おれは医者ではない。医学生でもない。患者である。精神障害者である。双極性障害(躁うつ病・双極症)II型である。手帳持ちである。「当事者」と呼ばれる人間である。

 

おれはおれの病気について語るのが好きだ。

自分に興味があるというか、自分に取り憑いた病気に興味があるというか、なんと言うていいかわからないが、とにかく自分の病気について発信したいという気持ちがある。

 

そして、発信する前に、自分の病気について知りたいという気持ちがある。

当事者の、そして医師の話を聞きたいと思う。なので、いろいろな精神病の本などを読む。

 

これがおれだけの話なのか、双極性障害の人間ならではなのか、病気になった(障害を持った)人間ならではなのかはわからない。

 

というわけで、精神科医の書いた本などを読む。

すると、たまに出てくる名前がある。神田橋條治である。

 

最初に見かけたのは中井久夫の本だったと思う。

『双極II型障害という病 -改訂版うつ病新時代』

神田橋條治は双極性障害に対して「気分屋的に生きれば、気分は安定する」という標語をあみ出した。達人の真似はしない方がよいかもしれぬが、心にとめおきたい言葉である。

「達人」とはなんだろうか。

いろいろ他の本も読むうちに、だんだんわかってきた。なるほど、「達人」なのだ。

 

精神科医の斎藤環は「Oリングとか気功とかは話半分に聞いて」みたいなことをどこかで書いていたが、「尊敬する」とも述べている。

そういうタイプの精神科医、臨床家だ。まさにカリスマ的存在。

 

で、躁うつ病を患っていた坂口恭平の本で間接的にその言葉に触れたりもした。

坂口恭平『躁鬱大学』

この本は、神田橋條治の躁鬱病(坂口はこの呼び方をする。おれは双極性障害とするべきか、躁鬱病とするべきか、双極症とするべきか決めかねている)についての語録をベースに書かれている。

 

「神田橋條治 医学部講義」

で、今度は直接講義録を読んでみようと思った。

あらためて言うが、おれは医者でも医学生でもない、高卒の精神病者だ。

図書館ではいろいろな本が借りられるので、図書館はおすすめだ。

 

『神田橋條治 医学部講義』

九州大学で医学部の四年生相手に年一回とか行われる講義らしい。もちろん、専門的な用語も出てくるが、べつにそんなに難しいことは言っていない。

そして、面白い。医者はこんなこと考えたりするのかとか、そんなん思った。精神科に限った話ではない。

 

とはいえ、「達人」、「カリスマ」、ひょっとしたら、「異端」、「トンデモ」かもしれない人の話であることにも注意だろう。

はっきり言って、精神科医の間で神田橋條治がどういう名前なのか、おれにはわかりやしないのだ。

 

というわけで、いくつか「語録」からメモをとっておきたい。

 

「治療を介しての診断」を行う

「診断が決まって、次に治療法が決まる」というようにばかり考えていたら、コンピュータ程度の頭になります。そうではなくて、「こんなふうになりそうだから、診断はこうだろう」というあべこべの、「治療を介しての診断」を行うんです。

まだ治療していなくても、治療のイメージと、そのイメージに合致するような、辻褄が合う未来像から、現在の診断を決めるというやり方も、感受性を高めますし、誤診をなくします。

なぜかと言うと、未来が今の中にちょびーっとあるのよ。「未来がこうなりそうかな」と思うと、今の中にほのかに現れている未来が見える。そうやって出来上がった診断は、未来を目指しての治療も含んでいる。これは一般医学の場合も、精神医学の場合も変わりません。

EBM(Evidence-Based Medicine)の考え方では出てこない言葉かもしれない。

本人も「一種の芸であり、術です」といっている。

医療に限らず、すべてが標準化していくなかでも、こういう「芸」は認められていくのであろうか。

 

個人的には、「達人」が存在してくれる世の中のほうが面白いとは思うが、効率的な世界ではないかもしれない。

医療の診断など、すべてAIがやってくれるような世の中になってくるかもしれない。

 

意志が弱い人はうつ病になれない

ボクはうつ病の人が来たら、こう言うの。「意志が弱い人はうつ病になれない」と。これは覚えておくと、将来、みなさんも使えます。

意志が弱い人はいい加減なところで、「あーあ、やーめた」とか言ってやめて、すぐギブアップして、脳という臓器を極限まで使わないから、うつ病にならないの。これは相当確かです。意志が弱ければ、うつ病にはなれない。なろうと思っても、なることができない。意志が弱くて、そこまで脳を使わないからね。

と言っても、意志とは心でしょう。心は脳の機能の現れなんですから、「意志が弱い」というのもやっぱり脳の機能の現れじゃないか。その脳の機能を極限まで使って、脳がくたびれたということじゃないか、というふうに理論を進めることは正しい。しかし、それでは実用的ではないんですね。

