既知の作品、過去のアーカイブを読み漁ることに意味はあるだろうか。
「ある」という人もいれば、「ない」という人もいるだろう。今回紹介する『家畜人ヤプー』という奇妙なSF小説などは、「ない」と答える人の多い作品ではないだろうか。
『家畜人ヤプー』は昭和時代に作られたSF小説で、日本人が人間椅子や人間便器に改造され、白人らしき宇宙人に使役されている作品だ、三島由紀夫など同時代の文学者や知識人の間でよく知られていた……ぐらいはいまどきのネットユーザーなら即座に調べられるのではないかと思う。
だからといって、その『家畜人ヤプー』を実際に読んでみよう・読まなければならないと思い立って読む人は少ないのではないだろうか。
かく言う私も、同作品の名前はずっと前から知っていたけど、到底読む気にはなれなかった。
けれどもある人に「これは熊代さんが今読んでおくにふさわしい本なので是非とも読んでください」と推薦されたので、読むことになった。
百聞は一見にしかず。以下、『家畜人ヤプー』を読みたいとは思わないけれども雰囲気は知ってみたい人向けに、レビューめいたものを記してみる。
はじめのうちは、連載媒体のカラーが強い
SF小説としての『家畜人ヤプー』は私にとって非常に興味深い作品だったが、その前に、SM小説としての『家畜人ヤプー』についても触れないわけにはいかない。
『家畜人ヤプー』は1950年代に『奇譚クラブ』という雑誌で連載が始まっている。この『奇譚クラブ』がなかなか特殊で、SM、フェティシズム、等々の変わった性嗜好を取り扱う雑誌だったという。
そうしたわけで、『家畜人ヤプー』の第一巻は、いきなりマスターベーションがどうこうといったエロチックな話が展開され、とにかくSF小説を読みたい私のような人間を怯ませる。
また、本作品のメインストーリー?は「日本人青年の麟一郎とドイツ人女性クララのカップルが、宇宙帝国イースのタイムマシンに遭遇することをきっかけに、麟一郎がクララの家畜になり、クララは麟一郎の所有者となる」といったものだ。
物語冒頭では対等なカップルだった麟一郎とクララが、宇宙帝国イースの文化に触れるうちに家畜と主人の関係へと変わっていく。
これは私の想像だけど、SM小説としての『ヤプー』は、家畜になっていく麟一郎と主人になっていくクララの変化の過程を、そもそも家畜と主人の関係から成り立っている宇宙帝国イースの世界をバックグラウンドとして壮大なスケールで愉しむ作品なのだろうと思う。
後で触れるが、『家畜人ヤプー』はSF小説らしい世界の描写が緻密というより過剰なほどで、その少なくない割合が主従関係やスカトロ的な社会制度やレイシズムの正当化のために費やされている。
ために、本作品はマクロには宇宙帝国イースの物見遊山の物語が、ミクロには麟一郎とクララの主従関係の物語が同時進行していくわけだけど、この、世界描写とカップルの主従関係の同時進行具合が、いかにも男性向けのエロという感じがするし、実際、読者の多くは男性だったのだろうと想像する。
執拗に描かれる宇宙帝国イースのSM的/スカトロ的な描写は、頭でっかちになりがちな男性性欲に訴える仕掛けであり、それだけに、SM/スカトロ的な描写を楽しめない人間にはなかなかキツいものがある。
そうした描写に愉しみを見出さない人にとって、本作品は同じフレーズが何度も何度も登場するお経のような作品とうつってしまうかもしれない。
『家畜人ヤプー』の第一巻はこうした傾向がとりわけ強く、私も読むのが大変だった。だんだん慣れてくるし、途中からSF的な世界描写に軸が移ってくるので読みやすくなるのだけど、抵抗感をおぼえる人は序盤で力尽きてしまうかもしれない。
