「インターネットやゲームは健康に良くない」と私が意識しはじめたのは、だいたい2000年代のはじめ、ネット依存やゲーム依存の論文を読み始めた頃だったと記憶している。
昔から、大人たちはゲームに難癖をつけていた。
ゲームばかりしていると視力が落ちる、成績が落ちる、不良になる、等々。
けれども大人たちはゲームのことをまるでわかっていないし、わかろうとしていない、という意識が当時の私にはあった。
インターネットについても無知も同然で、テレホーダイの時間に大騒ぎする人々について、精確な知識を持っている人は少なかった。
しかし私が精神科医になってまもなく、にわかにゲーム依存という言葉が耳に入ってくるようになった。
インターネット依存についても同様である。
精神科医として耳にするそうした言葉と、ネット掲示板などで見かける風景、そして私自身がオンラインゲームをやっていて見かける「廃人」プレイヤーの言動は、ある程度まで一致しているようにみえた。
その後もゲーム依存やネット依存については研究が進み、今では国際的な診断基準にゲーム障害(ゲーム症)という病名が登場するまでに至っている。
また、発達障害やうつ病など、その他の精神疾患との関連についても昔よりずっと多くのことが判明している。
その一方で、香川県ネット・ゲーム依存症対策条例のような、ICT化していく社会の流れに逆行する対応策が現れたりもする。
やはり、まだまだネットやゲームのことをわかっていない大人や、わかりたくない大人も多いのだろう。
2021年現在、ネットなしの生活は想像できなくなっているし、ゲームもその裾野は非常に広くなった。
社会のICT化に伴って、オフラインとオンラインの区別、現実と仮想の区別はこれからますます曖昧になっていくだろう。
だからネット依存やゲーム依存が喫緊の課題であることはよくわかる。
だが、今なお釈然としないものを周辺から感じることもある。
ネット依存やゲーム依存の周辺から感じる、釈然としないものを誰も言語化しないなら、私がやるしかないのではないか。
そう思い詰めていた時期もあった。
『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』
ところがつい先日、そんな私の気持ちを掬い取ってくれている書籍が唐突に出版された。
その書籍の名は『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』である。
このタイトルとイラストを見て、ゲーム依存やネット依存で夜更かしをする人を連想する人も多いのではないだろうか。
ところがこの本を読み進めると、そうとも言い切れないことがわかる。
「ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち」とはダブルミーニングである:ゲームやネットをやめられない子どもという意味だけでなく、これからの世代はゲームやネットが所与の環境として存在し、使いこなせなければならない時代を生きていくという意味ともとれる。
このダブルミーニングを知ったうえで表紙のフクロウを眺めなおすと、このフクロウが夜更かしの象徴にも知恵の象徴であるミネルヴァのフクロウにも見えてくる。
ゲーム依存やネット依存になる・ならないにかかわらず、子ども世代はゲームやネットが当たり前に存在する社会を生きていかなければならない。
その大前提に立ったうえでゲームやネットについて考えるなら、”臭いものに蓋”という姿勢や”ゲームやネットは悪者”という姿勢では見落とすものが多いのではないだろうか。
この本の前書きには、以下のように書かれている。
いま世に出ているゲーム・ネット依存を扱った本は、予防や医学的観点からの警告と地用、危険性の啓蒙が中心です。
私は自分自身が子ども、若者だった頃の経験と、診察室の内外で現代の子どもたちと接してきた経験を通して、これまでとは少し違ったポジティブな方向からこの問題に取り組んでみたいと思いました。
ネットとゲームの世界にどっぷり浸かって成長してきた児童精神科医には、子どもたちの世界がこんなふうに見えているんだなと感じながら、この本を読んでいただけたら、とてもうれしく思います。
こう前置きしたうえで、著者の吉川徹先生は、子どもが触れているゲームやネットの世界をさまざまに紹介し、そこに潜むリスクや問題に加えて、そこで繰り広げられる努力や試行錯誤や人間関係にも言及している。
ネットやゲームがもたらすものが害悪ばかりでない。
ネットやゲームをとおしてさまざまに獲得しているものもある。
