今日は、答えが出ないであろうテーマをみなさんに投げかけたいと思う。
「本とはなにか」
「突然どうした!?」と思うかもしれないけど、最近わたしは、「本ってなんだろう」とよく考えてる。
その理由を自分なりに書いていくので、みなさんにとって「本」がどういう意味をもつのかを教えてもらえたらいいなぁ、というのがこの記事の趣旨だ。
「本」は文字から想像してその世界に浸れるツール
まず、「本」をある程度限定しよう。
この記事でいう「本」とは、文字がいっぱい詰まったものであって、漫画や雑誌、写真集やオーディオブックなんかは除外する。
駅構内にあるフリーペーパーや役所にある冊子なども含まず、「本屋さんに売っている9割以上が文字で構成されているもの」といったイメージで語っていく(この定義に当てはまる紙の本の電子書籍も含む)。
で、わたしのなかで「本」というのは、2つの種類がある。
歴史書やノンフィクション、自己啓発書のように、著者の知識や経験が詰まっていて、読むことで気づきを得られるもの。
もうひとつは、小説やエッセイ、詩集のように、作者の頭のなかにある物語が文字として表現されているもの。
このふたつは「本」としての毛色はまったくちがうが、何時間もかけてそれを読み、想像し、時には読み返し、本棚の中で眠らせ、たまに起こしてまたその世界に浸り……という楽しみ方をする点で変わりはない。
本を読んでいるあいだ、わたしはその世界の住人だ。
リアルのあれこれを忘れて没頭し、時に夜更かしし、その世界のとりこになる。
自分を含め、いままで出会った「本好き」を名乗る人々はみんな、文字の羅列からさまざまな想像をめぐらせ、考え、その本の世界に入りこむことに楽しさを見出しているようだった。
よくよく考えてみると、漫画をよく読む人やいくつもの雑誌を定期購読している人で、「本好き」を名乗っている人を見たことがない。
本の楽しみ方は人それぞれとはいえ、「文字から想像してその世界に浸る」のが、「本」の重要な要素なのかなぁ〜と思う。
「時間をかけずに読めるから⭐︎5」レビューが並ぶ
ところが、だ。
最近、そうじゃない人が増えている気がする。
わたしはよくAmazonの書籍レビューめぐりをしていて、既読本はもちろん、読んでいなくとも話題になっていたらひととおりレビューに目を通している。
本を読むこと自体も好きだけど、他の人が本を通じてなにを感じたかを知ることも好きなのだ。
で、最近レビュー欄でよく見かけるのが、
「2時間もあれば読めます」
「あっという間に読めるからおすすめ」
「わかりやすくて自分でも読めた」
といった高評価コメントだ。
「専門用語が少なくて素人でも理解しやすい」とか、「豊富な語彙力による描写が丁寧で物語に入り込めた」とかではない。
短時間で、とくに頭を使うことなく、どんどんページをめくることができる。
だから「いい本」だというのだ。
んん??
本の楽しみ方は人それぞれだから、その感想を否定するつもりはない。
ただ、見開きを使ってバカでかい文字で「好きなこと以外はしなくていい」なんて書いてある自己啓発本が、「楽に読めるから」という理由で高評価なのには、ちょっと違和感をもってしまう。
だってそれ、ネットで十分じゃん。
わたし自身はそう思うけど、労力を使わなくていい「本」が、高評価を得ているのも現実なわけで。
「本」の概念が変わってきているんだなぁ、と気づいてしまったのだ。
流し読みに最適な本がどんどん増えていく
時間をかけずに読み終えることができ、情報の密度より簡潔さを優先させた類の本を、この記事では「サクサク本」と表現しよう。
サクサク読めるからね。
サクサク本が人気を得る背景には、ネットからの書籍化が増えたことがあると思う。
ウェブ→出版として代表的なのは、やっぱりライトノベルだ。
『小説家になろう』をはじめとした小説投稿サイトからは多くの書籍化作品が誕生しているが、どれも文字が大きく頻繁に改行が使われ、ふりがなもあり、挿絵もある。
剣を交えるシーンでは「キンキン!」、爆発する場面では「ドーンという大きな音」といったように、感覚的にその情景を思い浮かべられる表現もよく見かける。
だれが敵なのかがわかりやすいし、女の子はすぐ主人公を好きになるし、強くなるのもかんたんだし……とにかく、物語がどんどん進む。
多くのラノベでは、じっくり読み込まなくても、読者が展開についていけるようになっているのだ。