かといって序盤を読んでいないと宇宙帝国イースの社会のことがわかりづらいため、麟一郎とクララの筋なんてどうでもいいという読者も読み飛ばすわけにはいかない。
だから『家畜人ヤプー』は人を選ぶ作品と言わざるを得ないし、SM的/スカトロ的な描写が苦手な人は避けたほうが無難だ。
それと白色人種による黄色人種/黒色人種差別。これらが堂々と描かれているあたりも人を選ぶところだろう。
昭和に描かれた人体改造、宇宙帝国イースの統治、古事記や日本書紀との関連
肝心なのはここからだ。
少なくとも私にとって、『家畜人ヤプー』の読みどころといえば、宇宙帝国イースによって治められる未来の人間社会、その統治のありようと人体改造、そして意外に思われるかもしれないが未来の宇宙帝国イースが古事記や日本書紀のような日本の古代の物語や天皇制とも結びついている描写の面白さだ。
冒頭で触れたように、宇宙帝国イースはタイムマシンを開発するほどの技術力を持つ未来国家だ。白人が支配階級として君臨し、黒人の使用人たちがそれに仕え、日本人が人間椅子や人間便器といった家畜として生産・調教・使用される未来国家。
これだけ聞くと荒唐無稽な設定だと思う人が大半だろう。実際、第一巻の冒頭に出てくるマスターベーションのためだけに生産された肉人形装置を見て「なんて無茶苦茶な世界だ」と思わない人はほとんどいないだろう。
ところが宇宙帝国イースの成立過程や家畜としての日本人の生産・出荷システムなどを読み進めていくと、これはこれで合理的な世界というか、少なくとも支配階級である白人にとって便利で快適な世界であることに合点がいくようになってくる。
そして『家畜人ヤプー』が未来をビジョンするかなり立派なSF作品、それも、壮大かつ緻密なSF作品であることがだんだんにみえてきて、びっくりさせられる。
たとえば『家畜人ヤプー』連載開始の段階ではDNAの二重螺旋構造が未発見だったはずだが、本作品ではDNAに準じるものとして染色体がちゃんと登場しているし、作中のヤプー(日本人のなれの果て)に排泄器官が必要でない理由、白人の排泄物を食物としている理由も科学的なメカニズムできちんと説明されている。
作者がただのSMマニアではなく、当時最新の生物学に通じた人物であることがうかがわれる。
そうした科学的な説明に彩りを添えているのが、人文社会科学的な説明だ。
地球から宇宙に飛び出して大発展した宇宙帝国イースといえども、地球で生存してきた日本人の家畜化には当初抵抗があり、科学が進歩しているからといって好き放題やれるわけではなかった。
科学の進歩が新しいことを始めるにあたっては、道徳や通念や正当性といった人文社会科学的な進歩が伴わなければならないし、たとえば植民地時代の白人国家もそのようにしてきた。『家畜人ヤプー』に登場する宇宙帝国イースも、そこはちゃんとおさえている。
元来、”ヤプーは類人猿の一種だ”という説は、新・地球軍の地球再占領当時初めて、ヤプー処遇上、人権問題の口を塞ぐ便宜上からマスコミに付された俗説で、政策的神話ともいうべきものだった。テラ・ノヴァの本国では既に黒人は奴隷化していたから、黒奴の人間性を今さら問題にする必要はなく、地球での政策としてはヤプーだけを対象として、その人権剥奪の理由を作りだせばよかったのだ。
……この時、人びとの期待に応え、その内心にまだしこりついていた疑惑の蜘蛛を残りなく吹き飛ばしたのが、地球紀元で二十三世紀のローゼンバーグの大著『家畜人の起源(オリジン・オブ・ヤプー)』の発表だった。
