活字中毒が申し上げること

おれは街なかでコンビニを見るたびに、「ヨシッ、文化がある」と思う。

コンビニの明かりを見るたびにそう思う。

 

コンビニのなにが文化なのか。

それは、そこで売られているであろう新聞や雑誌についてである。

 

それが、おれにとっての「文化らしさ」なのだ。

これに気づいたのはずいぶん前だ。

新しい街に引っ越してきて、そう感じた。

 

もちろん、本そのものを取り扱っている本屋、古書店、そっちの方がより「文化らしい」。

会社からの帰り道、寄れる古本屋があったときは、「文化があっていい」と思ったものだ。

 

もっとも、その古本屋も潰れてしまった。

街から本屋が消えている。

そんなデータは、ちょっと検索したらすぐに出てくるだろう。たぶん。

 

でも、コンビニにはスポーツ紙と雑誌が置いてある。文化だ。

 

活字だけが文化なのか?

もちろん、コンビニには本格的な哲学書だとか、古典文学全集だとか、最新のコンピューターサイエンスの技術書が置いてあるわけじゃない。

 

そこに並んでいるのは、嘘だらけのゴシップばかり載った芸能週刊誌かもしれないし、野球や競馬が一面のスポーツ紙だろう。

もちろん、漫画雑誌も売っている。

 

それでいいんだ。紙に印刷された何かが売られている。

それがおれにとっての「文化らしさ」だ。

 

たとえば、コンビニに似た形態の、大手スーパーのミニ店舗(なんていえばいいのか?)なんかもある。

でも、そこにおれは文化を感じない。

 

むろん、そこで売られている加工食品も、野菜も、肉も、魚も食文化といえる。

すぐれた料理人にとっては、コンビニの雑誌よりも、旬の野菜のほうがよほど得難い文化だと感じるかもしれない。

 

が、おれはそうじゃないんだ。

スポーツ新聞が、三流週刊誌が、おれにとっての文化なんだ。

わかってくれるだろうか。

 

出版文化の裏切り者

……と、偉そうなことを言っておきながら、正直に告白しよう。

おれがコンビニで買っている文化は、金曜と土曜に競馬目的で買う夕刊タブロイドと、月に一度の競馬月刊誌だけだ。

あとは、年に一度、プロ野球の選手名鑑を買うこともあるだろうか。そんなものだ。

 

そんな人間が、「コンビニには文化がある」などと言えたものだろうか。

ああ、でも言わせてください。

昔、まだ、いくらか生活に余裕のある未成年のころは、漫画雑誌だってたくさん買っていたんです。

 

って、回顧しているあたりがもうだめだよな。

ああそうだ、正直に言えば、リアルな書店で本を買うことはほとんどなくなった。

インターネットで買ってしまう。

街の本屋が潰れる? おれのせいだ。

 

わかっちゃいるけど、やめられない。だって便利なのだし。

 

で、便利ついでに言えば、おれはほぼ毎週図書館に通って、制限の六冊(うちの自治体ではそうなのです)の本を借りたり返したりしている。

それで、本棚を見て本を買うことの代償にしてしまっている。

 

なにせ、図書館はタダだ。

税金を払っているから……という遠回しな言い方はやめよう。

おれは本を買う金がないから、図書館に通っている。

図書館は文化だ。文句あるか。……作家さんには文句ありそうだな。

 

本が売れない? おれのせいだ。

 

情報のタダ飯食い

紙の雑誌も売れなくなっているのだろう。

それも検索すればすぐデータが出てくるだろう。

なにせ、われわれにはインターネットがある。

無料で読める範囲ですら、すべて追うことは不可能だ。ネットには情報に溢れかえっている。

 

では、インターネットは文化か?

実のところ、それほど「文化らしい」とは思っていない。

街角から本屋が消え、コンビニの雑誌棚が縮小され(成人向け雑誌の取り扱い停止も、実のところ社会倫理などより「あまり売れない」のが理由だったりするらしい)、一方で、皆が持ち歩いている小さな四角いやつ、そこから無限に近い情報にアクセスできるようになった。

 

だったら、みんな文化なのか? 文化が偏在しているのか? どうもおれにはそういう気がしない。

なんというか、それは単なる情報端末なんだ。便利だけど、文化じゃない。

インターネット文化はあるけれど、インターネットは文化じゃない。

 

老害の言うこと

ここからはもう、両足どころか肩くらいまで老害の沼にはまった人間の言うことだ。

おれは電子書籍というものがどうにも苦手だ。

小説にしろ、漫画にしろ、不思議と「読んだ気がしない」のだ。読みにくい、とは感じない。ただ、読んだ気がしない。

 

便利だとは思う。

物理的に場所も取らない。

けれど、おれのような古い人間には、紙から感じるものがないと、どうにも頭に残らない。

紙の手触り、印刷物の存在感、なんだかわからないが、老害の言いそうなことはいくらか思いつかないでもないが、はっきりした理由はわからない。

 

いや、あるか。

おれが成人するころまで、そんなものはなかった。

だから、頭の回路がそれに対応するようにできていない。

慣れていない。それだけだ。

 

あと、ちょっとつけ加えるなら、おれの仕事がDTPであるということだ。

紙や屋外用インクジェットシートに印刷されるものを日々作っている。

ときどきWebも触ったりするけれど(WordPressをわからないなりにいじって、直感でphpを書き直したりしてます、はい)、やはり印刷されてなんぼなのだ。

 

