とある零細企業の歴史
おれが勤めているのは零細企業だ。具体的に言えば、社員数10人以下の会社だ。
全員が正社員だ。人手は足りていない。派遣労働者やアルバイトを雇う余裕すら無い。もちろん、新卒であれ、中途であれ、新しい社員を入れる余裕もない。
たまに就活生などから問い合わせの電話もあるが、受け入れる余裕はない。この分野の人にはおもしろそうな仕事をしていると見えるようではある。
かつてはもう少し人がいた。バブルのころだ。積極的に人を採用していたらしい。
ところが、バブル崩壊。銀行の貸し剥がしで、会社に金がなくなった。去る人は去ったし、雇いつづけることがむずかしく、解雇された人もいた。今は、最低限回せる人数だ。
というわけで、おれの勤める会社は存続ギリギリでやっている。おれはそんな会社になぜか転がり込んだ。
現状では、代表や社員の高齢化によって、もう数年でなくなってしまうのは確定している。
営業社員もいないゾンビ会社よ
とはいえ、このコロナ禍にあっても、まだ死なない。リーマンショックでも死ななかった。なぜか、強い。
いや、強くはない。でも死なない。生活のために、死ねない。死んでいるのに死んでいない、ゾンビ企業とはこういうものか。
で、その死なない力はどこから来るのか。最低限で我慢しているから、というのはある。
四十代のおれの賃金も、普通の企業の大卒新人並だ(最初「涙」と変換されたが、それでもいいだろう)。
とはいえ、そんな給料でも、出るだけありがたい。どこから出てくるのか。仕事があるからだ。なぜ仕事があるのか。そこが不思議なところであった。なにせ、我が社には「営業」と呼べる存在が長いこといないからだ。
おれは最終的なデータ作成というか、Adobe奴隷みたいなもので、営業なんてしたことはない。せいぜい企画書かどうかあやしいものを書いたことがあるくらいだ。コンペで採用されたことはない。
では、営業はだれがやっていたのか。それは、クライアントだ、お客様だ。一度お仕事をさせてもらったお客様が、「また頼むよ」ということで仕事を回してくれる。あるいは、そのお客様が出世して、「こういう件はここに頼め」と部下の人に伝えてくれることもある。
さらには、別の組織や会社に「そういう仕事ならあそこがいいよ」と紹介してくださることもある。人間ってあたたかい。
つまりは、お客様が営業マンになっていただけるわけだ。営業マン? 営業パーソンと言ったほうがポリティカル的にコレクトだろうか。まあいい。そんなんで、食いつないできた。余裕なんてないのに、お客様のリピートと口コミでやってきた。それが大きい。
とはいえ、我が社にはそれなりの人物がいる。その道のエキスパートだ。詳しくは言えないけれど、その道で言えば、全国レベルというか、トップランカーというか、ともかくすごい人がいる。そちらからも仕事が入ってくる。おれなどは、手足になって働く。できたものは悪くないのだろう。次につながる。
あくまで待ちの姿勢、御用聞き営業。これでなんとか食いつないできた。あとはちょっとだけお上の入札案件か。ここで言う「食いつないできた」は、文字通りの食いつなぎであって、社員が生活レベルを上げていくのに十分な給料を得てきたということでもない。
おれにしたって、たとえば結婚したり、マイホームを持ったりなどは夢のまた夢だ。
もちろん、相手がいるかどうかはべつとして。むしろ、今現在だって「親が死んだら火葬代が払えるだろうか」というレベルだ。
ホワイトなブラック企業
ほんとにまあ、ひどいもんよな。ときには、おれなどの貧乏人が、会社にまとまった金を貸すというような地獄のような状況もあった。
おれは転職も考えられないような低学歴なので、金を貸した。結局、還ってきたけど、常識的な話ではない。
まあともかく、おれは自分の属する会社に、賃金的な期待をいっさいしていないわけだ。ただ、社員はみな話の通じる常識人だし、おれも適度にサボったり、医者に通ったり、病気で臥せったりしつつ雇われている、そんな環境は望ましい。対人関係でストレスは感じない。それだけだ。しかし、それは得がたいものでもある。違うだろうか。
