自己家畜化は誰のため?――私たちのこれからを考える -金子書房note

上掲リンク先は、私たち(ホモ・サピエンス) の自己家畜化と、その延長線上とみなせる近代以降のさまざまな変化を、精神医学のトレンドとあわせて論じたものだ。

 

自己家畜化とは、最近の進化生物学領域でしばしば見かける言葉で、より群れやすく・より協力しやすく・より人懐こくなるような変化だ。

たとえば人間の居住地の近くで暮らしていたオオカミやヤマネコのうち、人間を怖がらず、一緒に暮らし、そうやって生き残った子孫が犬や猫へと進化したのは自己家畜化のわかりやすい例だ。

 

そのような変化が起こった動物は、頭蓋骨が小さくなる・犬歯が小さくなる・性差が小さくなるといった具合に外見が変わるだけでなく、男性ホルモンであるテストステロンの量が減る・脳内で利用できるセロトニンの量が増えるといった、ホルモンや神経伝達物質の変化を伴う。

でもってホルモンや神経伝達物質が変われば、行動やメンタルも変わることになる。

 

進化生物学は、私たちホモ・サピエンス自身に起こった自己家畜化についても論じている。

化石や遺跡、歴史や文化、赤ん坊の性質等々から多角的に検討し、この自己家畜化が私たちの先祖にも起こったという考えだ。

それこそがホモ・サピエンスが (ネアンデルタール人などと違って) 文明社会を築けるようになった鍵だと論じる向きもある。

あるいは人間の道徳の起源や家父長制の起源を、この自己家畜化とあわせて論じる向きもある。

 

ところで上掲リンク先の金子書房さんは、心理学や精神医学の学術書をたくさん出している出版社だ。

その公式noteに私が自己家畜化についてエッセイを寄稿しているのは奇妙に思えるかもしれない。

けれども私としては、割とマジというかガチというか、そういう気持ちでエッセイを書いている。

 

というのも、進みゆくヒトの自己家畜化と精神医学の発展は無関係にはみえないし、両者を比較すると人間の未来について考えるヒントが得られるようにも思えるからだ。

 

進みゆく自己家畜化についていけない特性として、精神疾患を想定すると……

このように私が考えるのは、文明社会の歴史が、まさにこの自己家畜化をさらに進める方向で進展しているようにみえるからだ。と同時に、その文明社会からのはみ出し者や不適合者がますます増えているようにみえるからだ。

そしてはみ出し者や不適合者とみなされるようになった人への救済策として、精神医療が発展しているようにもみえるからだ。

 

これも上掲リンク先に書いたことだが、社交不安症をはじめとする不安症群の患者さんは、まさに脳内セロトニンの利用に問題のある人で、特定の場面で不安や恐怖に陥り、そうした場面をできるだけ避けようとする。

これは (たとえば大都市のような) 自己家畜化が進んでいることを大前提とした社会環境で生活していくには、まさに障害と呼ぶに値するし、実際、そうした人は社会活動が制限されたり、これが原因となってほかの精神疾患を併発したりする。

 

さきにも書いたとおり、自己家畜化の進んだ動物は脳内で利用できるセロトニンの量が増え、不安や恐怖や攻撃性を抑制することができるようになる。

満員電車のなかでも不安や恐怖や攻撃性を抑制できること、職場の朝礼や全校集会に平然と参加できることは、私たちの自己家畜化がそれなり進んでいる証左であり、現代社会ではできて当然とみなされがちでもある。

 

しかし不安症群の有病率からいって、これができない人の割合は決して少なくない。

これまでに特段のトラブルもなかったのに、ある時期から特定場面で不安や恐怖に耐えられなくなってしまう人、たとえば人混みや演台で心拍数が急上昇してしまう人などは、精神医学の領域では珍しくもない存在だ。

 

のみならず、自己家畜化が進んでいる人間を自明視し、そのような人間に最適化されている社会は、他にもさまざまな特性を持った人を障害として浮かび上がらせる。

たとえば社会生活が高度になり、その高度な社会生活にみあった能力をますます求められる私たちは、座学やデスクワークに不向きな者をADHDとして、コミュニケーションや環境のコモディティ性に追随できない者をASDとして、読み書きそろばんの苦手な者をSLDとして、新たに障害として認定しなければならなくなっている。

 

感情面でもそうだと言えるかもしれない。

過去の人間は、現代人よりもずっと感情表出が豊かだった。たとえば昭和の日本人と令和の日本人、同じ西暦でも途上国の田舎の人と先進国の都会の人を比較してみればわかりやすい。