そしてICT化が進み、さまざまな分野でゲーミフィケーションも進んでいるこれからの社会では、ネットやゲームを避けて通ることはナンセンスにもなるだろう。
もし、親が子どものネット使用やゲーム使用に関わるとしたら、そうしたプラスとマイナスの両面について知っておくことが望ましい。
少なくとも頭ごなしに否定するよりは知るための努力があってしかるべきだろう。
この本では、子どものゲーム依存が心配な場合のアプローチ方法のひとつとして、、親がゲームに関心を寄せ、やってみることを提言している。
お勧めする方法の一つは、子どもと一緒にゲームを遊んでみることです。精神科医の関正樹氏は、子どもの好きなゲームのよいところを三つ考えてみるという方法を勧めています。それによって少し子どもが見ている世界に近づくことができるかもしれません。
それは子どもの遊び方のスタイルや興味関心のあるテーマを理解することにも繋がります。
さらに一緒に遊ぶうちに子ども自身のよいところにも気付けることがあります。思ったより器用だとか、発想が斬新だとか、案外根気があるとか、ゲームを通して子どもの隠れていた一面が見えてくるかもしれません。
私もゲームが好きな精神科医なので、子どもと一緒にゲームを遊ぶことが多いのだが、ここに書いてあることはつとに感じる。
子どもの見る動画や子どもの聴く音楽も、本当にいろいろなことを教えてくれる。
同じゲームでも、兄弟では工夫の仕方や楽しみ方がかなり違う。
自分だけの特訓法を編み出したり、ネットのあちこちから集めた情報を総合的に考えようとしたりする姿も、子どもの性質をよく反映していると思う。
私自身の経験例からいって、子どものゲーム依存やネット依存について相談してくる親御さんは、こうした子どものことを知るためのツールが(ゲーム以外も含めて)不足していることが多い。
子どものことを成績表や偏差値では知っていても、子どもが何を遊んでいるのか・どう遊んでいるのか・遊びをとおして何を得ているのかについてわかっていない親御さんも多い。
そのような親御さんと子どもの間でゲーム依存やネット依存という問題系が生じている時に必要なのは、まず子どものことを成績表や偏差値以外でも知っていくことだと私は思う。
「子どものことを成績表や偏差値以外でも知っていく」ための道筋は本来たくさんあって、たとえば子どもと一緒に登山をする親御さんは登山から、子どもと一緒に釣りをする親御さんは釣りから、さまざまなことを学べる。
とはいえ子どもがゲーム依存やネット依存だとしたら、ゲームもまた子どものことを知るための有力なツールたりえるし、ゲームをとおして(おそらく傷ついてしまっているであろう)親子のコミュニケーションを蘇らせることには大きな意義がある。
正直のところ、ゲームやネットをどうこうするより親子のコミュニケーションを蘇らせることのほうがずっと重要なケースが多いのではないだろうか。
この、「子どものことを知っていく」ためのアプローチを含めて、『ゲーム・ネットの世界から離れられない子どもたち』に記されている対応策のなかには、児童思春期のそのほかの問題への対応策と似ていると感じる箇所も多い。
実際、この本のなかには
ゲーム嗜癖の研究は始まったばかりで、残念ながらめざましい成果はまだあがっていません。そして子どもの深刻なゲームの使い過ぎの問題にはたいていの場合、登校しぶりや不登校の問題が関わっており、問題としてはそちらが主であるのです。
しかも不登校の支援には長い年月と研究の積み重ねがあります。大人の場合はともかくとして、子どもの場合、この不登校への支援の経験を活かさない手はありません。
とも書かれている。
ネット依存やゲーム依存が、それ単体で存在している例に精神医療の現場で出会うことは(私が経験する限りでは)稀だ。
ほかの精神疾患にまず該当しているか、家庭内の問題や学校での問題が深刻化している際にそれが起こったか、そのどちらかがほとんどである。
である以上、ゲーム依存やネット依存そのものの治療も重要だが、ほかにも目配りすべきことはたくさんある。
『ゲーム・ネットから逃れられない子どもたち』は、こうしたゲーム依存やネット依存の外堀にあたる問題をしっかり取り扱うと同時に、社会がますますICT化し、ゲームやネットといったものが生活と不可分になっていく近未来を先取りするかのような、非常に踏み込みの深い一冊となっている。
それだけに、本書で書かれている内容の一部は勇み足かもしれず、将来の研究で否定されるところもあるかもしれない。
それでも社会の変化は私たちを待ってくれないし、ゲームやネットが生活と不可分になっていくスピードは大人が思っているよりずっと早いように思う。
