もう随分と前の話だが、何かのイベントで昔の同級生と再会をしたことがある。

 

20年ぶりの偶然に驚き近況を聞くと、一人親方で立ち上げたエンジニアリング会社が軌道に乗って、50人の社員を雇うまでに成長しているという。

そして再会の懐かしさのまま居酒屋に場所を変え話を重ねるが、その席で彼はふと、こんなことを話し始めた。

 

「俺はウチの社員を全員、金持ちにしてやりたいという夢を持っている」

「俺を選んでくれたんだ。業界水準の倍は金を渡してやることが、経営者としての目標だ」

 

そして自分にはそれだけの能力があること、社員とその家族には幸せになって欲しいと願っているし、してみせるなどといったことを熱く語り続ける。

 

いかにも勢いのある経営者の熱さだ。

そしてさぞ良い会社経営をして従業員に慕われているのだろうと、普通は思われるかも知れない。

 

しかし私はこの話から、彼の会社はきっと長くもたないだろうと思った。

さらに言えば、きっと従業員の心も掴んでいない裸の王様なんだろうということも。

それはなぜか。

 

「わたしにはわかりません」

話は変わるが、私は以前、原因不明の嘔吐に悩まされていたことがある。

やや不衛生な話で恐縮だが、毎朝家を出て10mも歩くと途端に気持ち悪くなり、吐いてしまうことが2週間ほど続いた。

 

当時の私は、ある中堅企業で事業再生責任者のポジションにあった。

そして事業再生の現場は本当に、心身ともにキツい。

お金がないことはもちろんだが、何よりもキツイのは負の感情が、組織の幹部から末端にまで強烈に沁み渡っていることだ。

 

経営が悪化している会社では長年に渡り、給与の引き上げなど凍結されている。賞与などあるはずもない。

残業代の支払いも渋く、従業員にとっては「将来に希望はなく、頑張っても報われるわけがない毎日」が永遠に続く。

 

ステークホルダーも当然のことながら皆、殺気立っている。

銀行は追加融資どころか、リスケ(リスケジュール:返済の繰り延べ)も受け入れない。

株主によっては、「1/3の価格でいいから買い戻して欲しい」などと、出資を剥がしにかかってくる。

 

要するにあちこちから火が吹いており、優先順位などつけられないほどに全てが緊急事態の状態というのが、事業再生の修羅場だった。

 

そんなある日、少し知恵を借りようと銀行に務める友人とランチをともにした時のことだ。

友人は私を見るなり驚き、こんなことを言った。

 

「おい、大丈夫か?なんか痩せたようだし、少し顔色も悪いぞ」

「そうか?全然問題ないぞ。忙しいけど気力も充実してるし、飯も酒も今まで通り楽しんでる」

 

「気力はそうなんだろう。でもだからこそ、自覚する前に体から壊れるからヤバいんだよ」

「おい、脅かすなよ・・・」

 

そう言われると、2週間ほども続く原因不明の嘔吐も気になっていないわけではない。

正直強烈なストレスのピークにあることは自覚していたので、もしかしたら心因性のものなのだろうか。

そんなこともあるかも知れないと考え、ふと気まぐれに仏教に関する入門書を何冊かポチり、手に取ることにした。

 

なぜ仏教かと言われたら、特に根拠はない。

ただ中世以前の日本人は、社会不安が起きると繰り返し仏教に頼ってきたようだ。

莫大な国費を投じてまで繰り返し仏教に頼ったからには、きっとそこには人の心を靖んじる具体的な力があるのではないか。

そう考えての、自分なりのメンタルケアだった。

 

そしてその時に出会ったかなり緩い、それでいて忘れられない1冊が「仏教ではこう考える」という本だった。

浄土真宗のお坊さん、釈徹宗さんが一般市民や檀家から寄せられた疑問・質問に丁寧に答えていくという問答集である。

そしてその中に一つに、私の転機になった9歳の女の子からの、こんな質問があった。

 

「死んだら天国に行って、悪いことをした人はじごくへ行くって、本当ですか?」

この質問に釈さんは、「私は仏様でも神様でもないのでわかりません」と答えた。

さらにダメ押しで、「悪い人が地獄で、いい人が天国という話が本当かもわかりません」とまでいい切ってしまう。

 

幼い子ども相手の宗教問答であれば、勧善懲悪的な例え話でも聞かせて“教育的な”結論に落としても良さそうなものである。

にも関わらず釈さんは容赦なく、自分に答えられることだけを真摯に回答する。

 

そして合わせて、こんな話を語って聞かせた。

“昔、白隠というお坊さんがいました。ある時お侍が訪ねてきて、「地獄や極楽はあるのでしょうか」と尋ねました。
白隠は、「そんなことが気になるとは、お前は相当な腰抜け侍じゃな」と言うんです。侍はものすごく怒って白隠を刀で切ろうとします。

まさに刀が振り下ろされようとする瞬間、「それっ!そこが地獄じゃ!」と白隠は気迫のこもった声で言います。
侍ははっと気づいて、慌てて刀をおさめ、その場に膝をついて「ありがとうございます」とお詫びとお礼を述べます。
白隠は「それ、そこが極楽じゃ」と、にっこり笑ったそうです。“

引用:学研新書「仏教ではこう考える」p18

この話を、どのように解釈されるだろうか。

 