もちろん、印刷物の校正はプリントしてなんぼ。

絶対に画面じゃわからない。

でも、マクルーハンの透過光と反射光の話は信用できるかどうかわからない。

おれにとっては経験則というか、経験そのものの話だ。

もっともっと若い世代なら、紙よりモニタで誤植を発見できるかもしれない。

 

話を文化に戻して、懺悔します

話が逸れた。完全に逸れた。まあいい。

おれにとっては、紙に印刷された何かが売られていたら、それは文化的なものである、という話だ。そういう話だった。

 

一方で、おれは紙に印刷された何かが売られている店をすすんで潰すようなことをしている。そういう話だった。

その前提を話していなかった。

おれは「文化的なもの」が好きだ。

なにやら偉そうだが、おれにとっての「文化的なもの」が夕刊タブロイドであることは先に述べた。

 

ともかく、文化がなければだめだ。文化はあったほうがいい。

たとえおれが利用しなくても!ああ、なんという欺瞞、傲慢。

街なかに文化があったほうがいいよね、と言いながらインターネットで本を書い、図書館で本を借りては文化的なものにお金を流さない。

 

このテキストをもって、懺悔ということにしてくれないだろうか、という具合だ。

そんなつもりはなかったが、なんかそういうことになってしまった。

 

コンビニには新聞と雑誌を売り続けてほしい

それでも、このお願いだけはどうしても、というところ。

コンビニから新聞や雑誌の類がなくなってしまうこと、それだけはやめてほしい。

 

コンビニというのはだいたい全国にある。

もちろん、都会には多いし(多すぎるし)、地方には少ない。

けれども、本屋さんの数よりは絶対に多い。

歯医者さんの数よりは少ないかもしれないが(これには自信がないので調べてください)、ともかく多い。

 

それが日本の文化を支えているのだ。……とまでは言わない。

言わないけれど、新聞や雑誌があるほうがいい。

だれにとっていい。子供にとっていい。

子供というか、中高生とかそのくらいを想像しているのだけれど、なんだね、なにか教育上よくない内容であっても、そういうものが物として存在していることに価値があるような気がしている。

 

……というのも、時代遅れの言うことだ。

彼らは、やはり四角い情報端末を駆使して、おれが中高生だったころには得られなかった情報に、簡単にアクセスできてしまう。いや、アクセスしている。

それ自体に問題はあるのかないのかわからないが、もはやそういうものなのだ。

 

というわけで、紙の文化だのなんだの、そんなのは時代遅れというか、もはや化石なのかね。

人口のボリュームを考えたら、まだいくらか紙文化も残るだろうが、いずれは趣味的なものになってしまう。

マニュアル車みたいな感じ? 自動運転の時代なのに、ギアを自分で操作するの、おじいちゃん?

つーか、お前もインターネットでニュース読んで、紙の本もネット通販で買ってるじゃねえか、じじい。

 

おれはおれに論破されました

というわけで、おれはおれに論破されちゃいました。

いや、そんなはずじゃなかったのにな。

街角のコンビニの明かりが、文化の光に見えるという、そういう話をしたかったはずだ。

 

でも、それはもうノスタルジーの世界に追いやられたほうがいいようだ。

図書館というのもやがて電子書籍化されるのだろうし(これは本当にあまりイメージがわかないが)、新聞もスポーツ紙どころか一般紙までなくなっていく。

 

音楽だってそうだ、CDショップなんてものは本当に見かけなくなった。あれも文化だった。

まあ、その一方でおれはサブスクリプションというものをあまり信用していないので、逆にCD(投げ売りされているような中古が多いが)を買うようになったりもしているのだが。

 

……でも、あたりを見回してもCDプレイヤーと呼べるものはないな。

データとして取り込んで、例の小さな四角い携帯端末に入れてしまう。

 

なにが言いたいんだおれは。わからなくなってきたな。

よくあるフィジカルメディアへの追悼だろうか。そうなのかもしれない。

べつに若いやつらじゃない、おれが、おれ自身が裏切って、殺してきたものだ。盗っ人猛々しい、というべきか。

 

やがておれも、紙の競馬欄に赤ペンという長い習慣から離れることになるのだろうか。

というか、もう相当前から紙の馬券を買う習慣はなくなってしまった。

競馬場に行ったとしても、馬券は携帯端末から買う。

金を失う実感を失う?むしろ、購入と払い戻しの履歴を正確な数字で見せつけられる方が、よほど怖いことなのだぜ。って、また話が逸れたか。

 

それでもみなさん、文化を大切に

というわけで、グーテンベルクの文化にはもうグッバイ。そんな時代になった。ここに宣言します。

そしておれは老害だ。

判子文化なんかが馬鹿にされるし、おれも馬鹿にするけれど、一方でおれは電子化が進んでいない馬鹿な老害として嗤われる側に立ってしまった。

 

いやあ、時代が進むってのはこういうことなんだな。

「おれが歳をとるごとに、時代は進み、その先端とともにある」なんてのは妄想だ。

どっか昔の自分の体験、長く感じるであろう思春期にとらわれちまう。

 

と、そこの若いの、あんたもそうだ。そうに違いない。

おれの紙文化愛に「何いってんだ?」と思ってるあんた。

あんたもきっといつか、「いまだに電脳化しないで携帯端末なんて使ってる老害がいるぜ」なんて馬鹿にされるときが来る。

 

それでもなあ、なんだ、なんだかよくわからないが、文化は残ったらいいな。

むしろ、古いものをデジタル化して残せるようになった時代だ。

多くの人にとってアクセスも容易になっていくだろう。

 

おれは紙文化と一緒に火葬されていなくなるけれど、あとは頼んだぜ。それじゃあ。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Li Lin