前回の記事でも紹介したが、ハーヴィー ホーンスタインの問題上司―「困った上司」の解決法は本当に凄い本である。

この本を読むと、なぜ世の中からイジメやクソ上司が無くならないのかが嫌というほどによくわかる。

 

前回は上司が部下を攻撃するのは”攻撃行為自体が自尊心を与えてくれるから”だという観点に立って社内におけるハラスメント事情を読み解いた。

今回は成果主義というシステムが人をハラスメントに駆り立てるという事実を紹介しよう。

 

良い数値が出せるのなら社員を不幸にしてもよい土壌が資本主義にはある

大前提として企業の目的は利益をあげることだ。社員を幸せにする事ではない。

 

例えばである。株主総会で

「利益が減って株価は下がりましたが、社員の幸福は大きく上げられました」

「今後も利益ではなく、社員の幸福を第一に会社を運営していきます」

なんていう人なんて絶対にいない。

仮にこれを言ってのけた人がいたとしたら大・大・大バッシングの嵐で、間違いなく大炎上し株価は急落するだろう。

 

そういうものだから、会社で求められる人材というのは必然的に利益をあげられる人物となる。

 

あなたが株主なら…株価と社員の幸福、どっちが大事ですか?

それ故にである。どんなに上司の性格がサイコパスだろうが、業績面で貢献している限り会社はその上司を降格させたり首にするインセンティブがない。

 

儲かる事が株主ならびに会社存続の為には最善であり、利益の前には部下のメンタル問題なんて些末な問題なのである。

だから”いい数字”を叩き出せるのなら、社員を不幸にしてもある程度は構わないというコンセンサスが暗黙のルールとして成り立つ。これが資本主義の選んだ選択だ。

 

パワハラ・クソ上司が大きな企業でそれなりに大きな顔ができるのは、良くも悪くも資本家が本音では社員の幸せなんて一ミリも願っていないからという事と表裏一体である。

皆さんだって手持ちの企業の株価が大きくなるのなら、ぶっちゃけ見も知らずの社員の幸福なんてどうでもいいのではないだろうか?そういう事である。

 

性格が悪いほうが上司にはむしろ向いている

ここまで実績として”良い数値”を叩き出す事を駆り立てる仕組みが資本主義には備わっているという事をみてきた。

そしてその為には性格の良し悪しは二の次となってしまっても仕方がないという暗黙のコンセンサスがある事も説明した。

 

「性格が二の次だっていうのなら、性格がいい人の方がみんな好きなんだから嫌いな人はもっと駆逐されててもよくない?」

ここまで読んで、こう思った人も多いだろう。

しかし…残念ながら人間の性質を軸として考えると、性格の良さはむしろ仇とすらなる。

どういう事か。それを以下でみていこう。

 

人は叩かれると良くも悪くもシャキッとしてしまう

仕事において数値化は大切だ。これを無視するという事は業務の掌握を放棄するという事にも等しい。

このように仕事をシステマティックにしてくれる数値化だけど、これをマネジメントに使用すると悪夢が起きる。

上司が部下を叩く事に合理性が生まれてしまうのである。

 

数値というのは良くも悪くも物凄くわかりやすい。

上がればヨシで、下がったら「ふざけるな。真面目にやれ」と詰めればいいだけだ。

 

このように数値はそれ単体で用いれば、物凄く簡単なマネジメントの指標たりえる。

これだけでも問題なのだが、更に問題なのが”人間は叩かれるとシャキッとしてしまう”という点にある。

これは根が真面目な人間ほどその傾向が強い。

 

人を叩くとダラダラ働いていた人はキビキビし、現状に甘んじていた人の脳を揺れ動かして”もっと”働くようになる。

それ故に下手に部下の大変さに共感できる優しい上司よりも、サイコパスじみた部下をピシピシと叩ける上司の方がより業績をあげやすいともいえる。

 

叩かないよりも叩いたほうがより部下がシャキッとしてしまうのなら、ある意味では叩ける上司の方が管理指導の手腕が上手という事になる。

 

つまりである。他人に”厳しい”上司が生き残ってしまうのは、人が叩かれてると”シャキッ”としてしまい、その結果として必然的に仕事のクオリティがどうしても上がってしまうからなのである。

こうして”数値”×”叩く”という物凄くシンプルな指標が使いこなせるだけで、実は誰でも上司がやれてしまうという圧倒的現実が爆誕する。

 

このロジックを使うには、むしろ人情のようなものは邪魔とすら言えるかもしれない。

「叩かれたら誰だって痛いし嫌だよね」なんて”優しい性格”を持つ人間は、他人を”シャキッ”とさせられないだけ生産性が低くなってしまうのだから。

 

テストの点で子供を叩く、教育熱心な親

「そんな馬鹿な」

ここまでの文章を読んで、そう思った人も多いだろう。

しかしこれは日本全国で山のように行われている事実である。それも仕事ではなく家庭で、だ。

 

昨今は企業においてはハラスメントがちょっとは問題にされるようになってきたが、教育の現場である家庭においては今でも暴力は”愛”の一部として許されている面がある。

 

僕は残酷な手法で教育されてきた子供をたくさん知っているし、自分自身も幼い頃は随分とテストの点数でもって親から”熱心”な指導をうけた過去がある。

 

点数が良かったら「次も100点を取れ。完璧以外ありえない」で、60点を切ろうものなら壮絶な修羅場が待っていた。

内容を理解しているかなんて全く考慮すらされず、ただシンプルにテストの点数という”数値”でもって詰められ続けた。

 

親の怒りは子供をシャキッとさせる。

幼い頃の僕にとっては、勉強というのは退屈だしなにかミスをすれば激詰めされるわで、とんでもなく嫌なものでしかなかった。

故に勉強なんて本当に大嫌いだったのだが、それでも恐怖と暴力は”実績”という意味では”良い”方向に子供をマネジメントした。

 