というわけで、いい仕事をしていれば、お客様が営業マンになってくれて、新しい案件を持ってきてくれる。いい仕事をすれば自然と生きていけるのだ……と結論づけたいところだが。
突然の親会社登場と意識の変化
ところだが、事態が変わった。代表取締役が、某データバンクの担当者に事業の継承を考えているといったところ、我が社の事業に興味を持った上場企業が現れたのである。
そして、われら社員がしらないところで、事業提携というか、子会社化というか、そういうことに相成ったのである(本当にどういう関係といっていいかわからない)。
それによって、毎月の安定したお賃金を得ることができるようになった(ありがたい)。その上、営業何十年という人から、一人の社員にノウハウが教え込まれたのである。「一人の社員」は、四十代のおれよりさらに年上である。それでも、営業というものに意識が持ち込まれた。我が社に、営業というものが。
そして、親会社的な存在のおかげで、いくらかお金に余裕ができて、営業ツールの制作もできることになった。ちょっと立派なカタログを作った。ウェブサイトも刷新した。新製品を作ったりもした。
なにより、稼ごうという意識付けがなされた。親会社的な存在の社長が、毎月数字を持ってきて、仕入れ値を下げよう、売り値を上げよう、黒字化しようとハッパをかけてくれる。
会社の数字などは社長くらいしか知らなかったので、なんとなく働いて、「これだけ働いても、このていどか」と思っていたところが、なにか具体的に商売だな、と目覚めたのである。
というか、いったい、なにをしていたのだろう。会社ごっこ?
というわけで、営業と商売というものが我が社にもたらされた。昭和の零細企業が、令和にアップデートされた。
なんとなく、みな日々の生活に汲々とするところから、すこし前向きになれたような気がする。そして、営業を強化した結果……コロナ禍の時代になった。ついてない。
ゾンビvsコロナ
が、結果が出ていないわけでもない。新しいお客さんもできたし、従来の薄い関係のお客さんともちょっと太い関係になったりした。やっぱり、営業活動は大きいな。そんなふうに思う。新しいサイトも働いてくれている。
いきなり話は政治に飛ぶ。菅義偉総理大臣は、なんとかアトキンソンさんをブレーンにしている。なんとかアトキンソンさんは、日本には中小零細企業が多すぎて不効率だ。大企業に集約して生産性を上げるべきだ論者だ。
たとえば、町に五軒ラーメン屋があって、それぞれに経理などを行っているのは非合理的だ。経理はITなどで簡単になっているのだから、それは統合して、それぞれラーメン作りという創造的な生産に取り組めというのだ(たぶん)。
おれはそれについて納得できるところがある。ある一方で、中小零細企業を潰して、そこであぶれた労働者が、都合よく大企業に吸収されないんじゃないかという気もしている。というか、おれという障害持ちの底辺労働者が新たに安定した職を得ることはできないから怖い、というところだ。
と、さて、上場企業の子会社的存在になった我が社は、なんとかアトキンソンさんの言うところの合理化をしてしまったのではないか、という話になる。
これは微妙なところだ。個人的には、というか、我が社的には、中小零細企業は統廃合されるべき論に反発する気持ちがある。が、我が社、すで統合されてるんじゃね? ということだ。なんだか、世の中、複雑よな。
しかしなんというか、やればできるんじゃないか、という意識が芽生えてきた。それはあった。もっと稼ぐポテンシャルがあったのかもしれない。
が、遅すぎた、という気もする。社員の年齢的に、もう10年早ければ、という気がする。その上に、この新型コロナウイルスだ。なんというか、明るい話にはならない。
が、微妙ながらも、生きていくしかない。いい仕事をしていくしかない。お客さんに親切に対応していくしかない。零細企業の小回りだ。それによって、ライバル会社の案件をひっくり返したりもできた。前からもあったが、そういう話も増えた。……ような気がする。そう信じたい。