感情表出の豊かさは、時代が進むほど・社会生活が高度になるほど・さまざまな立場や地域の人が共存しなければならなくなるほど、必要というよりも不要になり、感情表出が控えめで繊細であることが期待されるようになる。

 

ノルベルト・エリアスの『文明化の過程』では、中世において感情表出が現代とはまったく異なるさまを以下のように記している。

 われわれから見れば互いに矛盾し合うと思われる種々の事柄、すなわち、信仰の深さ、恐怖心・罪悪感・贖罪の激しさ、喜び・快活さの異常な爆発、憎悪・攻撃欲の突如の燃焼と抑え難いほどの激越さ、それらすべては移り気の激しさ同様、事実、同一の環状構造の多様な現われにほかならなかった。衝動や感情の発現は後世に比べて、当時ははるかに奔放で、直截で、あからさまであった。万事が抑制され、計算されており、社会的タブーが以前に比してはるかに色濃く、自動制御的性格を帯びながら衝動処理そのものに組み込まれている現代のわれわれにとってのみ、当時の信仰のあからさまな強烈さと、攻撃欲ないし残忍さの激しさが矛盾と見えるにすぎない。したがって、当時の人々の感情表出や態度をわれわれが「子供じみている」と言うならば、それは現代では一般に子供たちにのみみられるような形で、当時の人々が感情を表出したからにほかならない。
『文明化の過程』より

中世の感情表出は現代のそれよりずっと大きかった。

そのように感情表出の大きい者は、今日、メランコリーならうつ病として、喜びや怒りであれば躁病とみなされかねない。

あるいはその他の精神疾患が該当することもあるだろう。

 当時の文献のいずこを見ても、類似のことが確かめられる。中世の人間生活は現代とは異なる情感の条件を基盤としており、不安定で、未来に対する十分な見通しに欠いていた。そうした社会では、全力を尽くして愛さないもの、あるいは憎悪しないもの、また激情の渦中でおのれを全うできないものは、修道院へ入ったのであった。後世の社会、とりわけ宮廷においては激情を抑制し、情感を秘めたり「教化」したりできないものがそうであったように、かれは、世俗生活の中ではいわば落伍者だったのである。
『文明化の過程』より

しかし中世においては逆である。

現代人のような、感情表出の穏やかな人間のほうこそが修道院に入らなければならなかった=社会からの落伍者とみなされた。

今では過剰や異常とみなされる感情表出のほうが、人間のまっとうな精神機能として期待されていた、ともいえるだろう。

 

中世の視点からみた現代とは、社会全体が修道院と化した未来社会であり、中世において健全・まっとうとみなされた人々こそが落伍者とみなされる社会である。

 

こうした中世から現代への変遷はもちろんいきなり起こったわけではない。

近世においては中~上流階級のあいだで繊細な礼儀作法が流行し、19世紀以前には逸脱者や異常者をかたっぱしから巨大精神病院に収容する時代があった。

やがて収容の対象となった精神病者や逸脱者の研究と分類が進められ、20世紀後半からはそうした研究と分類に生物学的・統計学的根拠が伴うようになった。

こうした精神医学の進展とともに、人間に期待される精神機能、および期待されない精神機能は変わり続けている。

 

自己家畜化が加速した未来をちょっと想像してみる

人間が自己家畜化していくプロセスで文化や文明が生まれ、その文化や文明がさらなる人間の自己家畜化をマッチポンプ的に促し、ますます協力的で、ますます都市的で、ますます感情の穏やかな人間を必要とするようになっていくとしたら、その行き着く先はどこだろう?

 

未来を、中世から現代までの流れの延長線上に見据えるなら、人間は、ますますみずからの感情表出にやすりをかけ、より穏やかに、より協力的に、より密集して生活可能な、そのような生物へと導かれていくのだろう。

テストステロンの暴威はなりをひそめ、社会秩序はセロトニンによるハーモニーに包まれる。

そうした変化は、学校などによる規律訓練型権力や都市環境による環境管理型権力によって進行するだけでなく、性選択を経ても進んでいく。

 

ここでいう性選択とは、現代社会に最適化された個人が配偶相手に選ばれ、そうでない者が選ばれないという選択過程のことだ。

収入や社会的地位や容姿などに優れる人間、この繊細きわまりない社会に適した人間が配偶相手として選択されやすく、そのような遺伝子が後世に残ることで未来の人間のありかたが変わっていく……といった具合に。

 

最近は、そうした性選択に加えて、精子を厳選して購入するとか、遺伝子診断的なものをとおして受精卵を選別するといったプロセスも加わる。

この社会に適応しやすい人間、この社会で成功しやすい人間が生まれてきて、この社会に適応しづらい人間、この社会で成功しにくい人間が生まれてくる確率じたいが下げられるプロセスが進行し、そのための手段が(たとえばマッチングアプリ的なものや遺伝子診断的なものも含めて)発展していくとしたら、生物学的にも私たちはもっともっと変わっていくのではないだろうか。