悲しい事に、僕は叩かれて物凄くシャキッとした。

もちろん叩かれたからといって勉強が好きになったわけでもないし、叩かれた事で恨み辛みのようなものは大幅に蓄積した。

だがそれを”愛”とか”お前のため”と言われて納得されられてしまうぐらいには、幼い自分は無力だった。

 

結果的にもそういうものが集積して僕の学力は急上昇し、僕は医者になっている。

感情を抜き去って業績という面にだけ目を向ければだが、我が子を医者にしたのだから自分の親ながら”見事”な経営手腕である。

 

その手法が褒められたものかどうかは難しいところだが、少なくとも親は出資者としては部下を叩くことで立派に卓越した業績を叩き出したとも言える。

 

優秀なマネジメント能力があるのなら恐怖と暴力なんて使わずに済むけれど

もちろん言うまでもなく、恐怖と暴力なんて使わずに子供をマネジメントするのが極上のだ。

それができる能力を持つ親はそうすればいいだけの話である。

 

だが、マネジメント能力が乏しい親が子供の将来を親なりに願ったとしたらだ。

そこで恐怖と暴力を使って子供をシャキッとさせないという事は…ある意味においては”上司”としては職務怠慢に相当するとも言えるのではないだろうか?

 

誰もが人道的な手法で優秀なマネジメントができるわけではない。

乏しい能力しか無い人間が、業績を叩き出そうとして必死になった結果、恐怖と暴力に手が伸びてしまうというのは、残念ながらこの世の常のように僕には思える。

 

これと同じような事が起きているのが会社の現場だ。

むしろ同じぐらいの能力の人間を並べればだ。

部下を叩けない人間と叩ける人間なら、叩ける人間の方が”業績”という観点からは優秀だと評価されてしまう傾向が強いとすら言えるのではなかろうか?だって実際問題として、部下はシャキッとしてしまうわけだし。

 

理想をいえばだ。上司に能力があって、キチンとしたマネジメントでもって部下を幸せにしつつ、人道的な管理手法でもって業績を出すのがいい。

これを否定する人はまず居ないだろう。

 

しかし現実はそうではない。

親が子の幸せを願って尻を引っ叩くのと同じように、上司は会社の幸せ(業績向上)を願って部下のケツを蹴飛ばす。

むしろ部下を叩けない上司は上司の適性が無いとすら言えるかもしれない。

 

どんなに非人道的な行いであれ。利益を追求しにかからないのは、残念ながら管理職としては職務怠慢と判断するのが現在の資本主義というシステムなのである。

 

未熟な人間を主体に運営している限り、この現実は仕方がない

残念ながらこの世は無能な会社員と未熟な管理職の集合体である。

 

Googleみたいに、誰もが黙ってても勝手に数億円稼いで莫大に貢献してくれるようなウルトラ社員だけな社会ならまだしも、この世の大多数の部下はボーッとしている。

そういうボーッとした社員をシャキッと覚醒させ、一人の構成員としてビジネスマン(笑)として覚醒させる為にも、残虐非道上司は必要悪としてこの世に存在し続けるだろう。

 

この現実を変える事は非常に難しい。

なぜなら人間の集合的無意識が”もっと豊かになって、いい暮らしがしたい”という方向に働いているからだ。

 

この集合的無意識を人類みんなで達成しようとするのならば…株価という数値でもって会社は監視され続け、業績という数値でもって社員を叩く上司はゾンビのように生き残り続けるだろう。

だってそれは社会を豊かにしてくれるのだから。

 

それは確かに不幸なシステムではある。

だが、無能な会社員と未熟な管理職を最低基準として考えれば…これよりも効率の良さそうな運営システムはちょっと考えにくい。

 

能力の有無に関わらず、誰でもできる最低システムで世の中は回り続ける。

匠の技や超絶技巧はとても素晴らしいものではあるが、それは超レア技術であり、誰もができるものではない。

そういう”例外”はスタンダードには決してならない。それがリアルである。

 

だから個人としての生存戦略は、世の中は”そういうもの”だと理解した上で、個人としては”そういう場所”とできる限り距離を置き、自分がその最低システムの一部に所属しないよう気を配るという事になろう。

個人として組織の中で生き残る為には、そういうしたたかさも必要だ。悲しいがこれが現実である。

 

自分に対して、クソ上司をやっていませんか?

ここまでクソ上司について色々書いてきたが、実は最後にとんでもないクソ上司がこの世にいる事を皆さんに報告しよう。

それは自分自身である。

 

実はみんな自分の扱いが結構ヘタだ。

僕も最近になってやっと自分がどうやったら疲れずに効率よく動き続けられるかを考えるようになったのだが、昔はそんな事を全く考えたことはなかった。

 

「体調管理なんて茶番。結局最後はやる気と根性」

「気合だ!気合だ!気合だ!ウォー」

 

そして疲れ果てて、何もできなくなって自己嫌悪に陥る。

本当にこれの繰り返しだった。

 

改めて考えてみればだ。

愛しい自分に対してですらこれだったのだから、他人のマネジメントなんてやらされたらもっと雑になってても全然おかしくはない。

 

自分自身を大切に扱えない人間は他人も大切には扱えない。

だからこの記事を読んで「自分はクソ上司には絶対になりたくない」と思った人は、まずは自分自身を丁寧に扱うことから初めてみてはいかがだろう?

 

真の意味で自分を上手にマネジメントできるようになった時、あなたはきっと恐怖や暴力に頼らない、立派な上司をやれるような存在になれるに違いない。

身近なところからはじめよう。全ては自分の足元から始まるのだ。

 

 

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【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

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