そんなのが、おれの勤める零細企業の、特殊な例だ。いや、零細企業、中小企業、それぞれにやり方があって歴史がある。中小企業でも賃金はいいよ、というところもあるだろう。
もちろん、給料出ねえ、遅配だ、ということもあるわけだ。おれもそういう事態に直面したのは一度や二度ではない。ただ、それを一概にブラック企業といっていいかわからない。いや、社会の正義、労働者の権利からすれば、「悪である、ブラック企業である」と言うべきなのだろう。それはわかってる。
でも、人間、そんなに簡単に環境を変えることできねえよな、というのは弱い人間の言うことだろうか? やっぱり人間、環境が変わることは怖いよな、というのがおれの意見なのだが。
もちろん、己の能力、腕前を誇り、職場を転々として成り上がっていく人もいるだろう。でも、そうでもない人間もいるのだ。むしろ、そうでもない人間の方が多いような気がするのだが、さて。
もちろん、一家離散、夜逃げの状況から救われたという恩もある、そういう思いがある。なかなか割り切れないのだ、人間は。
そういうおれのような人間はブラックなホワイト、ホワイトなブラックに首を絞められる。真綿で首を絞められる。そういうところがある。そういう人は、どうすれば救われるのか? おれにはわからない。
意識が低くてなにが悪い
これも一種のやりがい搾取なのかな? まあ、おれに関してはその言葉はしっくりこない。なにせ、やりがいをもって仕事をしてきていないから。
そもそもおれは働くのがきらいだ。好き勝手していたい。ボーッと一日を過ごしていたい。そういう人間だ。最低限暮らせればいい。安酒を買う金があり、週末にいくらか馬券を買えるならそれでだいぶ上等だ。そういう人間だ。
で、こういう人間のなにが悪いのか、と言いたくもなる。だれが悪いと言ったのかしらないけれど。それでも、適当に働いて、それ相応の低賃金を得て、それでなんとなく生きている。そういう生き方があってもいいんじゃないのか。そういう生き方くらい用意されていてもいいんじゃなのか。
皆が皆、意識を高くもって、意識高い仕事をして、一円でもたくさんのお給金を得るべきだ、あるいは起業して一攫千金だ、というのは、ちょっと違うんじゃねえのか、そう思う。
まあ、こんなのんきな主張も今どきは排除されるのだろう。それにおれはかろうじて正社員という立場にあって、非正規雇用の人から見たら贅沢だと言われるかもしれない。昨今の状況で失業してしまった人から見れば、十分に恵まれた立場だと言われるかもしれない。そう指弾されたら、おれには反論の言葉はない。
とはいえ、おれだって気楽に、安心して生きているわけでもない。家族経営的な職場であるからこそ、精神障害者のおれの突然の休みに対応できるところがあるだろう。
しかし、まともな企業のまともな職を得ることはむずかしいのだ。会社に先がなさそうだし、そのなかで最年少のおれの先行きもわからない。それはおれを不安にさせるに十分だし、恐怖さえ抱く。
最年少とはいえおれは若くないし、学歴も高卒だ。資格なんてありはしない。職歴で誇れるものもない。
ただおれは、長年営業マンが存在しなかったこの特殊な会社にしがみつくしかない。しかし、もうそれもタイムリミットが近い。まったく、どうしたらいいんだ。
そうだ、そこのあんた、なにかおれに仕事をくれないか。こんな文章を書くくらいはできる。
いや、もっと率直にいえば、そこのあんた、おれに金を恵んでみないか? 見返りは、ない。
……そんなやついねえか。そりゃそうだ。それじゃあ、だまってこの世からおさらばする算段をしよう。
あるいは、寒風吹く路上で寝っ転がることなるのか。人生は苦しみだ。おれには生きようという意欲がちょっと足りないみたいだ。しょせん、おれはこんなものだし、この世はそんなものだろう。
皆様におかれましては、健全な労働と恵まれた人生がありますように。
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