我々は「事例」が大好きである。成功事例、失敗事例、大手の事例、中小の事例、世の中は事例に満ち溢れている。

本屋さんに行って見てみれば、「成功法則」と銘打った本や、「ケーススタディ」のように洗練された形の事例まで、実に様々だ。

 

しかし、「事例」はほんとうに役立つのだろうか。◯◯事例セミナーは、価値あるものなのだろうか。私はつねづねその疑問を持っていた。

考察してみたいと思う。

 

まず、「事例」というものは高々一つの事象にすぎない、ということは言って良いだろう。

科学的見地から見れば事例はほとんど意味が無い。

 

例えば「重い鉄球を持ち、手を離したら、軽い鳥の羽よりも早く下に落ちた」という事例を紹介し、「このように、重いものは早く下に落ちるのです」と述べたとしよう。

皆は「なるほど、やはり重いものは早く下に落ちるのだな!」と納得する。

幾つもの比較実験を用意してやれば、「結局、重いものは早く下に落ちる」という主張は正しいように思える。そして、この話はガリレオ・ガリレイが厳密な実験をするまでは「正しい」と一般的には信じられてきていたのだ。

 

しかし、現在、「重いものは早く下に落ちる」は間違いであることを我々は知っている。

真空中で同じ実験をすれば、鉄球と鳥の羽は全く同じ速度で落ちる。

「落下速度は、質量によらない」のである。これは物理学を勉強していれば、高校生でも知っていることだ。

空気中で鉄球のほうが早く落ちる正しい理由は、「重いから」ではなく、「鳥の羽のほうが空気抵抗を多く受けるから」である。

 

さて、話を戻そう。所詮事例は、「一つの事象」に過ぎず、他社の「成功事例」をマネても、その真の理由が明らかとなっていない限りは再現できない。多くの事例を語るセミナーが「結局役に立たない」のはそのためである。

そして、「事例」を語る人は通常、厳密な実験を行っているわけではない。

 

だから、「事例」を紹介する本やセミナーは、「その人はそう思っている」という域を出ることはない。

 

 

ところで、戦略コンサルティング会社のA・Tカーニーは、「成功事例を共有化するだけでは不十分」という。

◇「成功事例」の共有だけでは不十分

たんに「成功事例」を共有するだけでは役に立たないことも多い。というのも、状況に応じてとるべき行動は変わって当然のところ、「成功事例」は、どのような場合にどう行動するとよいか、という考え方への言及が乏しいため、情報を受け取った部下は、いかに自身の案件に応用してよいかの解釈ができない。

さらに、「成功事例」には自慢話が含まれることも多いため、聞かされてもおもしろくないという心理も手伝い、情報の受け手は「偶然、状況を味方につけて成功しただけ」と評価をしてしまい、結果として成功事例を活用しようとは思わない、という面も有している。

もちろん多くの人は「成功事例はあまり役に立たない」ということを知っている。

 

それ故に、「成功事例」からエッセンスを抽出し、それを法則化したいと願う人が多いことも、ご存知のとおりである。

だから現在の「経営学」は多くの場合「統計的手法」を用いて、事例を数多く集め、できるかぎり条件を統一し、「普遍的である」とある程度の合意が得られる理論を追求しているのである。

だが、そうした「科学的検証」を経ていない事例のほうが圧倒的に多いのもまた、事実である

 

 

では、それを知りつつもなぜ人は「事例」に惹かれるのだろうか。

私はドラッカーの著作が好きであるが、そこに書かれている事例、主張の殆どは科学的に証明されたわけではない。

極端なことを言えば単なる「ドラッカーの思い込み」にすぎない可能性もあるのだ。

 

ここからは個人的な意見だが、おそらく人は「事例」によって法則を知りたいわけではないのだ。

何が知りたいか?

それは「人の意志」である。その時何が起きたのか、どう考えて、どう行動した人がいたのか。どう勇気を持って課題に立ち向かったのか。何が正しいと判断し、何が誤りであると判断したのか。どのような数字に着目し、何を意味が無いと切り捨てたか。

 

そういうダイナミックな心の動きが知りたいのだ。

所詮は困難への対処は自分で判断しなければならない、でもそれは人に勇気を与えてくれる。自分が未知の分野に挑むときの不安を和らげてくれる。分岐点において判断の材料を与えてくれる。

 

事例はそういうものなのだ。

 

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