少し前に、こんな記事を読んだ。

僕はなぜトヨタの人事を3年で辞めたのか

トヨタでの3年間は決して「歯を食いしばって耐える」ようなつらいだけのものではなかった。むしろ、たくさん鍛えてもらい、貴重な経験をさせていただいた先輩方を心から尊敬しているし、今でも仕事、プライベートを問わず関係を続けられるその懐の深さには感謝の気持ちしかない。

でもぼくは、結果だけ見ればトヨタを3年でやめた。

(中略)

3年目も後半に差し掛かってきて、ふと周りを見渡すと、10人いたはずの人事同期は既に半分以上が辞めていた。

「閉塞感に、耐えられなくなった」

そう言って辞めていく同期達に、ぼくは何も言えなかった。

上の記事には、著者がトヨタをやめるに至った苦悩が、延々とつづられている。

会社を辞めるも残るも自由だ、それはそれでよい。

 

だが、私はこれを読み、思った。

「会社が人生の中心であった時代は、本当に終わったのだな」と。

いわば、滅私奉公の衰退、とでも評すればよいのだろうか。

 

例えば、文中にあった以下のような「会社に尽くす」価値観は、以前は間違いなく「美徳」とされていた

つらいと思ったら、まず3日。3日間は歯を食いしばる。3日頑張れたら、次は3週間。さらにその次は3か月。そして、3年。3年は一生懸命がむしゃらに働きましょう

採用、配置・異動、賃金、評価、時間管理、健康…….。こうした人事労務管理の仕組みはすべて、トヨタが成長し、また、社員がいきいきと元気に働く上で必要不可欠なものです。『花よりも花を咲かせる土になれ』。この言葉を胸に、一生懸命、会社と社員の幸せのために頑張ってください

トヨタは、組織のために我慢せよ、花ではなく土になれと言っている。

これは、特に古くからある日本企業の風土としては、一般的なものだろう。

 

だが今や、上のような価値観は「すべてを会社にささげるのはリスクだが、しがみつくしかない」と、否定的に扱われている。

 

滅私奉公を否定しても、仕事はできる

これを読んで「仕事をないがしろにしているのでは」と思う方もいるかもしれないが、それは全くの見当違いだ。

 

「会社を中心に考える」を否定しても、仕事にコミットすることは可能だ。

むしろ私の周りには、組織の都合である「会社中心」は否定しつつ、生活を仕事と成果を中心に回す「仕事中心」をとる人は数多くいる。

 

仕事中心の人々は、組織の都合に振り回されることを嫌い、働き方、場所、仕事の内容、働く仲間、価値観などに大きな裁量を要求する。

時には複数の組織の間を行き来し、副業やフリーランス的な働き方も辞さない。

 

もちろん代償もある。

「組織に守ってもらう」ことは犠牲にならざるを得ない。

成果を出し続けなければならないし、仕事は自分で獲得せねばならない。

もちろん、キャリアも自分で考える必要がある。

 

しかし、彼らはそうした犠牲を払っても、彼らは「組織の都合」を嫌う。

そんな人が劇的に増えている。トヨタをやめた上の人物も、おそらくそのような考え方なのだろう。

 

滅私奉公は、必然的に廃れた。

しかしなぜ、「滅私奉公」はここまで廃れたのだろうか。

 

一つには「仕事の楽しさが、経営サイドの優先課題ではない」という事実が挙がるだろう

例えば上の記事では、こんな表現がある。

次第に仕事に慣れてくると、大きめのプロジェクトにもアサインされるようになった。労務の知識を付けたいと思い、社会保険労務士の勉強も始めた。

段々とやりがいを感じてきた2年目の12月、突然、上司に呼び出された。

「来月から本社の労政室に異動してもらうから」

……今持っている仕事も、やっと形になり始めたところだった。まずは4年、ここでしっかりと基礎を固めるという方針はいつ変わったのだろうか。

仲の良かった先輩たちに相談すると「まあ、サラリーマンなんて、そんなもんだよ」と言われた。

「サラリーマンなんて、そんなもんだよ」という言葉に象徴される「組織の都合」は、『花よりも花を咲かせる土になれ』と美化されてはいるが、所詮は「つまり、滅私奉公せよ」ということだ。

 

実際、私が知る限り、多くの組織では「仕事を面白くすること」を無視している。

というか、きわめて優先度が低い。

 

実際、「フロー理論」で知られる、ミハイ・チクセントミハイも、次のように述べている。

現在のところ、その仕事の性質を左右する権能を持つ人々の、仕事が楽しいかどうかについての関心は極めて低い。

経営ではまず生産性を最優先に考えなければならず、組合の指導者は安全や保証の維持を最優先に心がけねばならない。

短期的にはこれらの優先事項は、フローを生み出す条件との著しい不一致を生むだろう。これは残念なことである。

 

二つ目は終身雇用の崩壊、個人のスキルの陳腐化の速さだ。

トヨタの社長の発言は、次の通りだ。

「終身雇用難しい」トヨタ社長発言でパンドラの箱開くか

トヨタ自動車の豊田章男社長の終身雇用に関する発言が話題を呼んでいる。13日の日本自動車工業会の会長会見で「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」と述べた。