 

そうした人間の、人間による、人間のための? 選択と選別は、見ようによっては優生主義ともみえる。

優生主義として悪名高いのはナチスドイツの、そして北欧諸国やアメリカで行われてきた国家レベルの優生主義の実践だが(この悪名には日本も名を連ねている)、今日のリベラルな思想に基づいた、個人単位の選択と選別はリベラル優生主義として倫理的正当性を伴っている、少なくとも正当性との辻褄合わせをしていると聞く。

その議論は、これから発展するであろう遺伝子操作の領域にまで及んでいる。

 もし、右のような重篤な遺伝病への生殖細胞系列遺伝子治療が成功し、そのことが遺伝子工学についての社会の不安を和らげる方向にはたらけば、その次には、遺伝病の中でも子供の生命に与える影響が比較的小さい疾患や、成人病、ガンなど成人になるまでその影響が現れない遺伝的因子が、遺伝子工学の対象になろう。
やがて、エイズをはじめとする伝染病を予防するための遺伝子介入や、病気一般への抵抗力を高め、健康を推進するための遺伝子導入が可能になるかもしれない。老化を遅らせるための遺伝子改良についての研究も、その需要の高さゆえに加速する可能性がある。
最後には、もし精神的機能に対応する遺伝子レベルでの因子が発見されれば、精神病を予防したり、暴力的・衝動的性向を矯正したりするだけでなく、知的能力や人間の感覚能力を積極的に改良するための遺伝子工学の利用法すら、親たちに提供されるかもしれない。
『リベラル優生主義と正義』より

こうして、正当性を伴いやすい遺伝子治療を皮切りに、人間の人為的な改良が加速していく可能性は(倫理がそれを律速するとしても)十分あり得るし、少なくとも倫理の領域ではそうしたことが議論されている。

 

上掲引用文に基づいて未来の自己家畜化について考えるなら、よりセロトニンがしっかり出て、より不安や恐怖や攻撃性に駆られにくくて、よりエモーションが安定して生産性や効率性にも優れた、そんな未来人への誕生が想像される。

そうした未来人の誕生は極端なブレークスルーから始まるわけではない。精子の選別や羊水診断といった既存技術の蓄積から始まり、倫理的に妥当で当事者のニーズとしても切実な重大な疾患の予防・改善をとおして発展し、気付いた頃にはすっかり社会に根付いている。

 

たとえば体外受精が当たり前になり、受精からしばらくのヒト胚が操作できる環境が当たり前になった100年後の未来を想像してみて欲しい。

生まれるよりずっと前の、もしも処置に失敗しても中絶とすらみなされない段階のヒト胚が自在に選別可能になって、操作可能になって、たいていの遺伝リスクを防ぐことができ、自己家畜化の進んだ社会に適応しやすいメンタルへと改変可能な時代になったら、親の気持ちとして、そのように簡便で倫理的にも差し障りの少ない介入をやらずに済ませられるものだろうか?

 

上掲で引用した『リベラル優生主義と正義』には、そのような遺伝子への介入がどのような条件なら是とされるのか、どのような条件なら非とみなされるのか等々、さまざまなディスカッションが記されている。

だから同書を読む限りでは、遺伝子操作が人間の自己家畜化を無秩序に加速していく未来は想像しにくい。

 

けれども一定の条件を守り、正当な手続きを経る限りにおいては、倫理的に妥当なかたちで遺伝子操作が普及し、未来の私たちを改変していく可能性はやっぱりあるようにも読み取れる。

より病気の少ない人生、より苦痛の少ない人生、より生産的で互恵的で効率的な人生を子孫に望む限りにおいて、未来の私たちがもっと自己家畜化の進んだかたちに変わっていく可能性は否定できない。

 

誰もが今よりもずっと穏やかで協力的になり、学習にも労働にも適したメンタリティを身に付け、ぎゅうぎゅう詰めの都市生活にもストレスを感じず、免疫力も高く、遺伝子疾患のリスクも回避できている、そんな未来。

そんな未来が来るとしたら、あなたはそれをユートピアと呼ぶだろうか、それともディストピアと呼ぶだろうか。

 

どちらにせよ、そういった未来を想像するのは簡単だ。

なぜならその未来に向かう歩みは自己家畜化というかたちで有史以前から始まっているし、現在進行形で起こっているし、未来に向けてメソッドも着実に整いつつあるからだ。

 

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo by Sangharsh Lohakare