数年前の話になるが、かつて主婦ブロガーのカリスマとして人気を博したMの代理人から、私のブログにメッセージが届いた。
事細かには覚えていないが、要するに
「Mについて書いた記事を直ちに削除しないと、発信者情報開示請求をする。更に名誉毀損で訴えて、損害賠償請求をするぞ」
という脅しが、高圧的な調子で書かれていた。
弁護士を名乗る人物からそのようなメッセージを受け取るのは初めてのことだったが、私は慌てはしなかった。
しかし、冷静には受け止められず、逆上した。
こうあからさまに舐めた態度を取られると、血が逆さに流れるような錯覚に陥る。
腰から背中、首筋へと向けて、熱した血液が鉄砲水のように噴き上り、その熱さが一気に脳天へと突き抜けるのだ。
「何を言いよらあ。こんなもん寄越して私が引っ込むとでも思うちゅうがかえ?おんしゃぁ、舐めたらいかんぜよ!」
(訳:何を言っているのかな。こんなものを寄越して私が引っ込むとでも思っているの?あんた、舐めてもらっちゃ困るね)
脳内に浮かぶのは、普段は使わない郷里の言葉、土佐弁だ。
現代の高知県民は、誰も「ぜよ」なんて言わない。
そもそも女言葉ではないのだが、こんな時には夏目雅子の気分で啖呵を切りたくなるのである。
とはいえ、怒りに我を忘れるのは一瞬のことだ。
沸騰しているおかげで血の巡りが良くなり、むしろ頭は冴えてくる。
私は据わった目でパソコン画面を見つめながら、考えを巡らせた。
何故こんなメッセージが送られてきたのかについては、心当たりがあった。
ネットでMの名前を検索すると、私のブログが上位に表示されるからだろう。
私がMについてブログに書いたのは、たった1度きりのことだ。
けれど、その記事が思いがけず拡散され、多くの人に読まれていた。
Mは、夫婦関係や子育てなどをテーマに自分の家庭をネタにし、私生活を赤裸々に綴るスタイルで人気を得た主婦ブロガーだった。
しかしながら、ブログに綴られた内容と実態には乖離があったようだ。
円満を装っていた夫とは、セックスレスや生活のすれ違い、性格の不一致を理由にすでに離婚が成立しており、更に親権を手放して、子供たちとも別れていたことがM本人によって発表された。
そして、これまで嘘をつきながら活動を続けていたことへの謝罪があった。
話がここで終われば良かったのだが、離婚の発表からあまり間を置かず、再婚していた事実が明るみに出て問題となったのだ。
再婚はMが自ら明かしたのではない。
再婚相手で有名ブロガーだったEが、愚かにも「Mと結婚しました」と自身のブログに書いて公開してしまったのである。
離婚から再婚に至るまでのスピードが早過ぎるのだから、不倫が疑われるのは火を見るよりも明らかだ。
Mは慌ててEと再婚に至るまでの経緯を語り、不倫ではないことを印象付けようとしたが、不自然すぎる説明がかえって墓穴を掘る結果になってしまった。
Mのファンは主に子育て中の主婦層だったから、不倫はまずい。
不倫の末に、まだ幼い子供たちを置いて家を出たのはもっとまずい。
騙されたと腹を立てた彼女のファンや、炎上を面白がるネット民たちによって、MとEがSNS上で交わしていた不倫を匂わせるやりとりが次から次へと掘り起こされた。
私はただ、それを拾ってブログにまとめただけである。
記事に引用したのは、当事者であるMとE本人たちのブログ記事とツイートであり、私が噂を捏造して広めたわけでも、事実を歪めたわけでもない。
本人達が公開で発信していることしか載せていないのだから、名誉毀損もへったくれもあるものか。
代理人のアドレス宛にメッセージの返信をする前に、私はまずその代理人の名前を検索してみることにした。
すると、Web上に派手な広告を出している弁護士事務所に所属する、若い弁護士であることがすぐに分かった。
その事務所は、「インターネット上のトラブルに強い」と看板を掲げていた。
ネットの書き込みの削除依頼は、1件につき5万円で引き受けると宣伝している。
続いて、Mの名前を検索した際に上位表示される、他のブログを順に訪ねてみた。
すると、この時点で既に3人のブロガーが、「Mの代理人から記事の削除要請が来た為、不本意ですが該当記事を削除いたしました」と報告を出していた。
どうやら、ブログにメッセージボックスを設けていたり、連絡方法を載せているブロガーは、みな同じメッセージを受け取ったようだ。
私のように血の気が多くなく、争いを好まない方々は、面倒を避けるため素早く記事の削除に応じたのだろう。
「へぇ。代理人を名乗って、こうしてメッセージを一通出すだけで5万円か。ボロい商売やねぇ」
私は画面を睨みながら、キーボードを叩き始めた。
喋るにせよ書くにせよ、私は腹を立てた相手には言葉遣いが丁寧になる。慇懃無礼は得意とするところだ。
言葉の刃を研ぎながら、私は弁護士のアドレスにメールを送った。
具体的にどう書いたかはもう記憶にないが、内容は以下の通り。
「私が書いた記事は、全てMと、彼女の再婚相手であるEが自ら投稿したものをベースにしている。彼らの発信内容を並べて表示した際に、明らかにMの発言に矛盾が生じて見えるのは、Mの発信内容に問題があるからであり、私が虚偽の事実に読者を誘導しているとは言えない。記事中のどこが名誉毀損に当たるのかを、具体的に教えて欲しい」
すると、
「私はMの代理人であり、あなたの代理人ではない。従って、どこがどう名誉毀損にあたるのかをあなたに示す必要はない。