……基礎哲学と応用技術は平行する。「畜人論(ヤプーニズム)」が学界の定説として受け入れられ、畜人論者がふえて、ヤプーの非人間化が良心の曇りを感ぜずに遂行し得られるようになると、ヤプー文化史上の三大発明、生体縮小機、読心装置、染色体手術が次々に登場してきた。これによって畜人制度は完成期にはいったといわれる。初めは愛玩動物だった矮人(ピグミー)──縮小畜人(ディミニッシュト・ヤプー)の十二分の一物──は「有魂機械」の部品として使用せられるに至り、第三次機械自動化による第五次産業革命を招来する原動力となった。
『家畜人ヤプー 第一巻より』(語彙は原文のままです)
家畜人ヤプーに登場する科学技術めいた設定は、はじめ、荒唐無稽な人間家畜化、人間便器化といったSM的意匠を支えるためのものと読めるかもしれないが、それだけではなかった。
科学技術めいた設定は、核戦争で荒廃した地球に残された日本人と、宇宙に進出し発展した後に地球を再占領し、そのとき日本人を再発見した宇宙帝国イースの人々の政治的処遇や倫理学的転回と結びついる。
両者が結びついてはじめて、日本人のヤプー化、日本人の家畜化を推進する説明となって輝きを増すのだ。
優れたSF作品は、単に科学の進展を描くだけでなく、その科学の進展した世界ならではの政治的・倫理的状況を描いてみせるものだ。作品によってはその逆に、政治的・倫理的状況にあわせて科学の進展を描くこともある。
『家畜人ヤプー』も例外ではなく、ななぜヤプーが家畜たらねばならなかったのかの理由が科学的にも社会的にも説明されると同時に、なぜ宇宙帝国イースがヤプーを家畜化しなければならなかったのか、どうしてその制度で宇宙帝国イースが成立しているのかが科学的にも社会的にも説明されている。しかも科学性と社会性の縫い目の縫い方が存外に丁寧なのだ。
そうして宇宙帝国イースの成り立ちや日本人の末裔であるヤプーのルーツについて知るにつれて、SM的/スカトロ的ではじめは抵抗のあったものでさえ、宇宙帝国イースの常識として自然なものと読めてくるのだからたまらない。
作中では、ドイツ人女性クララが宇宙帝国イースの習慣に次第に馴染み、かつての恋人であった麟一郎が家畜化されていく状況を受け入れていく過程が描かれているが、そこに感情移入しなくとも、読者はサイエンティフィックでソーシャルな説明を読み進めるうちに宇宙帝国イースにだんだん慣れ、そこに筋のとおった道理と統治が存在していると感じるだろう。そして強く思うに違いない、「これは、確かにSF作品だ!」と。
こうしたことに加えて、『家畜人ヤプー』は日本創生の神話にも絡んでくる。
「結論だけいうと、オークニー一族の首長の席を妾(あたし)のパンチ―に譲らせたの。ニニギーといって、陛下から拝領の純血種よ」
──出雲族から大和族への国譲りの話だ。ニニギーとは、もちろん、瓊瓊杵尊のこと──
「すると、今でもその子孫が首長で……」
「まあ、ウィリアム、有名な事実よ。邪蛮(ジャバン)首長のテンノー家の万世一系というのは……」、ここではじめてクララの声がして麟一郎を緊張させた。そうだ、婚約時代、彼は誇らかに日本の国体なるものを彼女に説いたのではなかったか……。さてアンナの声であった。
「そう。コトウィック嬢はよくご存じね。それ以来、ずうっと続いてるわ。妾(あたし)が地球都督になって、国有財産法に触れずに他球面ヤプーを管理処分できるようになったとき変えてもよかったんですけどね。ニニギーを遣る前に、”お前、ヤプー族を治めにお行き。お前の子孫が率先して天照大神信仰を鼓吹して奴らに妾を拝ませている間はお前の子孫を首長にしておいてやるから”っていってやったのを思い出して……」
──是吾子孫可王之地也(コレアガウミノコノキミタルベキクニナリ)。宜爾皇孫就而治焉(ウベイマシスメミマユキテシラセ)。行矣(サキクマセ)。宝祚之隆(アマツヒツギノサカエマサムコト)、当与天壌無窮者矣(マサニアメツチトキハマリナケム) (『日本書紀』巻第二)。あの神勅のことだ!