侍は、自分の期待するような答えを言ってくれなかった相手に腹を立て、助言にも耳をふさいだ。

さらに、目的を見失い怒りの感情に任せ、あろうことか切って捨てようとまでした。

 

これほど身勝手な行動はなく、また許されるはずもないだろう。

そしてその時、明確に気がついた。「これ、俺じゃん・・・」と。

 

私は自分の思い通りの答えや結果が出ない原因を他責に転嫁し、勝手に腹を立てているだけだった。

銀行が金を剥がしに来ることに「困ってる時に頼りにならない」と毒づき、モラルが崩壊した工場の現場にも「よくこんな事ができるな・・・」と批判的な感情しか持っていなかった。

 

しかし相手の立場になれば、当たり前だが悪いのは会社の方である。

にも関わらず私は何とかして相手を説得し、時には相手の非を責めて、何とかして状況を「改善」しようとしていた。

それでは問題が解決するはずもなく、さらにストレスを溜めて苦しむのは当然ではないか。

 

そう気がつくと、自分のやるべきことはすぐに理解できた。

私のすべき仕事は、自分の力を過信した力技の突破ではない。

相手を自分の意志通りに動かそうとするような姑息な会話術も、強引なディベートも必要ない。

 

「助けてください」

「わからないので教えて下さい」

「当社にできることはこれだけです」

 

という素直さこそが、私に必要な態度だ。

自分や自社のできること・できないことを素直にディスクローズし、相手のできること・できないこととすり合わせる真摯な姿勢である。

 

相手の望みにできるだけ近づこうと努力し、それでも協力を得られないのであれば諦めるしか無い。

できることには誠心誠意取り組むが、できないものはできないのである。

それが事業再生に取り組む、私が採るべき本質的な態度なのではないか。

 

そう理解できると不思議に、私は本当に素直になれた。

そして従業員やパート・アルバイトさんにも、

 

「わからないので教えて下さい」

「ここ本当に困っています、助けてください」

 

と素直に口に出せるようになると、急に空気感が変わった。

 

「なんだこいつ、仕方ないなあ」とばかりに、多くの人が一肌脱ぎ、力を貸してくれるようになった。

それはステークホルダーも同様であり、逃げ腰でしか無かった人たちが足を止め、お互いの接点を探し始めてくれた。

 

そしてその時に改めて、白隠の昔話が心に沁みた。「なるほど、ここが極楽なんだ」と。

気がついたら、私の原因不明の嘔吐は止まっていた。

 

結局素直なリーダーが一番強い

話は冒頭の、私の同級生のことだ。なぜ従業員に倍の給与を出すことが夢の彼の会社が、長くもたないと思ったのか。

 

従業員はそもそも、幸せになる手段の一つとして経営者や会社を選んでいるだけであり、経営者や会社に幸せにして貰おうとなどと、期待していない。

「社員運動会」「週末の飲み会」と同じであり、経営者の価値観を「こうすれば幸せなんだろう」と押し付けられても、ただの迷惑である。

 

経営者にできることは、「従業員がそれぞれの価値観で幸せになるための支援」程度のことだ。

自分が幸せにできるなどという考えは、思い上がりでしか無い。

 

実際に彼は、高くない利益率で従業員に多くの給与を支払おうとしたのだろうか、異常な長時間労働を従業員に課し、その後、労働局の指導を受けるようなことまでやらかしていた。

 

そして程なくして廃業したと聞いたが、最後には若手社員を何人もうつ状態に追い込んでいたそうだ。

経営トップの勝手な価値観で従業員を壊した、最低最悪の典型的なブラック企業経営者である。

 

不思議なことだが、勘違いしたリーダーほど

 

「俺はこんなに仕事ができるんだぞ!」

「俺に何でも聞け、知らないことはない」

 

と自分の力を誇示し、見せつけ、従業員や部下の尊敬を勝ち取ろうとする。

そして往々にして、そんなリーダーは尊敬を集めていない。

 

その一方で、「わからない」「教えて」「助けて」を素直に口に出せるリーダーは、何故か尊敬され好かれる。

そしてこの言葉を素直に口に出せるリーダーほど、本当は何でも把握し、わかっている。

 

逆に言えば、わかっているからこそ「わからない」を言える余裕があるということだ。

必死になって体を大きく見せようとする動物ほど実は恐怖に震えており、余裕のある動物ほど自然体であるのは、人間も同じなのだろう。

 

私には、リーダーにとって必要な素養についての信念がある。

それは、結果に対し絶対に責任を取る強い覚悟と、「助けて」を口に出せる素直な心だ。

 

信頼の気持ちが本気であれば、余程のことがない限り部下であれ取引先であれ、力になってくれるものだ。

この言葉は相手に対する心からの信頼の裏返しであり、そして勇気を持って自分の心を晒け出す魔法の言葉なのだから。

 

 

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(2024/12/6更新)

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

先日自室に初めてゴキブリが出現し驚いたのですが、ティッシュの箱で難なく叩き潰せました。

なんか昔に比べ、ゴキブリさんチョロくなってませんかね。

昔は激闘の末に、結局逃げ切られることの方が多かったのですが。

twitter@momono_tinect

fecebook桃野泰徳

 

Photo by Ricardo Reis