「会社が守ってくれない」なら、自分の身は自分で守るしかない。会社の都合を守り通しても、それに対して組織が報いてくれるわけではないのである。

それに対して「『花よりも花を咲かせる土になれ』。この言葉を胸に、一生懸命、会社と社員の幸せのために頑張ってください」とは、二枚舌もいいところだろう。

 

会社はキャリアに責任を持たず、また、評価軸だけは劇的に変える。

結果的に専門性はつかないまま、年齢だけ重ねてしまうかもしれないという恐怖は、当然のものだ。

事実、上の記事で、著者は次のように言っている。

数多ある一律の研修を潜り抜けて、うん十年と年齢を重ねてもなお、気づけば専門性はなく、その頃には評価の軸が変わっている可能性だってある。

 

三つ目は成果が上がらないことである。

日本企業はここ21世紀にはいると凋落を重ね、世界の中で負け続けてきた。

これは、滅私奉公に依存するマネジメントの稚拙さを物語っている。

 

事実、出荷台数でははるかに劣るはずのテスラが、トヨタの時価総額をあっさりと抜き去った。

バブル的な株価とはいえ、「トヨタ」よりも「テスラ」に期待している人が現在では圧倒的に多いのだろう。

 

それだけではない。中国の自動車メーカーの躍進も伝えられている。

すでに次世代の主戦場はガソリン車、ハイブリッド車ではなくEVに移行しているにもかかわらず、トヨタは相も変わらずハイブリッドに固執している。

 

実際、古い会社には「保守的すぎて話にならない」と感じることが多すぎるのではないだろうか。

特に、さしたる知識のアップデートもせず、「ま、適当に受け流すか」といった態度をとる、出世競争に敗れた40代以降のおっさん達は、まったく仕事をしない。

終わってんなー、と思う人がたくさんいる。

 

でもそれは彼らのせいではない。

「個」を捨て、「組織」に尽くしてきた結果、生み出されてしまった、悲しい存在なのだ。

彼らにはもう、組織にしがみつく以外に選択肢はない。

そう考えると、哀れですらある。

 

「滅私奉公」に反旗を翻す人々

こうした状況で、「滅私奉公」に反旗を翻す人が、数多く出現している。

 

例えばつい先日、こんなニュースを見た。

「ぶち殺すぞ」「電車に飛び込め」東証一部上場「Casa」社長の“罵倒音声”

「宮地社長が社員に暴言を吐くのは日常茶飯事でした」と語るA氏は、今年6月22日に退職届を提出した。A氏が語る。

「退社したいと申し出たところ、社長に『(辞めるなら)金で解決するしかないやろ、3000万や』と言われ、私が保有する7000万円分の株も置いていくという話になった。弁護士に相談するため、その後のやり取りを録音することにしました」

6月29日、社長室で宮地氏と面談したA氏が「弁護士に相談をして、どう対応するかというのを考えたい」と告げると、宮地氏が「居直っとろうが!」と怒鳴った。

面白いのは、Casaの社員たちの声だ。

まさに「個」を殺して、組織に殉じるような発言をしている。

「Casa」宛てに質問書を送ると、執行役員や監査役、課長ら5名が取材に対応。

宮地氏がA氏に一連の発言をした事実は認めた上で、「我々はコンプライアンス上、問題がないと思っています」と執行役員が回答。

さらに執行役員は「社長の言葉が乱暴であることは否定しません」とした上で、「言葉が乱暴というのは逆に信頼してもらっているのかなと」。監査役は「『街金くずれ』と言われたけど、乗り越えたよね。みんな何か崩れているんですよ、人生。でもここで再生されている」と宮地氏への感謝の言葉を述べた。

ひどい会社だ、と思うだろうが、実は、こういう会社は昔、たくさんあった。

私がコンサルタントとして訪問した会社の中にも、「社長の罵声」が日常茶飯事であった会社は少なくない。

 

実際、私が昔訪問した会社の中には、社長が、

「こざかしい社員は「面倒くさい」ので、社員の頭なんて、悪い方がいい。とにかく素直な奴が欲しいね。」

と真面目な顔でいっていた会社があった。

 

しかし、冷静に考えれば、長期的にはビジネスもうまくいかず、有能な人も集まらないのは目に見えている。

衰退は必然だ。

 

もう「会社」と「社員」は、大人と子供ではなく、「大人」と「大人」

英国の組織論学者である、リンダ・グラットンは著書「ワーク・シフト」の中で、企業経営者に向けて次のように言う。

ほとんどの企業は暗黙のうちに、社員との関係を親と子のような関係と位置づけ、いつ、どこで、どのように、どういう仕事をするのかをすべて決めてきました。

しかし優秀な人材は、大人と大人の関係を望むようになります。どこで働き、どういう仕事をするかをもっと自分で決めたいと主張しはじめるのです。

(中略)

一人ひとりの望む働き方に柔軟に対応しようとすれば、大きな混乱を招きかねないと思うかもしれません。

しかし、テクノロジーの進化により、それは不可能でなくなりつつあります。企業は人事制度を新しい時代にふさわしいものに転換し、柔軟な勤務形態、個人に合わせた研修、チーム単位の職務設計などを取り入れていく必要があります。

「給与」という人質をとって、会社の都合に沿った人生を社員に歩ませようとする組織は、今後何もできなくなる。

冒頭のトヨタをやめた、という記事は表現はマイルドだが、そんな現実を経営者に突き付けているのだ、と感じた。

 

 

 

【著者プロフィール】

安達裕哉

元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。

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