まさに、「サクサク本」である(もちろん例外はある)。
もちろん、ウェブからの出版はラノベだけではない。
メルマガやブログといった3000字ほどのコラムをまとめて本にすることも多い。
なんなら、バズったSNS投稿をたたき台に出版することもある。
本屋には、「読者登録数トップ」「月100万PVのブログ」「フォロワー10万人」といった煽りがずらっと並んでいるから、想像しやすいだろう。
ウェブ→出版した本は、デジタルデバイスでさらっと流し読むことを前提に書かれた文章を基にしているから、時間をかけずに読むことができる。
手軽な娯楽として、「サクサク本」はうってつけなのだ。
ひっそりと「本」に対するスタンスが二極化している
ただわたしは、「文字を通じて作者の世界にお邪魔してその世界の住人になる」かたちで「本」を楽しんでいる。
その価値観で測ると、「サクサク本」は、正直とてもツマラナイ。
いや、本の内容をどうこう言いたいのではない。
好きなラノベもあるしね。
ただ、その世界にお邪魔しようにも輪郭がぼんやりして想像が広がらず、そこからなにかに派生することもないから、なんというか……消化不良になりやすい。
「えっなんでそこで友情が芽生えるの? そんな描写あった?」「そんなにあっさり進んじゃうの?」という気持ちになることが多いのだ。
わたしのように「文字を通じて作者の世界にお邪魔し、その世界の住人になる」という認識で本を読んでいる人たちは、想像の余地や深度=その本の質、という認識だ。
想像をより膨らませるため、本にはある程度のボリュームと、密度の高い世界観や濃密な体験を期待する。
行間を読むのが楽しくてしょうがない。
ラストがどうであれ、そこに「余韻」があればヨシ。
「どれだけ追体験できるか」が大事なのだ。
一方で、サクサク読みたいタイプの人は、はっきりとした答えを示してもらうために本を読む。
ネットサーフィンの代わりに本を手にするのだ。
だから、読むのに疲れないデザインや簡潔な文章、わかりやすい結論・結末を求める。
なぜそのキャラクターが主人公に恋をしたか、という背景が曖昧でも、「このキャラは主人公が好きなポジションなんだな」とわかればそれでいい。
余韻ではなく、「納得」があればそれでヨシ。
「サクサク本」が好きな人からすれば、わたしのような本の楽しみ方は、ひどく大仰で回りくどく、読むのに疲れるものなのだろう。
「そこまでして読まなくていいや」となるかもしれない。
どちらがいい、悪い、の話ではない。
ただ、「本」に対するスタンスが二極化してるんじゃないか、という話だ。
読書とネットサーフィンが類義語になる未来に、なにを思う?
今後はいまよりももっと、「ウェブの延長線上の読書」が一般的になっていくだろう。
出版する側としては、ウェブに近い本のほうが読者層が広がって気軽に手にとってもらいやすいし、ネットですでに知名度があるから売り上げをある程度期待できるしね。
で、どんどん「頭を使わなくていい本」が増えていくのだ。
「本」は、文章によって閉じ込められた別世界にトリップできる特別なものではなくなり、ウェブよりも少し多くの文章をひとまとめにしたのものになる。
ウェブから出版された本の割合が増えているのだから、「本」ならではの要素が薄まるのは、当然といえば当然かもしれない。
それ自体が悪いことではないんだけど……「読書」と「ネットサーフィン」が同じ土俵で語られる未来を思うと、なんかちょっとさみしいなぁと思う気持ちがある。
「サクサク読める本がいい本」という声が大きくなることで、簡潔な表現がどんどん増えて、改行が多様されるようになるかもしれない。
行間に思いを託すからこそ想像で補う楽しさがあった物語は、「よくわかんなくてつまらない」と見向きもされなくなるかもしれない。
だから思うのだ。
「本ってなんだろう」と。
「本ってどうなるんだろう」と。
あなたにとって、「本」とはなんだろう。これからどうなってほしい?
ネットの発展で「本」にこだわる必要がなくなった現在だからこそ、「本とはなにか」という根本的な問いかけを、わたしたちはされているような気がする。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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Photo by Beatriz Pérez Moya on Unsplash