ここに脳というレベルがある。これは生化学的なもので、どんどんいろいろな知見が出ています。しかし、脳の機能の現れである心を、全部、科学的に、科学の言葉に翻訳して説明することはできない。

「意志が弱い人はうつ病になれない」。これ、どうなんだろうか。よくわからない。

そもそもおれはうつ病(大うつ病性障害)ではないし、身近にうつ病の知り合いもいない。

 

「冗談じゃないぞ、おれは意志が弱いけどうつ病になったぞ!」と怒る人もいるかもしれない。

でも、長年の臨床での経験から言ってるのだから、なんとなくそうなのかもしれないな、と思わされる。

 

こういうとき、「うつ病」ではなく「躁うつ病」という、似て非なる(たぶん「躁うつ病」は統合失調症に近いのではないか。だって、同じ薬を処方される)病気の持ち主としては、やや戸惑うところである。

で、おれはといえば、どうなのだろうか? やっぱり「あーあ、やーめた」の方に転びやすいので、「うつ病」とは違うのかな、などと思う。気ままな躁うつ病。

 

まあともかく、神田橋條治も、今のところは的なことを言っているので、いずれは人工知能などもできたりして、あるいは心も科学の言葉に翻訳される時代も来るかもしれない。

 

多くは自然治癒力でよくなる

治療される側から医療を、精神療法に限らず医療を見てみると、たいていの病気は何もせんでも治る。風邪をひいても、放っておけば治る。生体には必ず自然治癒力というものがあるの。自然治癒力でたいていよくなります。

たとえば失恋すると、悲しかったり、何かしらあるけれども、放っておけば「時間が薬」でだいたいよくなる。あとに少し心に傷が残るようなことはあっても、PTSDというほどにはならない。多くは自然治癒力でよくなるの。

だけど友達が来て、一緒に酒でも飲んだり、話を聞いてくれたり、慰めてくれたりすると、もっと早く心が癒やされる。これは精神療法。お月様を見てよくなるのも精神療法。金も払わんし、オフィスにも行かないし、難しい言葉もないけれども、やっぱり精神療法。治るんだ。

「多くは自然治癒力でよくなるの」というのは、一歩踏み外したり、突き進むと、やばいことになる物言いのように見える。

標準的な治療の否定、薬品の否定とかにつながりかねない。

とはいえ、まあ、生体というものが自然に傷を治していくというのも否定できないことだろう。

 

でもって、「不眠症の学生に誰かが講義して眠くなれば、それは精神療法だね」ということになる。

おれはだいたい投薬が中心の治療を受けているが、それでも「五分間診療」は「精神療法だね」と言いたい。

もちろん、神田橋もそれを否定するわけではないだろう。

 

医師免許証を取りたての人は治療はできない

医師免許証を取りたての人は治療はできないですね。大学には治療学という講義がないのを医師はみんな知っているけれど、世の中の人は知らないからね。

これは神田橋流どうこうではなく、「え、そうなの?」という「世の中の人」の感想である。

 

治療は医師になってから実地で先輩に指導されていくものらしい。

まあ、そりゃ新人医師にいきなりベテランのような治療ができるとは思わないが、「治療学」的な講義がないってのは知らんかった。

 

つーか、ほんとなのか? 「臨床講義」という言葉が出てくるけど、それは違うの? というか、研修医というのが、治療を学ぶ段階なのかな。わからん。

 

プラセボでよくなればいちばんいい

……ある教授が臨床講義で、「新薬が出たら、それが効く間にできるだけたくさんの患者を治しなさい。すぐに効かなくなるから」とおっしゃったの。偉い先生はちゃんと当時から知っていたんだね。新薬は出たときはよく効くけれど、しばらくすると、効かなくなる。それはなぜか。

結局、何が言われているかというと、プラセボ・エフェクトなんです。偽薬効果。おそらくみなさんは、プラセボ効果があると科学的におかしいと、勉強して知っているでしょう。だからプラセボ効果をいかに排除するか、二重盲検法や何かでプラセボ効果が起こりにくいようにして、それを排除して、引き算して、薬の薬効を決める。そうすると科学的だということを知っています。それはその通りですね。

しかし、これを治療される患者の側から見ると、プラセボによって治ったから価値がなくて、本当の薬効で治ったら価値があるということはないのよ。よくなりゃいいんだから。受益者のほうから見たら、プラセボにも副作用はあるけれども、やっぱり少ないから、プラセボでよくなればいちばんいいんです。「鰯の頭も信心」でよくなれば、それがいちばんいい。

それでもって、この「プラセボ・エフェクト」が精神療法の中心とまで言う。

いやー、それ、おれも思っていたのよ。前出の斎藤環もこの本で同じことを述べていた。

『「社会的うつ病」の治し方 人間関係をどう見直すか』

私自身は、自分の病気がプラセボ効果で治るならそれが最高だと考えています。(斎藤環)