だから私は、この本の近未来に対する踏み込みの深さを頼もしく思うし、たくさんの人に読んでいただきたいなとも願う。
ゲームやネットを活用しなければならない未来を、ここまで見据えながらゲーム依存やネット依存を語りきっている本は類例がないのではないか。
ゲームやネットとは、依存の対象である前に、居場所ではないだろうか
ところで、ゲームやネットへの依存とは、何に依存しているのだろう?──この本を読んでいる間じゅう、私はそのことをずっと考えていた。
ゲームやネットに依存していると、人は言う。
けれども、ゲームやネットとは、たとえばアルコール、たとえばギャンブルに相当するものなのだろうか。
そうであること自体は否定しない。
ゲーム依存の人がゲームをやっている時、アルコール依存やギャンブル依存の人と同じ反応が脳内で起こっているという研究がある。
また、とりわけゲームに関しては、プレイヤーの射幸心をあおったり競争心をあおったりするなど、ゲームに熱中させるための仕組みがどんどん進歩している。
ゲームのプレイ時間や課金額をコントロールするのは、大の大人でも難しい。
そうしたなかで、ゲームやネットの規制について声があがること自体は理解できることではある。
そのことを承知のうえで、現在のゲームやネットは依存の対象であるだけでなく、居場所であり、ゆえにエッセンシャルなものではないかと私は言ってみたい。
私の子どもを見ていても感じるのだが、子ども同士が寄り集まって遊ぶ場所として、ゲームやネットは今では必須だ。
子どもが街の広場や道路から締め出され、公園で遊ぶことすらうるさがられる昨今において、ゲームやネットは子どもでも伸び伸びと遊び、ダベることのできる居場所だ。
新型コロナウイルス感染症によってクラスメートと会うことすら困難になった一時期は、ゲームやネットがほとんど唯一の遊び場になっていた。
まだゲームやネットが発展していなかった頃、子どもはさまざまな場所で遊び、ダベっていたはずである。
いや、ファミコンやスーパーファミコンの時代になってさえ、子どもはあちこちに集まって遊び、ダベっていた。
もっと年上の青少年も盛り場に集まってガヤガヤやっていて、コンビニの駐車場にはヤンキーがたむろしていた。
今はそうではない。
子どもが集まれる場所は公園ぐらいしかなくなり、その公園でも子どもの遊びは昔より制限されている。
めいめいが塾や稽古事に通うことで放課後のスケジュールが寸断され、集まりにくくなっているという事情もある。
ゲームやネットが遊び場や居場所として重要になっていくのと反比例するように、オフラインの子どもの遊び場や居場所がどんどんなくなってきたのがここ数十年の趨勢ではなかっただろうか。
もし、子どもの遊び場や居場所をオフラインに取り戻すことができるなら、子どもが放課後に群れをなして遊ぶことを再び大人たちが許容するなら、居場所としてのゲームやネットを制限することにはまだしも妥当性があるよう私は思う。
だが現実はそうではない。
たとえば2020年1月に香川県はネット・ゲーム依存症対策条例を制定したが、条例が制定されてから子どもが外で群れをなして遊ぶようになったとか、香川県だけ昭和時代のような風景になったとか、そういった話は寡聞にして聞かない。
子どもの遊び場や居場所がネットやゲームぐらいしかない社会を作っておきながら、都合が悪くなったらその遊び場や居場所すら制限し、それで解決したつもりになるのはいただけないと思う。
ゲーム依存やネット依存は、個別の子どもや家庭の問題、または”悪い”ゲームやSNSの問題とみなされがちだ。
もちろんそうでもあるのだけど、大局的には、現代社会における子どもの遊び場や居場所の問題、ひいては、現代社会における子育ての歪さの問題に根差してもいる。
子どもの居場所がもっとたくさんある社会や、好き勝手に遊んだりダベったりできる社会では、高校生がSNS漬けになることも、小中学生が”フォートナイト中毒”になることも、もっと少なくて済んだのではないだろうか。
子どもから遊び場や居場所を奪っておいて、さらにネットやゲームという遊び場や居場所を奪うばかりでは、まるで子どもが救われない。
子どもの身体機能やコミュニケーション能力にも良くないだろう。
もしも大人たちがそのことを知っていて頬かむりをしているのだとしたら、ネットの規制やゲームの規制とはいったい誰のためのものなのか。考え込んでしまいたくなる。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
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