疲れている時にTwitterをやっていると、つい惹き付けられてしまうものがある。それはなろう系の漫画の広告である。

 

なろう系とは小説の一大ジャンルだ。

現実社会ではしがない生活をしていた人間がトラックにはねられて異世界に転生した結果、異能を発揮して無双したり、よくわからないけど何らかの天啓に恵まれてハチャメチャに強くなって、それまで冷遇されていた現実から一転して救世主みたいにチヤホヤされるというアレだ。

 

このなろう系はよく「努力が嫌いな現代人が、読んで気持ちよくなる為のもの」という風に揶揄される事が多い。

というか僕自身もそう思っていた節があり、正直読むのを避けていた。

 

しかし実際に読みすすめてみるとである。これが妙に癒されるのだ。

あんなに散々揶揄していたくせに、こんなに楽しんで読んでるだなんて何事だ!と怒られること必死である。いや…正直スマンかった…お前、めっちゃ面白いよ…

 

いったいなんでこんなに楽しいのだろうかと頭を捻ってみたところ、一つの結論がでた。

それは報酬の前借り効果である。

 

現実世界は結果反映まで時間がかかりすぎる

現実世界は大変である。大なり小なり、苦労していない人間などこの世にはいない。

僕もいま振り返ると笑っちゃうぐらいにラクチンな環境にいた頃だって、日々「シンドい」と思っていた。

 

このシンドさは実はある状況に似ている。

それは修行である。巨人の星からドラゴンボールに到るまで、強くなる人間はみな厳しい修行にハァハァしつつ、その成果として大リーグボールやらかめはめ波といった成果を手にしていた。

 

私たちは心のどこかで、大変な思いをしたら、それ相応の報酬がある事を心のどこかで期待している部分がある。

実際には報酬を受け取るには、きちんとしたプロジェクトを立ち上げて、かつ正しい努力をそれなりに長い年月積み重ねてゆかねばならないのだけど、そういう事をやったかどうかは別に、やっぱり心はどこかで「ご褒美」を欲しがっている。

 

既に疲弊した身体に、無双はものすごく気持ちいい

そういう疲弊しきった身体に、なろう系の物語は清涼飲料水のように染み渡る。

 

「現実世界ではもうチョー頑張った。もうマジ限界。恩赦プリーズ」

 

そういう状態の脳みそに、異世界転生して超絶ハイスペックでもって無双する状態を物語として流し込むと、脳が本当に物凄く喜ぶ。

 

「よく頑張ったね!努力の結果として、あなたは世界を揺るがす剣聖になれました!」

 

そういう文脈でもって”なろう系”を読むと、なんだかハチャメチャに頑張った現実世界における努力の対価を受け取っているかのように脳が錯覚する。

まあ実際には全然関係がないのだが、物語というのは自分の都合の良いように読むものである。

 

そうやって異能でもって世界中から称賛されているという感覚を味わい、美しいヒロインとイチャイチャするようなファンタジーにしばらく身を置くと、不思議なことにあんなに疲労困憊でゼーゼーいっていた脳が

 

「もう、もう元気になったから大丈夫だぜ。いっちょ次、頑張っちゃう?」

 

とか言い始めるのだから、不思議である。

まあ実際にはすぐまた疲れるのだが、疲れたらまた同じことを繰り返せばそれでよいのである。

 

なろう系…それは社会修行で疲れ果てた人間への、ご褒美ユンケルなのである。

 

自分の人生にウソを介入させてはいけない

「物語に癒やされるだなんてばっかじゃないの?」

「虚構に逃げても、何もいいことなんてない」

「現実から逃げるな!」

 

若い頃の自分は、よくこんな事を思っていた。

いま思うと「若者よ。そう生き急ぐな」と生暖かい目でみたくなってしまうのだけど、ウソや虚構といったものはそう一概に悪いだけのものではないと大人になった今は真剣に思う。

 

ウソや虚構は意識的に摂取しているうちは極めて健全だ。

感動的な物語にフルコミットして涙を流してもいいし、ヤクザモノの映画をみて絶対にありえなさそうな任侠道に憧れるのもいい。

 

しかし世の中には絶対についてはいけないタイプのウソや取り入れてはいけないタイプの虚構がある。

それは自分語りだ。他ならない、自分自身の人生をウソで塗り固めて構成した先にあるのは、純度100%の地獄である。

 

世の中にはびっくりするぐらいウソツキがたくさんいる

「人間は、意外と言われた言葉を額面通りにそのまま信じてしまいがちである」

 

これは岡田斗司夫さんという漫画・アニメの評論をする方が言われていた事だ。

連休中に彼が書いたガンダム完全講義を通読して、僕は自分がいかに相手の言葉をそのままの意味でしか理解していないという事を痛感させられた。

 

