初めに断っておくが、今から私がお話しすることはフィクションである。何なら妄想だと思っていただいて構わない。
私の身に起こったことは事実なのだが、その事実の中に散りばめられたヒントから私が組み立てた推測には、何一つ証拠がないからだ。
なので、私が「嫌がらせの犯人なのでは?」と考えた相手の名前も、この記事中には出さない。
名前は出さないが、ここで話を進めるためには呼び名が必要なので、私はその人のことを「女性インフルエンサーのH」と呼ぶことにする。
ことの発端は、かつて炎上の女王として名を馳せたHの「なりすまし行為」について、私がブログで言及したことだった。
それ以降、私のブログには何者かによる嫌がらせ行為が続いた。
しかも、匿名の誰かによる攻撃のターゲットになったのは、私だけではなかったのだ。
私と同じように、Hの「なりすまし行為」について記事を書いた他のブロガーさんのところへも、全く同様の嫌がらせがあったという。
具体的には、Hのなりすまし行為について書いた記事に対し、Googleから「中傷を含んだコンテンツである」との警告が、1週間ほど続けて届いた。
私はGoogleアドセンスを利用しており、ブログには広告が表示されている。
広告の表示回数やクリック数によって、私に成果報酬が入る仕組みだ。
もしGoogleからの警告を無視して、記事の削除や修正に応じなかった場合には、問題となった記事へは広告の配信が停止される。はっきり言って、大したペナルティではない。
もしもその記事が大きなPV数を稼いでいて、影響が大きければそこそこの痛手となるのかもしれないが、私がGoogleから得ている広告収入は元々少ないし、Hについて書いた記事もそれほど読まれているわけではないため、広告が停止されたとしてもほとんど影響はない。
だからといって警告を放置するのも落ち着かないので、私は最初に警告を受けた記事を一時的に非公開にし、そのことを報告する記事を新たに書いた。
すると、新しく出した記事に対してもすかさず警告メールが届いたのだ。しかも、同じ記事に対して複数の警告を繰り返し受けることになった。
その後も、記事中の表現を修正して再投稿しても、それについて更に説明する記事を出しても、間をおかずして新たな警告メールが届いたため、私は誰かがブログを監視しており、Hについて言及するたびにすかさず通報しているのではないかと疑った。
私がブログやTwitterで「このような嫌がらせにあっている」と報告したところ、「それはH本人では無く、Hのアンチのアンチによる仕業ではないか」との声も上がったが、もしもそうであるなら「Hのアンチのアンチとは、Hにとってはアンチよりも迷惑な存在だな」と思えた。だって、そうではないだろうか。
「Hのアンチのアンチ」とやらがアンチに対して仕掛ける攻撃の犯人として、真っ先に疑われるのは「Hのアンチのアンチ」ではなく、Hその人なのだから。
Googleがどのような基準で警告メールを出しているのか、そのルールはよく分からなかった。
なぜなら、警告を不服とし、記事の内容を修正しないまま再審査を請求しても警告は取り消されたし、警告を受けて違反レポートの確認をしにいくと、「現在、問題はありません」と表示されることもあったのだから。
もしかすると、Google側は何者かによって通報を受けたら、通報の内容を精査しないまま、とりあえず警告のメールをサイト運営者に出しているのかもしれない。
それにしても不思議だった。私は日頃から誰にも忖度せずに好き勝手なことをブログに書き散らかしているが、記事の内容にGoogleから警告を受けることは、これまで滅多になかったからだ。
これほどの頻度で、同じ記事に対して繰り返し警告を受けたのは初めてのことだった。
しかも、警告を受けるのはHの「なりすまし問題」について触れてある記事だけなのだ。よほど、誰かにとってはネット上に残るとまずい記事なのだろうか。
Hの「なりすまし問題」についてご存知ない方のために、簡単に説明をしておこう。
女性インフルエンサーのHは、過去に自身のアンチと思われる人物・N氏になりすまして、N氏の顔写真、氏名、メールアドレス、SNSなどの個人情報をネット上に晒した。しかも、そのことをN氏がTwitterで告発すると、「私はそんなことをしていない」と主張して、N氏を名誉毀損で訴えたのだ。
Hは自分がやった証拠はないと高をくくっていたのだろうが、そうではなかった。N氏はHがなりすまし行為をしていた確かな証拠を握っていたのだ。
そのため、もしもこのまま裁判が進んでしまうと、Hは実際になりすまし行為をしていたと裁判所に認定されてしまう。
墓穴を掘ったことに気づいたHは、慌てて訴えを取り下げようとしたのだが、時すでに遅しである。N氏側の代理人は、訴えの取り下げを承諾しなかったのだ。
そこで、追いつめられた彼女は請求を放棄した。
自ら訴えたにも関わらず請求を放棄をするということは、相手に対して全面的な敗北を認めたということである。
その屈辱を受け入れてでも、一刻も早く裁判を終わらせたかったのだろう。
しかし、ことはこれで終わらなかった。腹の虫がおさまらないN氏側が、今度は逆にHを訴えたのだ。その裁判は結審していないため、まだ結論は出ていない。
どのような結果が出てくるのか非常に楽しみであり、実に興味深い案件だ。
そう感じたのは私だけではなかったらしく、久しぶりにTwitterはHの話題で盛り上がった。
「盛り上がった」と言っても、あくまで局所的な盛り上がりに過ぎない。Hが「炎上の女王」と呼ばれたのも今は昔の話であり、現在は完全に湿り切った存在になっているからだ。
これほどの失態をおかしても炎上せず、ほとんど話題にもならないのは、Hにとっては幸運だったと言えるのだろうか。