「でもヤプーとの約束なんて……」とウィリアムが突っ込んだ。アンナの落ち着いた声で──
「実際にもね、首長家を変えないほうが奴らの信仰が動揺しなくていいの。ニニギーに渡した『三つの品物(スリー・アーチクルズ)』が、いまだに首長家の象徴になってるくらいですからね。」
──三種の神器のことだ……
『家畜人ヤプー 第三巻より』(語彙は原文のままです)
宇宙帝国イースにはタイムマシンがあり、日本創生神話はそのイースによってつくりだされたものだった。
たとえば作中に登場するアンナ・テラスがなまって天照(アマテラス)となり、スザンがなまってスサノオとなった、等々。
この、日本創生神話までもがイースの采配によるとする話は、ちょっと荒唐無稽が過ぎるし、調子に乗りすぎているきらいがあるけれど、いやいや、それがまた面白い。
外国人読者には面白さがちっともわからないと予想される一方、日本人読者には響くものがあるだろう。
本作は太平洋戦争が終わってまだ時間の経っていなかった頃に出版されていたから、日本創生にまつわる諸々は令和の私たちが思うよりずっと「のっぴきならない」なものだったはずだし、そうした「のっぴきならない」状況のなかで読まれた『家畜人ヤプー』は令和のそれよりずっとインモラルで反体制的な作品だっただろう。
実際、出版に際しては右翼団体の圧力もあったと聞く。
日本人が白人国家に家畜化されるという筋書きにしても、敗戦から時間の経っていない1950年代に読むのと、それからずっと隔たった2020年代に読むのでは、風刺の度合い、衝撃の度合いはまったく異なっていたに違いない。
当時としては破格の国産SF
宇宙帝国イースのちゃんとSF的な描かれっぷり、そのうえ日本創生神話を1950年代にネタにしている冒険っぷりを思うに、『家畜人ヤプー』は当時としては破格の国産SFだったと想像され、リアルタイムに読んだ場合の衝撃はさぞ凄かっただろう、と思う。と同時に、同時代にこれを読むのは、2023年にこれを読むよりインモラルで反体制的なことだったはずだし、SM的/スカトロ的な内容から言っても、読んでいるとバレたら世間体が大変なことになってしまったに違いない。
こうして『家畜人ヤプー』を振り返ってみると、私には、これが1990年代後半のビジュアルノベル文化、特に18禁指定され俗にエロゲーと呼ばれていたジャンルの先駆けのようにもみえてならない。
西暦2000年前後のビジュアルノベル~エロゲーのジャンルには文化のゆりかごのような一面があり、18禁指定されていることをいいことに、さまざまな創作者によるさまざまな作品が生み出されていた。
たとえば『PSYCHO-PASS』や『魔法少女まどか☆マギカ』の虚淵玄も、『月姫』や『Fate/Grand Order』の那須きのこも、その文化のゆりかごで活躍し世に出てきた人だ。あの新海誠も『ef』をとおして関わりを持っている。
たぶん、それと同じ役割を過去のSFも(いや、現在のSFも)持ち続けているのだろう。星新一や筒井康隆の作品はアイデアの玉手箱のごとしで、たくさんの創作者にたくさんのインスピレーションを与えてきた。
でもって私が思うに、『家畜人ヤプー』もそうして多くの創作者にたくさんのインスピレーションを提供してきたSFアーカイブのひとつなのだろう。
今、インスピレーション目当てに『家畜人ヤプー』を精読する必要性はたぶん少なく、もっと最近のSF作品を読んでもいいんじゃないかと思わなくもない。けれども戦後間もない時期に作られた問題作として眺めるなら『家畜人ヤプー』はすこぶる刺激的な作品で、とんでもない作品にもみえる。
戦後間もない昭和の世相を想像しながら読むと面白さがいや増すので、古典に触れるような気持ちでの読書をオススメしたい。
でもって、SM的/スカトロ的な意匠ばかり注目されがちな本作が隠し持っているSFとしての壮大さ、宇宙帝国イースの辻褄の合いっぷりや未来秩序の整然としているさまを堪能していただきたい。
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著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
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ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo by Tony Webster