岡田さんは有名なシャア・アズナブルの「認めたくないものだな。自分自身の若さ故の過ちというものを」や「坊やだからさ…」といったカッコいいセリフが、実は物凄く深い意味があるという事をこの講義で徹底的に解説している。

その解説力には舌を巻くばかりなのだけど、考えてみると自分も基本的には相手の言ってる事をほとんど疑って聞いた事がない。

 

しかしである。じゃあ自分自身がウソをついていないかというと…これがまあ、よくついているのである。

ヤバいウソは基本的にはつかないが、じゃあ本音だけ垂れ流しているかというと、そんな事は全然ない。

 

このように自分自身もウソツキを大なり小なりやっている状況にあるわけなのだけど、こんなのは全然カワイイ方である。

インターネット博覧会であるTwitterでは、実はウソツキが膨大に列をなしており、虚構をまるで真実かのように真顔で主張する人たちが山のようにいる。

過去にも某超有名外資系投資銀行勤務を騙って巨額の詐欺を働いていた人など、枚挙にいとまがない。

 

普通の人は他人のウソを見抜けない

じゃあその人達のウソを自分自身がちゃんと見抜けていたかというと、これがまた驚くことに見抜けていなかったのである。

かつて2ちゃんねるの創始者であるひろゆき氏が語った有名なフレーズに「ウソをウソであると見抜けない人には2ちゃんねるを使うのは難しい」というものがあるが、現実問題として普通の人間にはウソを見抜くのは無理である。

 

それ故に…M資金のような詐欺が何度も何度も繰り返されるわけだし、それ故にインターネット上ではウソで塗り固めた人生でもって承認欲求を荒稼ぎする人たちが山のようにいる。

 

とはいえ、バレないウソはない

「それならウソをつきつづけられるのなら最強なのでは?」

 

実際にそれができるのなら確かに最強なのだけど、現実問題としてウソを完璧に貫き通せる人などほぼ居ない。

よく「ウソを一つつくと、そのウソを守るのにまた別のウソをつかなくてはならなくなる」という言葉があるが、虚構に虚構を積み重ね続けるのは実際問題として人間の能力を超えている。

 

小説のように最初から最後まで虚構で成り立つ世界ならまだしも、現実というファクトがある世界において、そこにウソを設置するのは物凄く難しい。

だいたいにおいてファクトだけが精神に残るという事もあって、ウソはついた事すら忘れ果ててしまう事が多い。

それ故にウソツキは自分がついたウソと矛盾するようなウソを無意識でもってよく言ってしまう。

 

そういう状況になってから、カンの良い誰かに「いやお前それウソじゃん」と指摘された瞬間から、ウソツキの人生は崩壊する。

そこで「ごめんなさい。すみませんでした」とやれる人間などまずおらず、ウソツキはゴチャゴチャと言い訳を始め、そしてぶっ壊れる。

 

この段に至って、ウソツキが真人間に戻れる確率はほぼ0%だ。

大抵の場合において「あっ(お察し)」な存在へと一般的には認知されるようになり、虚構の中で生き続ける残念な人間がこの世に爆誕する。

 

ウソツキの行く末は地獄以外にはどこにもない。

ウソが上手くいってしまった時ほど、その上手くいってしまったウソからもたらされる快感に吐き気を催せるようになるべきだ。それができないと、貴方の人生も「あっ(お察し)」である。

 

ウソをウソだとわかって楽しく利用できないと、現実を良く生きるのは難しい

ウソは使ってもいいけど、それを快感につなげてはならない。

 

これが僕のウソに対する結論である。

世の中にはどうしてもウソが必要となる時がある。末期がんで一縷の望みすらない人間が希望にすがっている時

 

「いや、おまえ絶対に助からないから」

 

と言うのは誠実なのではなく単なるバカだ。

そういう人にウソをつきたくないのなら、例えば「確かに世の中、何がおきるかはわかりませんからね」などと言って共感する方が絶対にいい。

 

世の中の多くのウソは優しさで満ち溢れている。

なろう系は血湧き肉躍る体験を読者にもたらしてくれるし、転職の際に「家庭の事情で…」とテキトーにウソをでっち上げるのだって、まあお互いが納得する為の一つのよい手段である。

 

このように、誰かを優しさで包む為のウソはインスタントな形で一時的な使用で終わる性質のものだ。

その後でバレたとしても、そこまで事がハチャメチャにこじれる事はないだろう。

 

一方で己の快楽の為につくウソは本当にヤバい。

覚醒剤の乱用者が強い刺激を求めて使用量がどんどん増えるかのごとく、ウソにウソが乗っかってトンデモナイ事になる。

行き先も同じく地獄である。誰もが「自分だけは絶対に大丈夫」と思い、どうにもならなくなってから破滅する。

 

ウソをウソだとわかって楽しく利用できないと、現実を良く生きるのは難しい。僕はそう思う。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

Photo by Jametlene Reskp