彼女が何か言ったりしたりする度に、パチパチと音を立てて勢いよく燃えていた頃のことを思えば、隔世の感がある。
Hはプロブロガーのパイオニアと言える存在であり、キラキラ女子の代表としても、一時期は圧倒的な存在感を放っていた。傲慢で無礼な発信スタイルは多くの敵を作ったが、それでも時流に乗っている間は、炎上などものともしない勝気さと勢いがあった。
世間では誰に何を言われていようと、きっと業界内ではウケが良かったのだろう。若い女の子だったHは何冊もの本を出版し、エッセイだけでなく小説も上梓して、ブロガーやインフルエンサーではなく作家を名乗り、テレビの人気情報番組にもコメンテーターとして出演していた。
そんな時代の寵児だった彼女が、一体いつから変わってしまったのだろう。
彼女が落ち目になった理由は一つではないし、人気が急落する大きなきっかけになった出来事もいくつか思い浮かぶけれど、最も大きな理由は、単純に彼女がもう若い女の子ではないからだろう。
若さゆえに許されていた不遜さや未熟さは、若くなくなれば許されないし、若かったゆえに新鮮な魅力だと感じてもらえたことも、時を経てしまえば飽きられる。
そもそも彼女は、なぜそんなにも人気があるのかよく分からない人だった。他人の神経を逆撫でして目立つことは上手だったけれど、その他のことは何をしても中途半端で、中身がない。
「ずっと小説家を目指していた」という割には、子育ての忙しさを言い訳に執筆活動からは遠ざかり、最近は「ショート動画クリエイター」を名乗っているらしい。
といっても、創造性に溢れたショートムービーを制作しているわけでもなく、短い動画にアフィリエイト広告を貼って、怪しげな商品の宣伝ばかりしているようだ。
いったい、何をしているのだろう。いったい、何がしたいのだろう。
それは、本人が一番感じていることなのかもしれない。
もしも私への嫌がらせの犯人が、「Hのアンチのアンチ」ではなく、H本人であったとするならば、現在の彼女は相当に病んでいる。
嫌がらせのようなGoogleからの警告メールは、1週間ほど続いた後にぴったりと止んだ。
いくら通報を繰り返しても、記事を削除させられないので諦めてくれたのだろうか。
最後はGoogleを通した警告の代わりに、ブログに直接メッセージが届いた。その中身は、私の容姿や人柄に対する実にストレートな中傷だ。
そのメッセージを確認した時、私は怖くなった。メッセージの内容に震えたのではない。それが送られてきた時間に寒さを覚えたのだ。深夜の2時47分だった。
皆さんも想像してみてほしい。
私をどうしても傷つけたい、少なくとも嫌な気持ちにさせたい「誰かさん」は、深夜の2時台に、わざわざその人にとって不愉快なことしか書いていない私のブログを読み込んで、私について調べ、捨てアカウントを取得し、私への中傷メッセージを打っていたのだ。
その時の彼女(メッセージの文体は女性のものだった)は、果たしてどんな表情(かお)をしていたのだろうか。
とてもじゃないが、心身ともに健やかな人物だとは思えない。
「恐らくこれは相手からの捨て台詞だな。これにて終了の合図なんだろう」と思った通り、それを機にGoogleからの警告メールは来なくなり、「やってやろうじゃん!」とすっかり臨戦体制に入っていた私は、肩透かしを食ってしまった。
私はメッセージを見つめながら、「もしもこれが、H本人から送られたものだとしたら…」と、想像してみた。
ただの妄想に過ぎないが、もしもそうだとしたら、彼女は今こそアンチの気持ちがしみじみと分かったのではないだろうか。
Hはこれまで、匿名の人間による誹謗中傷を非難し、自らを誹謗中傷の被害者であると盛んに訴え、掲示板の書き込みやツイートの投稿者、ブログ主を片っ端から提訴してきた。
しかし、そういう自分もアンチと同じことをしたのだ。
自分の気に入らない誰かを傷つけるために「匿名の誰か」となって、その相手に誹謗中傷を送りつける。その暗い怒りと喜びを私にぶつけたことで、果たして溜飲は下がったのだろうか。自己嫌悪に苛まれはしないのだろうか。
ある著名な映画監督が、Hの出した小説の解説文で予言していた。
「Hさんがその才能の真価を見せつける、太宰における『人間失格』のような傑作が、いずれ必ず我々の前に登場する。そんなHさんを見てみたいという願望も半分あるが、敢えて“予言”としてここに記しておこう。彼女はいずれ二つとない傑作を世に送り出す。才能以上に、それだけの体験をしてきた人である。SNS世代の中でも稀有なる作家なのである。楽しみだ」
今こそ、その映画監督からのありがたくも大きな期待に応える時なのではないのだろうか。
アンチを批判して被害者を装いながら、実はアンチと全く同じ穴の狢である「矛盾だらけで嫌らしい自分という存在」は、素晴らしい小説の題材となり得るのだから。まさに、太宰における「人間失格」のような傑作を生み出せるはずだ。
アンチを黙らせるのに有効なのは、裁判では無く才能である。己の才能を世に問うて、確かな実力を見せつけるのだ。そうすれば、一部のアンチによる批判の声など、数多の賞賛にかき消されてしまうのだから。
それこそが、彼女が自称する「クリエイター」としての生き方なのではないだろうか。
彼女が世に二つとない傑作を世に送り出すその日を、私も楽しみに待っている。
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【著者プロフィール】
マダムユキ
最高月間PV40万のブログ「Flat 9 〜マダムユキの部屋」管理人。
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