仕事ができる人は、おしなべて「人に期待しない」というイメージがあります。
悪い意味ではなく、いい意味で「過剰な期待が身を滅ぼす」と知っているからです。
「仕事ができる人は冷たい」って言うイメージがある。
けど冷たいわけじゃない。
「あんまり人に期待してない」だけ。仕事って、人がやるのを待っていると、たいていうまく行かないので
どうしても思考が「まあ、あんまり期待してないけど、やれるんならやって。できないなら仕方ないよ。」
になる— 安達裕哉(Books&Apps) (@Books_Apps) March 12, 2020
もちろんこれは「人」、つまり他者だけではなく、「自分にもあまり期待しない」ことも含んでいます。
まあ、「やれること」と「やれないこと」の区別が徐々についてくからなのでしょう。
もちろん、上司や経営者が、面と向かって「お前には特に期待してないよ」などとは絶対に言わないほうがいいでしょう。
わざわざ人のやる気をくじくような発言をするやつはただのアホです。
彼らは老獪なので、「がんばれ」くらいは言ったりします。
でも内心では「ちゃんとやれたら儲けもの」くらいにしか思っていないことが殆どです。
「期待」は「依存」に変わりやすいし、一人の人間に依存することは経営上のリスクだからです。
「できた大人」は、子供にも期待しない。
もちろんこれは仕事に限りません。
「期待」というものは、裏切られると「苛立ち」、場合によっては「憎悪」に容易に変化するため、扱いが非常に難しいです。
だから「できた大人」は、徹頭徹尾、「他者に期待すること」は控えます。
人事コンサルタントをやっていたとき、
幹部に向かって「めちゃくちゃ君たちには期待しているから!」と笑顔で言っていた経営者が、彼らが去った途端、
「ま、どこまでやれるかね。」
と冷静に言う、なんてことは、日常茶飯事です。
でも、彼らはは非常に失敗に寛容でした。
実際、彼らは自分の子供たちにすら、あまり「期待」しないことも多いのです。
「学歴!」とか
「英才教育を!」とか
「金持ちに!」とか、
そんなことは言いません。
「ま、なるようになるでしょ。子供は子供で。彼らはオレじゃないし。」
という感じです。
だから、彼らは子供の進路に対して鷹揚です。
むしろ、子供が小さいときから
「習い事は週5回!」とか「幼児教育を!」とか。
子供に過剰な期待を抱いて、騒いでいる親も、それはそれは問題です。
そして一種のこの冷徹さが、「できた大人」になれるかどうかの境界線でもあると、私は感じます。
もちろんこれは「人の面倒を見ない」ことを意味しません。
彼らは部下の面倒も子供の面倒もよく見ます。
だが「期待」はしません。
人が自分の思い通りにならないことを、よく知っているからです。
「なすべきことを為せ、あとは放っておけ」
私のよく知る経営者は、いつも、そう言ってました。
「人に期待しない人生」は、超快適。
考えてみれば、人に変な期待をもたなければ、人生は超快適です。
なにせ、「裏切られた」とか「あの人のせいだ」とか「世の中が悪い」とか、そうした負の感情から一切、自由になれます。
だから、それを実践する人たちは、「合理的」で「ドライ」でありつつ、むしろ人にやさしく、面倒見が良いのです。
特に、彼らは次のような
「トラブルを生みやすい期待」
を一切、持たないがゆえに、幸せなのです。
1.「話せば、お互いわかりあえる」という期待を持たない。
結局、人は心のなかでは何を考えているかわかりません。
本当にわからないのです。
よしんば「話して、わかりあった」と思っても、実際それは幻想で、自分の都合の良いように解釈しているだけです。
(出典:賭博黙示録カイジ8巻 福本伸行)
2.「他者は困っていたら手を差し伸べてくれる」との期待を持たない
「天は、自らを助けるものを助く」ということわざがあります。
が、正確に言うと「人は、自らを助けるものを助く」ではないかと思っています。
要するに「人は、頑張っている人を助けたいと思う」生き物です。
実際、私は会社でそのように言う人を数多く見ました。
「何事も、他者や世の中のせいにしてはいけないんだ」と、初めて本気で思った瞬間のこと。
いいか、人は「文句ばかりのやつ」より「頑張っているやつ」を助けようとするんだよ。正しいかどうかなんて、問題じゃない。
他者は、自分が困っていたら助けてくれる「かもしれません」。
でも期待を持ってしまうとそれは次第に、「人は困っている人を助ける「べき」」と歪んでしまう。
それは「人を恨む」「世を恨む」原因ともなってしまうのです。
3.「人は成長する」との期待を持たない
前にも書きましたが、人は基本的に子供から大人になるとき以外は、ほとんど成長しません。
大人はたいして成長しないし、多分必要なのは「成長」じゃなくて「適応」。
こうした研究からも、「大人になってからの成長(=ステータスアップ)」などは、ほとんど望めない、と考えたほうが良いでしょう。
だから多分「大人の成長」って、誰かが作り出した虚構なんです。
人間は唯一、子供が大人になるときに、著しいステータスアップ、文字通り「成長」するだけなのです。
「とてつもなくできない人が、出来るようになる」という物語は、たしかに面白いです。
でも、現実はそうではないからこそ「物語」なのです。
実際には人には「適性」があり、その適性にかなわないことはできない。
それが実際のところであり、「身の程を知る」の本質です。
4.「努力は報われる」との期待を持たない
経営者になってよくわかったのですが、「努力」は報われるかどうかの前提条件ですらないと、最近では思います。
要するに、大半の努力は「無駄」。
どんなに努力しようとも、天災や時流、マーケットの圧倒的な力の前には、人の力は小さすぎます。
