新型コロナウイルスの感染拡大に伴って、なるべく外出は控えて家で過ごすことが増えています。

寒いし、もともと「アウトドア大好き!」ってことは全く無いので、そんなにストレスを感じてはいないつもりなのですが。

それでも、朝起きて、今日は(も)仕事に行きたく無いなあ、と気が重い日々が続いてはいるのです。

 

昨年末に、ずっと買おうかどうか迷っていた大型テレビをついに購入し、ネットフリックスで動画を観るようになりました。

もう50歳だし、できるうちに、日常で少しくらい贅沢しても、いいよね、と。

 

画面が大きくても小さくても、テレビはテレビ。

アマゾンプライムビデオでさえ見尽くせないほど動画があるのに、わざわざお金を払ってネットフリックスにまで入らなくても……と思っていたのだけれど、買ってみる、入ってみると、せっかくだからと観る機会が増えましたし、観てみるとけっこう面白い。同じコンテンツでも、違う環境で観ると気分も代わるものです。

 

僕はドラマにはあまり興味が湧かないのですが、ネットフリックスの海外ドキュメンタリーや日本の少し前のアニメのシリーズの豊富さには圧倒されてしまいます。

そりゃ、近所のTSUTAYAのレンタルDVDコーナーから人が減るのも致し方ないなあ、と。

「借りる」のはともかく、「返しに行く」のってめんどくさいですしね。

 

ネットフリックスには「好みを分析してのおすすめ」とか「あなたが気に入りそうなコンテンツのランダム再生」というような機能もあるのです。

 

先日、ネットフリックスの人気ランキングを眺めていたら、定番の韓国ドラマ『愛の不時着』や『イカゲーム』、人気アニメ『鬼滅の刃』に混じって、『真の仲間じゃないと勇者のパーティーを追い出されたので、辺境でスローライフすることにしました』というアニメがランクインしていたのです。

有名作品に混じってベスト10に入っているというのと、「人生の本来の目標に挫折して、それでも自分のペースで生きていく」という雰囲気のタイトルに、なんとなく今の自分と重ねてしまうところもあって、第1話を観てみたら、ハマってしまいました。

 

結局、その日のうちに第1シーズン(13話)を全部観賞。スローライフっていうか、主人公モテすぎだし、コミュニケーション能力高すぎだろ!とか、これはむしろ「勇者の孤独」の話ではないのか、とか色々言いたいところはあったのですが、それでも一日で観てしまうくらいの魅力があったのです。

 

いわゆる「なろう小説」的なものをあまり観たことがなく、免疫がなかった、というか新鮮に感じた、というのもあるのでしょうけど。

後で、ネットでこの作品の感想を検索してみたら、小説、漫画は評価が高かったけれど、アニメ化に関しては、厳しい意見が目立っていました。作画が拙い、キャラクターの魅力を活かせていない、などなど。

 

とりあえず、1シーズンを観ての僕の率直な感想は「なんて主人公にとって都合のいい話なんだ!パーティ内で孤立していたり、(一人を除いて)周りから疎まれていたりしていたようには見えないのに、思い込みて仲間から離れ、世捨て人になろうとしたら、かわいい女の子が押しかけ女房的に迫ってくる、こんなの現実にはありえない!」だったんですよ。

ただ、そこであらためて「でも、これはこれで楽しいし、気楽に観られていいよね」と、それなりに満足した自分を発見し、意外でもあったのです。

 

もし、10代、あるいは20代の僕だったら、こういう「なろう小説」「世の中が主人公の都合よく動いてくれる作品」に対して、「こんなのリアリティがない」とか「そんなに世界は甘くない」と否定し、受け入れなかったのではなかろうか。

僕の10代の頃って、『ロードス島戦記』が『コンプティーク』の誌面実況テーブルトークRPGから小説化され、日本の「ライトノベル」というものが生まれたくらいの時代だったのだよなあ。

 

20代後半くらい(だいたい20年前)に、患者さんの回診をしている時に、少し年上の女性の患者さんが『キノの旅』を読んでいて、「大人がこういうライトノベルを読む時代になったのか」と、感じたのを覚えています。

 

僕が子供の頃、父親が40歳くらいの時、毎週『水戸黄門』を楽しみにしていたことを思い出します。

子供心に「なぜ毎回同じような話(市井の善人が悪党に苦しめられているのを『さきの副将軍』水戸光圀が印籠を出して退治し、めでたしめでたし)を毎週観ていて飽きないのか、良い権力者の気まぐれで救われるようなご都合主義のドラマなのに」と疑問だったんですよ。

 

自分もある程度歳を重ねてきて、今は、その理由がわかってきたような気がします。

「なんでこんなマンネリなドラマを楽しみにしているのか」理解できなかったのだけれど、「意外な結末や考えさせられる物語、リアリティがありすぎるフィクションは、観る側も疲れたり、面倒なことを思い出したりもする」のです。

 

自分が若くて、まだいろんな可能性を信じられた時期には「なんでこの主人公は、こんなになんでもうまくいって、モテるんだよ、こんなのありえない、ズルい!」って嫉妬心に駆られていたのです。

でも、もう、自分自身はそういう「可能性」とは遠いところにきてしまった、と実感するようになると、「せめて、フィクションの中だけでも、登場人物が幸せになってくれていいよ(あるいは、悪党がやっつけられてくれ)」という心境になるんですよね。

 

「主人公とヒロインは、今は『いい時期」だから、こんなにイチャイチャしているけれど、どうせ何年かしたらスローライフなんて飽き飽きして、なんか噛み合わなくなるんだよな」とか、思ってしまうんですよ僕は。

若い頃は「どうせ永遠の愛など存在しない」と斜に構えていたけれど、今は「永遠の愛なんて存在しないけれど、そういう『いい時期』の記憶が、年老いてからの人生を温めてくれることもある」ことも知っています。

 

「もう次はない」という心境は、これが最後、と「老いらくの恋」にハマった多くの偉人の晩年を難しくしてもいるのですが。

今の世の中だったら、若い人たちも、もういろいろとめんどくさいから、アニメのキャラクターやアイドルを「推し」たほうが、生身の人間と傷つけ合うより良い、と考える人が増えるのもわかるような気がします。

 

これだけ、ネットでの動画や本の配信で、フィクションの登場人物やアイドルでも身近に感じられるようになり、「家名を残す」「子孫を繁栄させる」みたいな世間からのプレッシャーが弱くなれば、少子化なんて当たり前ではなかろうか。

 

宗教が信じられなくなり、自分が死んだら(自分が認識できる)世界は終わる、と考える人が多くなり、「生きているうちに、自分がやりたいことをやっておく」のが優先されるのであれば、子供を産み育てるのは「コストパフォーマンスが悪い」とも言えます。人間って、これまで知られている生物の中で唯一、自らの意志で減り、滅んでいくのかもしれません。

 

ちょっと大きな話にしすぎ、ではあるのですが、年を重ねる、ということで「フィクションでもノンフィクションでも、他人をあまり妬まなくなるというか、うらやむのを諦めて、ラクに生きられるようになる」という変化が僕には認められているようです。

父親と息子の関係は難しいが、孫はただひたすら可愛い、みたいなのも、こういうところから来ているのかもしれません。

 

もちろん、これが万人に当てはまるというわけではないですし、僕もあと20年後には「ご飯も食べさせてもらってない!」と認知能力のさらなる低下で家族を悩ませることになる可能性も十分あるのですけど。

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで

Twitter:@fujipon2

Photo by Kentaro Ohno