選挙期間中に統一教会のせいで人生を狂わされたと主張する男による凶行が行われた。
起きてみれば「大国の首相経験者を、たった一人の人間の力で、こんなにも簡単に殺せてしまうのか」という衝撃以外何者でもない事件ではあるのだが、この驚異の事件に対する世間の目が僕にはとても同情的にみえる。
たまたまサウナのTVでもって、この事件に関連してか統一教会の二世による苦しみを訴える同情的なインタビューが流されており、サ室が重く苦しい雰囲気に包まれていた。
なんていうか、同じテロでも秋葉原の事件や京アニ事件、やまゆり園の事件と比較して、同情的な要素があるだけで随分と流れる空気が変わるもんだなぁと珍妙な気持ちになってしまった一日であった。
共感ほんとすごい。超すごい。僕も過激なことなんて主張しないで、テディベアのようにフチャフチャで可愛がってもらえる人生を歩まねばならない。まあ、それが簡単にできれば、苦労はないのだが…
一応自分も…二世です
ここからは話を二世に絞って進めよう。
僕自身は統一教会に関係なくカルトとは特に関係がない人生であるのだが、宗教二世といえば宗教二世である。
具体名は出さないが、その宗教は普通っちゃ普通の宗教である。
異常なレベルでの献金を求められたり、ヘンテコな修行を求められたりはしない。
しかし…それでも正直その宗教に対しては全くよい思いは無い。はっきり言って、ウッとする。
別に僕がされた事など、客観的にみても正直なところ普通の家族業の一環だとは思う。
月に一度ほど、休日に駆り出されて一時間ほど正座してお経を読む事を強要される程度のものだ。
他にも何らかの家族行事があると、この読経を家でも仏壇の前で強要される事があったが、年に数回程度のものではあった。
しかし、これが本当にシンドかったのである。
正直実家を離れて、この行いから身を離せたというだけで、もう心がハチャメチャに踊った。
人間は100%死ぬが、強い物語は死なない
なぜ人は国家やら仕事、宗教といったものに対して年齢を重ねるにつれて依存するようになるのか。
これに対してスキッドモア大学心理学教授のシェルドン・ソロモンは恐怖管理理論というものを提唱している。詳しい内容は”なぜ保守化し、感情的な選択をしてしまうのか : 人間の心の芯に巣くう虫”という本を参照されたい。
恐怖管理理論を一言でいえば「人間、みんな死ぬのが怖いから、いろんな手法でもって死から逃げている」というものである。
数多の動物と違い、人間は現在だけではなく長期スパンでもって過去や未来に心をはせる生き物だ。
自分もそうだったのだが、多くの人間は幼い頃に死をとんでもなく恐怖する。
しかし究極的な話…人間の死亡率は100%である。その100%訪れる超怖い死への思いを、どうにか低減させられないと、人は心穏やかには決して生きられない。
そのために人は自分を徐々に死なないものへと投影し始める。
例えば日本人という、自分の死後も恐らく続くであろう民族意識へと徐々に自我を移植したり、会社や出身大学、あるいは職業など…
いわゆるアイデンティティと自我をどんどん己の中で同一視できるようになることで、自分が単なるちっぽけな一匹の動物ではなく、巨大でファンタジックな”死なない”物語の一部であるという風に認知を根本から切り替える。
そうして人は概念上の不死を獲得し、死の恐怖から逃れるのである。
アイデンティティの強要は極めて暴力的な行いである
そして言うまでもなく、宗教もその一つである。
人間は誰でも大なり小なり自分の中に物語を持って生きている。
この物語が自分好みのもので、かつそれが強い自尊心と結びついている場合、人はあまり他の物語には惹き付けられない。
しかし自分が不安定であり、かつ己の所有する物語に不安を抱えている場合…そこに宗教が上手い具合にフィットするケースがある。
宗教は時に人に心地よい共同体や目指すべき超越体験(人間からの逸脱≒死の克服)を提示する。
人間には幸福追求権(愚行権)があり人の行動は基本的には自由なので、別にどういう宗教がこの世に存在していても法に触れるようなヤバい事をしていない限り特に問題はない。
ただ、これが強要となると話は別だ。自分に”合わない”物語の強要ははっきり言って暴力以外の何物でもない。
それは他人の服にケチをつけて「今すぐに俺の選んだこの民族衣装に着替えろ」と強要するのに似た性質の行いであり、その民族衣装に着替えさせられた人間の感じる心地悪さは形容しがたい性質のものだ。
正しいと思うこと、良いと思う事ほど、わきまえないといけない
僕が思うに、多くの人は自分の暴力性に酷く無自覚である。その暴力の名前は正義だ。
古より人は正義と悪の戦いを好む。アンパンマンとバイキンマン、ジェダイとシスの話を持ち出すまでもなく、世の中の人気物語の背景にはまず善悪二元論がある。
私たちはほぼ間違いなく自分が善なる人間であり、善のサイドに身を置いていると確信している。
「皆が善」
この仮定が本当に正しいのなら、世の中には悪などいないはずである。
しかし世の中を見渡してみると…なんだか悪ばかりがいるように見えてこないだろうか?
