コンサルティング会社にいたころは、会社として「読書」が推奨されていた。
推奨、というと柔らかく聞こえるが、もちろん、上司が薦めた本は一読しておくのが半ば義務となっていた。
コンサルティング会社というのは、そういう所だ。
なお、形式上の評価項目には、そのような項目はなかった。
が、勉強会などで「読んでいない」ことが発覚すると、「知識不足」「勉強不足」と周りから認識され、暗黙の評価が下がってしまうことが予想された。
ただ、上司の名誉のために言っておくが、漫画や小説はリストになかったが、基本的に上司が薦めてくる本は良い本がほとんどで、個人的には、外れはほとんどなかった。
会計、人事、戦略、品質管理、システム化、マーケティング……
仕事に必要な知識は、現場経験や社内のノウハウだけではなく、読書からもかなり仕入れることができたため、上司がそうした本をリサーチし、薦めてくれるのは、むしろありがたかったとも言える。
本を読まない人たち
ところが。
中には「本を読まない人」もいた。
それなりの数。
本が苦手なのか、評価を気にしないのか、すでに大量の知識があり、不要だと考えているのか。
とにかく、彼らは推奨された本を読まなかった。
特に、新卒や若手を数多く採用するようになると、「本を読まない人」も増えた。
そこで上司は、「本を最低月10冊以上読む」というルールを作り、それを徹底するようにマネジャー層に指示をした。
読んだ本について、日報の中で報告させるようにもした。
ところが、そういうルールをつくっても、やはり、読まない人は何を言われても読まない。
かろうじて「10冊」に目を通していたとしても、大して頭に入っていないので、結局読んでいないのと、大して変わらない。
そのような人は、日報も薄い内容であり、目を通してがっかりさせられることも少なくなかった。
読まない人たちの言い分
そんな「読まない」人たちは、いったい何を考えているのか。
私は不思議だった。
そこで「読まない人」に、なぜ読めないのかを聞いてみた。
すると、帰ってきた答えは、「読みたいとは思うが」という前置きの後に、
・時間がない
・面白くない
・難しい
といった、普通の回答があった。
彼らは、読書のために時間を割こうとしなかったし、「楽しくない」という理由で、挫折していた。
中には「プライベートの時間を使いたくない」とほのめかす人もいた。
「絶対に読め」というべきだろうか
ここにきて私はマネジャーとして、彼らに「絶対に読め」というべきかどうか、非常に迷った。
彼らのためではない。
言ったところで読まないので、いうだけ損だ、と思ったのだ。
しかし、彼らの会社でのキャリア、評価、そして今後の会社員人生を思うと、言わないで放っておくのも、なんだか不親切に思われた。
いったいどうすればいいのだろう。
私はそれを、敬愛する一人の人物に相談した。
すると、彼は「放っておけばいいんじゃない?」と言い、J・S・ミルの「自由論」を引用してくれた。
物質的にであれ精神的にであれ、相手にとって良いことだからというのは、干渉を正当化する十分な理由にはならない。
相手のためになるからとか、相手をもっと幸せにするからとか、ほかの人の意見では賢明な、あるいは正しいやり方だからという理由で、相手にものごとを強制したり、我慢させたりするのはけっして正当なものではない。
これらの理由は、人に忠告とか説得とか催促とか懇願をするときには、立派な理由となるが、人に何かを強制したり、人が逆らえば何らかの罰をくわえたりする理由にはならない。
この、「相手にとって良いことだからというのは、干渉を正当化する十分な理由にならない」という一節は、私のマネジャーとしての考え方に、大きな一石を投じた。
「言ってもやらない人」は、基本的に放置
私は、自分の子供に対しては、本を読むように言う。
また、そうした環境を整えようと、強く思い、干渉もする。
しかし、赤の他人、しかもいい大人に対して「本を読め」と強制するのは良くないことだ、と、そのときの私は結論付けた。
彼らは本を読まないことで、直接的に他人に迷惑をかけているわけではないからだ。
もちろん、知識が不足していて、クライアントに迷惑がかかる可能性もある。
ただ、それが本を読まないことが原因なのか、と言われたら、断定はできない。
究極的には、仕事が要求しているのは、クライアントの満足であり、彼らの読書ではない。
私は、仕事で障害が起きたり、クライアントのクレームが来ない限り、「言ってもやらない人」は、基本的に放置することに決めた。
もちろん、「知識不足」を問われ、彼らの社内での評価がさがるかもしれない。
会社が推奨していることをしないことで、彼らの立場が悪くなるかもしれない。
だが、それは彼らの選択の自由の結果だ。
「自由論」によれば、私の干渉は正当化されない。
そう考えた。
愚行権という基本的人権
少し前に、「愚行権」という権利についての記事を読んだ。
その中で、アルコール依存症の患者にたいして、「飲んで死ぬのも本人の権利かもしれない」という、ラディカルな言説を見つけた。
「いまでもよく覚えているアルコール依存症の利用者の方がいるのですが、訪問すると『酒を買ってきてくれ』と言うのです。
ヘルパーの仕事は掃除、洗濯、買い物が基本ですけれど、アルコール依存症の方にお酒を買ってくることは、医療的観点からも社会福祉的観点からもいけないわけです。
でも、『なんで自分の年金で酒を飲んじゃいけないんだよ』って言われると、それもそうだなと思います。飲んで具合が悪くなるのも、死んでしまうのも、本人の権利かもしれない。基本的な人権の中には本来、愚行権というものがあるべきはずだと、私はいまでも思うんです」
もちろん、私はアルコール依存症の方に対して「飲んで死ぬのも本人の権利」とまでは思わない。
彼らは病人であるし、さすがにそれは冷たすぎる。
が、いい大人で、社会人としてキャリアもあり、しかもコンサルティング会社の社員が
「本を読まないことで、評価が下がるかもしれない」
ことを選択しているのなら、それは本人の自由だ。
彼らは子供や病人ではない。
分別のある大人だ。
「言ってやらないなら、わざわざいう必要もない。」
それが、結論だ。
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【著者プロフィール】
安達裕哉
元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。
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