そして、おれもプラセボで治るなら、それに越したことはないと、鰯の頭の話を……、どこかに書いたような気がする。まあいい。砂糖玉について書いたことはある。

 

プラセボに問題があるとすれば、「本当の薬効」や「手術」が必要なのに、それから遠ざけてしまうという加害性。

もう一つは、安価な「本当の薬効」で治るものが、非常に高価になっているようなケース。

カルトに引き込んで人生や家族を滅茶苦茶にしてしまうようなケース。

 

そうでなければ、副作用のない(神田橋條治は「副作用はある」と言っているが)プラセボでいいじゃないか。

とくに、今のところ機序のはっきりしていない精神病なんかについては。

 

というか、おれも抗精神病薬をオランザピン(ジプレキサ)から「新薬」のラツーダに変えて、ずいぶん寝込むことが少なくなって、わりとQOLが上がったと思ってるんだけど、これも効かなくなるんかな。読まなければよかった。

 

空想の能力がないと治療も診断もできない

医学の場合も、ばらばらに出てきているデータをつないで、なんとか理解しようとする。それが「物語」なの。物語は事実ではないんですよ。事実はデータだけ。

だけど事実を現場で役立てるためには、この事実をつないで、ストーリーを作っておく必要があるんです。

だから、ここに出てくるのは空想です。空想の能力がないと治療は全然できないし、診断もできない。そしてストーリーを作ると、また研究によって新しい、正しいデータが出てくる。新しいデータを無視すると、このストーリーは現実の中に取り込めないストーリーになるので、それではだめなのね。

これはEBMに対するNBM(Narrative Based Medicine)……とはちょっと違うか。わからん。でも、神田橋條治のやり方というのは実にNBM的であるような気がする。

そんでもって、このように「データ」を無視しない。

 

むしろ「空想で作ったストーリーは作り物であることを知っとかなきゃならん」という姿勢をとっているところが、なんかわからんが信用できるじゃないか。そんな風に感じた。

すべてが科学的に解明されて、機械の言葉になるまでは、「ストーリー」が必要なように思う。どうだろうか。

 

「元通りにする」ではなく「再建」せねばならない

最後に、神田橋條治さんが別の人の言葉を引いた言葉を引く。

中井久夫先生が患者さんから「元通りに戻るでしょうか?」と聞かれて、「元通りに治るというのは、また悪くなるような状態に戻るわけだから、それじゃしょうがないよな」と言ったそうだけれど、そうでしょ。

元通りになって、また同じように仕事をしたら、また同じように悪くなるということで、きりがない。そうではなくて再発しないような、もっと健康にいいような生活を工夫して、再建していかなきゃいかん。

これは、まったくそうだよな。おれも働いていて、現状の悲惨さと先行きの不安さからぶっ壊れたたぐいの人間だけれど、「元通り」になったら、またぶっ壊れるだけだ。

 

とはいえ、再建といって労働環境を変えられるわけでもない。安定した大企業勤めになれるわけでもないし、どっかから五千兆円降ってくるわけでもない。

 

神田橋條治は、いきなりそうなれないから、抗うつ剤という「松葉杖」を使うのだというけれど、おれなんかもう松葉杖を使って十年になる。

でも、転職はできねえんだ。もう、仕方ないな。

「松葉杖をついて仕事に行くのは間違い」と言われても、そうするしかねえよ。……って、双極性障害はうつ病と違うのだった。ああ、そのあたり、よくわかんねえな。

 

双極性障害は今のところ一生、薬を飲まねばならないという話だ。

とはいえ、坂口恭平は薬をやめることができたという。そういう例もある。

 

おれは、とりあえず薬で自我を保っている。手放したら、抑うつの日々になる予感がある。

薬以外のなにか、たとえば生活習慣を変化させるということなどはできそうにない。

どうしたものか。医者に通って薬を処方してもらうだけだ。

 

……と、まあこんな具合。

今、心が健康な人、身体が健康な人、いつどうなるかわからんぜ。

 

そのとき、どうする。どういう医者にかかる。それはわからん。運というところもある。

心に不調をきたしたとき、「達人」にあたれば幸運だ。だが、そういうことはあまりないだろう。

 

神田橋條治は「よくなるのが三割くらいだと困るんだよね。せめて五割くらいはいかないとなあ」という。

患者からすると「その打率?」というところだ。だが、実際、そんなところだろう。

 

まずは、みなさまご健康に。

不健康に陥ったおれからは、そのくらいしか言えない。

名医だろうとそうでなかろうと、医者にかからないこと以上のことはない。そうじゃないか。それが難しいことと知っていても、だ。

 

 

 

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(2024/3/26更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by Towfiqu barbhuiya