真に重要なのは、「どこで努力するべきか」を見極めることです。
実際、努力そのものは、ほとんどルーティンワークであり、ルーティンワークは「必要ならやりましょう」というくらいで、報われるかどうかとはあまり関係がありません。
ただし「個人の楽しみとしての努力」であれば、意味はあります。
個人のレベルでは
「努力は、結果ではなく、過程に意味がある」と強く思うし、多分正しいのだけど、
その努力は、他者にとっては
「無意味。結果にしか興味はない」
のが普通なので、切り分けて考えたほうが幸せになれる。— 安達裕哉(Books&Apps) (@Books_Apps) March 12, 2020
また、「意思の強さが、物事をなし得る」と勘違いしている人もいますが、
人間の意思は基本的に薄弱で、意思に依存しない仕組みを持っている方が、最終的に勝ちます。
5.「成功者は人格者」との期待を持たない
行動経済学によれば、人間の脳には「ある面で好ましい人は、他のあらゆる面でも好ましい」と認識してしまうバグがあります。
もしあなたが大統領の政治手法を好ましく思っているとしたら、大統領の容姿や声も好きである可能性が高い。
このように、ある人のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましく思う(または全部を嫌いになる)傾向は、ハロー効果(Haloeffect)として知られる。後光効果とも言う。
ところが、これには全く根拠がありません。
実際、4.で「努力」と「成功」は関係ないと言いましたが「人格」と「成功」もまた、関係がないのです。
誰もが羨むような成功をした人が、実際にはクズだった、という話は世界中に腐るほどあり、彼らの発言の真偽は「成功の度合い」とはほとんど関係がないのです。
6.「自由は素晴らしい」との期待を持たない
「できた大人」は、自由の扱いが非常に難しいことをよく知っています。
「自由」は、常に「責任」とセットだからです。
だから、できた大人はむやみに「自由」を主張しません。
自由は素晴らしいと言うよりも、むしろ「勝ち取るもの」との認識を持っている人がほとんどです。
言論の自由、
表現の自由、
思想の自由、
信教の自由……
それらは「勝手に」与えられるものではなく、維持するために不断の努力が必要になります。
何の対価も要求されない自由など、存在しません。
憲法12条にも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とはっきり書かれています。
一方で、経営者ともなれば、お子ちゃま社員から「自由にやらせろ」と言う要求は常にあります。
できた大人の経営者はもちろん、「YES」と言うでしょう。
「で、どういった成果を出してくれるの?」という言葉とともに。
7.「人は合理的に判断できる」との期待を持たない
できた大人は、「「正しい情報」を与えれば、皆が合理的に判断できる」とは全く思っていません。
むしろ「合理性とは程遠いのが人間」だと、現実的に考えています。
今回のコロナウイルスによる買い占めなどのパニックで、皮肉にもそれが証明されてしまいました。
が、逆に、できた大人はそれを嘆くどころか、「別にそれならそれでいいんじゃない?」と思っています。
なぜなら、「欲望」や「感情」に従って人が動いてくれたほうが、扱いやすいからです。
いつの世でも為政者は「皆が見たいものを見せる」ことで、成功してきたのです。
8.「正義が存在する」との期待を持たない
「正義」は、ある人が、別の人に価値観を押し付けるための方便です。
だから「正義」という言葉をを軽々しく使う人を、信用してはいけないし、我々は「正義の執行」をむやみに期待してはいけない。
下の記事にも書きましたが、「正義」は結局、価値観の違いに過ぎず、それを認めるかどうかは、コストとリターンの兼ね合いで決定されます。
結局、多様性を認めるかどうかは、崇高な理念ではなく、コストとリターンの兼ね合いで決まる。
私は「多様性」を無意識のうちに、「都合の良いこと」あるいは「自分が認められる多様性」だけに限定していた。
お子ちゃまはすぐ「正義」を持ち出しますが、できた大人は「正義」の代わりに、「相手もほどほど、私もほどほど」と、いう取り引きを使います。
そして、そのほうが皆が幸せになれる蓋然性が高い。
「正義」と「粛清」は、表裏一体なのです。
9.「自分は優れているのではないか」という期待を持たない
最も重要なのは「自分は優れているのではないか」という期待を持たないことです。
多くの場合、それは勘違いですし、たとえ「多少優れている部分」があっても、それがあらゆる才能に及ぶことは稀です。
しかも「自分は優れているのではないか」という思い込みは、たやすく傲慢に至ります。
商売で成功した人が、傲慢な政治家になったり。
スポーツで記録を残した人が、無能の経営者になったり。
名前の知られた学者が、専門外で的外れの論客になったり。
これらはすべて、「自分は優れているのではないか」という誤った期待が引き起こしたものです。
でも「できた大人」は少なくとも、自分が優れていないことを知っています。
だから、人に期待せず、他者の力を借りようとする。
そう言う人が、周りを幸せにしていくのです。
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元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者( tinect.jp)/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。
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