作成などなど…疲弊しない方がおかしい。アップorアウトと言われる熾烈な競争環境で生き残れる人はそう多くはない。

ここでも「マッキンゼーなら激務で当然」という前提で書かれているし、コメントでも、「マッキンゼーは従業員を休ませるべき」という意見はなかった。

 

みんな「キーエンスやマッキンゼーのようなエリートなら覚悟のうえでしょ、いっぱい給料もらってるんだし激務で当たり前」と認識しているのだ。

 

でもわたしは、「こういう条件下なら長時間労働は当たり前」という考えが、どうにもしっくりこない。

キーエンスだろうがマッキンゼーだろうが、年収が高かろうが低かろうが、長時間労働はよくないんじゃないのか?

 

「副業は本人の意思だから労働時間は関係ない」論はOK?

たとえばここ数年、副業が話題になっている。

 

企業に依存せず生きるため、収入アップのため、転職準備のため……。

国が副業の推進をはじめたことで、副業をはじめた人も多いだろう。

 

でもこれ、ふしぎに思わないだろうか。

長時間労働を是正しようと盛り上がっているのに、なぜ本業を終えた後さらに働く副業が推進されているのだろう、と。

 

働き方のオプションとして、さまざまな選択肢があるのはいいことだ。

でも副業をしたら、確実に労働時間が伸びるじゃないか。

なんでそれがいいことだと言われているんだ? ちゃんと労働時間を管理しているのか?

 

ブラック企業を批判しまくっている人が、「副業をして自由に生きる」なんて言ってるんだから、もう意味がわからない。

「いったいそういう人たちはどう思っているんだろう」と副業ブロガーに聞いてみたところ、「本人の意思でやるから問題ない」らしい。

 

なんなら、「これからの時代は仕事と趣味の境目がなくなるから『労働時間』という考え方が古い、好きなことを仕事にした人が幸せになれる」というありがたいお言葉もいただいた。

 

なるほどな?

でもそうなると、また新たな疑問が生まれる。

 

本人の意思であれば、長時間労働も認められるべきなのか?

「本人がやりたいんだからやらせればいい」と、そういうことなのか?

 

たとえば、本業で月20日出勤したうえで毎日残業2時間、その後副業を2時間すれば、過労死ラインの労働時間になる。

それでも自分の意思で副業しているのだから、それは「是正されるべき長時間労働」にならないのだろうか?

 

自己責任論に結びついたら、長時間労働から逃げられない

正直なところ、わたしはその線引きがよくわからない。

 

キーエンスやマッキンゼーのように「待遇が良ければ長時間労働OK」なら、問題になるべきは長時間労働ではなく、給料のほうだ。

副業で労働時間が長くなっても「本人が望めばOK」なら、問題になるべきは長時間労働ではなく意思の有無だ。

 

「長時間労働はよくない」のであれば、いくらエリートでもダメなものはダメだし、本人が望んでもしっかり労働時間をチェックすべきじゃないのか。

長時間労働が問題になるのに、「エリートは激務」が暗黙の了解として受け入れられ、「副業は人生の選択を増やす」とポジティブに語られるのは、どうにもおかしい気がする。

 

好待遇と本人の意思という条件を満たせば、長時間労働は認められるべきなのだろうか。

……とはいえ、こんなことを言ったら、「世の中には本音と建前が」とか、「じゃあ週刊連載している漫画家はどうなるんだ」なんて声が聞こえてきそうではある。

 

もちろん、例外はいくらでも存在するだろう。

いくらキレイゴトを言ったからって、今日この瞬間、地球上から長時間労働がなくなるわけでもないし。

 

そもそも、「長時間労働の定義」自体がむずかしい。

在宅ワークが広まった現在では、なおさら労働時間を把握しづらいし……。

 

それでもわたしが今回いろいろと書いているのは、「給料が高い、もしくは本人が望めば長時間労働も問題ない」という考えが、いつか自己責任論に結びつくのではないかと、怖いからだ。

 

「〇〇会社に入ったのなら長時間労働なんて当たり前でしょ」

「自分から望んでその業界に入ったなら長時間労働も覚悟すべきだ」のように。

 

「それなら長時間労働でもしょうがない」が怖い

例に挙げたキーエンスやマッキンゼーのようなトップクラスのエリートはもちろん、平均年収が高い大手企業であれば、激務であることがほとんどだ。

 

そしてそれは、「エリートだから」と黙認されている。

高い給料もらってるでしょ、忙しいのなんて事前にわかってたでしょ、覚悟のうえでやってるんじゃないの、と。

 

実際、わたし自身、そう思ってしまう部分はある。

でも「高給取りなら激務で当然」というのもまた、妙な話である。

 

給料がいいのはその人の能力が高い、希少なスキルをもっている、といった要因によるものであって、「長時間拘束するから」ではない。

もしそれを前提としているなら、社員が定時で帰ることを想定していないということだから、まさに「働き方改革が急務」である(もちろんこれにも業種によって例外はあるが)。

 

また、本人の意思というのも、非常にあいまいだ。

たとえば先輩が帰らないから付き合いで残業になったり、上司から嫌味を言われるのでしかたなく早朝出勤したり。

 

そういった事情で「自発的に」長く働くなんて、だれにでもあるだ。

それが恒常化した結果の長時間労働でも、「自分が望んだこと」だと言われてしまったら、いったいどうすればいいのだろう。

 

「本人の意思で働いているのだから長時間労働してもいい」という主張がまかり通れば、長時間労働を拒否しなかった=本人の希望=問題ない、になってしまうじゃないか。

怖すぎる!

 

「働きすぎない」を前提にしないと環境は変わらない

だからわたしは、あくまでも「長時間労働は悪」という前提が必要だと思っている。

 

だって、「年収いくら以上なら激務でもいいのか」なんて基準はだれも決められないし、断れない状況だって多々あるのに「自分の意思で働いた」なんて言われても困るから。

 

とはいえ、

「いくらでも働きたい、仕事ではなくもはや趣味だ!」

という人がいるのも承知している。

 

ただ、仕事が生きがいの人たちに合わせて、「長時間労働してもいい」になるのは、ちょっとちがうんじゃないだろうか。

「〇〇なら長時間労働でもしかたないね」となってしまうのであれば、結局、労働環境は変わらない。

 

長時間労働をなくしたいなら、「給料がよくて本人が望んでても、とりあえずダメなものはダメ」がスタートラインだと思う。

そのスタートラインがあるからこそ、つながらない権利を確保しよう、有給消化率を上げよう、という話ができるはずだから。

 

ちなみに、給料が低いうえ本人が望んでいないのに長時間労働をさせるのは論外である。

というわけで、最後に、過労死防止対策をしている厚生労働省の深夜0時半すぎの様子のツイートを引用して締めます。ちゃんと寝てね……。

 

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【著者プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

ハロプロとアニメが好きだけど、オタクっぽい呟きをするとフォロワーが減るのが最近の悩みです。

著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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