なぜこんな珍妙な事がおきるのか。
それは悪の本当の正体は、形を変えた善だからである。
本当の世はアンパンマンとアンパンマン、ジェダイとジェダイが日々バトルを繰り広げる戦記物語であり、バイキンマンもシスも主観的物語の中にはどこにもいない。
実はバイキンマンはめっちゃ良いやつ
だからこそ…私たちはわきまえないといけないのである。
「貴方のためを思って」
「それは絶対に間違っている」
つい、こう言ってしまいたい気持ちが貴方の心の中にある事は重々承知している。
それを理解した上でいうが、それだからこそ正しいと思うこと、良いと思う事ほど
「あくまで自分自身の一つの意見にすぎない程度の事なのだけど…」
と、義憤や正義の心を沈めて沈めて提案する事が必要だ。
それをとっぱらってしまえば、正しい意見は簡単にアンパンチになり、誰かの顔を大きく凹ませる。
バイキンマンは人格者なので何回アンパンチで殴られてもニコニコ笑って許してくれるけど、実際にはあんな優しい奴はいない。
家主は己のルール敷いたルールに皆が満足しているかの確認義務を負う
ちょっと前に人気漫画家である西原理恵子氏の娘さんがプライバシーを勝手に切り売りされてハチャメチャに辛かったという事をブログで告白して話題になった。
当たり前だけど子供は親のオモチャではない。嫌だという事をされるのは一種の暴力だ。
自分に居心地が悪い共同体を共用されるのも一つの暴力だし、個人的には親から子への宗教の斡旋はあまり望ましいものではないと思ってはいる。
ただ…それは子を持ち育てる親が、子供に媚びへつらって顔色を伺うように生きねばならないという事を意味はしない。
個人的に家主に最も求められる資質は、このルールを常に皆の要求に沿うように改変し続け、折り合いをつけてゆくことのように思う。
どこの会社でもそうだし、家族だってそうだが、どの共同体にも”ルール”はある。
そしてその”ルール”は強いものにより決定される。
共同体におけるケンカの多くはこのルールを巡っての争いだ。
共同体が自分にとって居心地が良くなるために、人は噂話から悪口にいたるまで、実に様々な手口を繰り広げる。
自分がルールを作る側に作れず、かつその共同体が好ましいと思えない人間は、当たり前だけどその共同体をいつか離れる。
現代は被害者に対する同情心がとても強い時代なので、暴力的なルールを徹底すると、キャンセルカルチャーの憂き目にあう事もあろう。
もし、その人にニコニコ笑って共同体に居続けて欲しいと思うのならば…家主はキチンと話し合いの機会を設けるべきだ。
そしてその意見に最後までキチンと耳を傾けて、その上で許せる部分と許せない部分を腑分けし、時間をかけてゆっくりと折り合いをつけてゆかなければならない。
構成員は共同体でルールを守ることの大切さを学ぶ
そして共同体の構成員も、その共同体におけるルールを所属する限りは遵守する事の大切さを学ばなくてはならない。
門限が17:00なら、屁理屈をこねたり言い訳をして破るのではなく、ちゃんと17:00に守るというような事を日々守る事を通じて、人は初めて「やる事はちゃんとやってんだから、ここの自由はちゃんと認めろ」という交渉を持ち出す事ができるようになる。
自分はいま振り返っても宗教へのコミットを強要された事は嫌だったなとは思うが、それでも親は親で他にキチンとやるべき事は果たしてくれたなとは思う。
見方を変えれば、月に一回程度の読経で3食ベッド付きで大学の学費まで丸ごと出してくれたのだから、まあ嫌は嫌だったが、ちゃんとそれ以上のものはお返ししてくれたなとは思える。まあ、宗教は引き継がないけど。
共同体が持つ何らかのものを必要とする限りにおいて、良くも悪くも嫌なことへの耐性はある程度必要だ。
アンパンマンしかいない世の中なのだから、人間と人間の利害は100%対立する。
そういう大前提を踏まえた上で、自分が欲しいものがその共同体にそもそもあるのかどうか、そしてあるならあるで、手に入れたらそこから離れてしまいたいかどうかが個人的には大切なように思う。
そうして欲しい物を一通り手に入れてしまったら…別の居心地がよい共同体にシフトするか、あるいは自分でルールを決められる共同体を、自分で設計するのがいいだろう。
皆が満足できる共同体を設計できる人間の価値は莫大だ。
そしてその共同体の規模が、あなたの人間としての王の器そのものだ。
あなたも一人の王として、良い王国の運営を目指してみてはいかがだろうか?
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ティネクトでは創業以来、数多くの地方中小企業様のお手伝いをさせてきました。地方では人材不足が問題と思われがちですが、実際は「人材」の問題よりも先に「知」で解決することが多いと感じています。 特に昨今は生成AIの台頭で、既存の人材とAIの協働の可能性が高まっており、実際それは「可能である」というのが我々ティネクトの結論です。
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
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