それを知りたいのであれば、自分の代理人となる弁護士に聞いてくれ」
という、人をくったようなメールが返ってきた。
青二才が、こうなったら徹底抗戦だ。5万円では割に合わない仕事量にしてやる。
一層の怒りを募らせた私は、どの箇所がどう名誉毀損にあたるのか、納得のいく説明がない以上、要求に応じるつもりはないと返事をした。
発信者情報開示請求でも何でもしてみやがれ。実際にはできないに決まっている。
すると、先方は作戦を変えてきた。
偉そうな態度は一転し、「例え名誉毀損には当たらなかったとしても、Mには子供がいる。子供たちの心情を考えて、記事を取り下げてはもらえないだろうか?」と、下手に出てきたのだ。
弁護士によると、最近になって彼女の子供達が母親について検索し、ネット上に溢れるMの不倫の証拠や悪評を読み、精神的に大きなショックを受けているという。
子供を持ち出されると、こちらとしても考えざるを得ない。
お金のためにブログで私生活を売ったり、稼いでいることをアピールしてノウハウを販売するMの手法は好きではなかったが、べつに恨みがあるわけではない。
Mは哀れな女性だ。
体面を取り繕うため嘘に嘘を重ねたりしなければ、ここまで炎上が大きくなることもなかったのではないだろうか。
「昼顔」というドラマのヒットもまだ世間の記憶に新しい頃だったのだから、真実を語れば、支持されなくても理解はされたように思う。
とはいえ、MもEもわざわざ不倫の匂わせをSNSやブログに書き込んだのは軽率すぎた。
それ以上に、かけがえのない子供達より男という代えがきくものを優先したことについては、Mは判断と選択を誤った。
もっと言うなら、選んだ男も間違えている。
Eの振る舞いは幼稚で、わきまえというものが無く、家庭もあれば立場もある女と交際するには不適格だ。
全ての判断ミスは、色事の場数を踏んでいない女の悲劇なのだろうか。
私は一呼吸置いてから、返事を出した。
「ご事情は理解いたしました。恐らくですが、私とMさんは同世代です。私にも女という病に罹患した経験がございますので、美徳のよろめきを責めるつもりはありません。同情と共感の余地もございます。
けれど、『子供達の心情を考えて欲しい』という理由で記事の取り下げをお求めになるのでしたら、このように弁護士経由で脅すような真似はせず、真っ直ぐ情に訴えて下さいませんか」
それきり、弁護士は何も言ってこなくなった。
しばらくして、M本人から連絡をもらった。
彼女と交わした言葉をここに記すつもりはないが、彼女と直接やり取りをした後に、私は求めに応じて記事を削除した。
最後に、
「堂々と幸せになって下さい」
と、Mに書き送った。心からの言葉だ。
自分達が書いたブログやツイートを慌てて削除し、自分達について書かれた記事も今さら消して回ったところで、彼女の子供達はすでに全てを知ってしまった後である。
その責任は自分にあるし、引き起こした結果も彼女が引き受けるしかないのだ。その上で、生きて幸せを掴むしかない。
それから数年が経ち、久しぶりに彼女の名前を検索してみた。
残念ながら、彼女について書かれた記事のいくつかはまだ残っている。
脅そうと泣き落とそうと、頑として削除に応じなかったブロガーも居るのだろうし、連絡の手段がなかった相手もいるのだろう。
格安弁護士に依頼したところで、元々「誹謗中傷で訴える」という主張自体に無理があるのだから仕方がない。
負ける裁判を起こすことはできず、これ以上は対処のしようがなかったと思われる。
かつては人気ブロガーで、アフィリエイターとしても成功していたMだが、炎上後はブログ収益が激減している。
ただ、もしも炎上がなかったとしても、ブログとアフィリエイトの収入を維持していくことは困難だったろう。
ブログとブロガーが持て囃された時代は去り、度重なるGoogleアップデートにより、個人のアフィリエイトブログが検索上位に表示されることも難しくなった。
一夜にして無収入となり、廃業するアフィリエイターは後を絶たない。
Mは私生活の切り売りを止めたようだが、細々と更新が続いている彼女のサイトを訪ねてみると、ごくたまに現在の生活の様子が伺えるエントリーがある。
家族を養わなければならないが、再就職が上手くいかなかったこと。教育費の工面に腐心していること。ひとり親世帯臨時特別給付金を受給したことなどが綴られている。
どうやら、子供達と再び一緒に暮らしているらしい。
家族を捨ててまでEと歩む人生を選んだからには、彼と幸せになって欲しいと思っていたが、やはり蜜月は長く続かなかったということか。
Mにとって、ブロガーとしての成功も、アフィリエイターとしての高収入も、激しい恋と性愛も、全ては束の間の夢であったのかもしれない。
絶頂とどん底を味わい、大きな犠牲を払う結果になったが、Mには「生きた」という確かな実感が残ったのではないだろうか。それも幸福ではないのか。
生活は楽ではなさそうだが、彼女が子供達の手を離すことは二度と無いだろう。
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【著者プロフィール】
マダムユキ
ネットウォッチャー。最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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Photo by Thomas Lefebvre