「テクノロジーが進歩し、人間の適職がもっと少なくなった時、私たちにとって「仕事」はどうなるんだろう?」
私は未来の仕事について考えるのが好きで、2019年にも、ベーシックインカムが普及した未来世界に思いを巡らせたことがあった。
思うに、機械やAIが狭義の仕事を人間からとりあげて、高水準のベーシックインカムが実現した時、それが福音になる人間と疎外になってしまう人間がいるのではないだろうか
大半の人が仕事を奪われても、仕事をとおして社会的欲求 (承認欲求や所属欲求など) を充たすニーズはなくならない。だからベーシックインカムを受け取るだけの人が大半を占める社会でも、人々は活動をとおして社会的欲求や社会関係を求めようとするし、そのとき最も辛い思いをするのは仕事をとおしてしか社会的欲求を充たせない、かつ面白みのない人々ではないか……と想像したのだった。
今回は、その正反対の角度から未来世界について考えてみたい。
ベーシックインカムをとおして狭義の仕事から大半の人が「解放」された後、それでも社会的欲求を充たしたい・充たさずにいられないのはあくまで人間側の要請だった。
では逆の可能性はどうだろう? 社会は人間に何を要請する? あるいは国や共同体や社会関係は人間に何を要請するだろうか?
「ベーシックインカムが普及したら社会は人間に何も要請しない。国も共同体も個人の好き勝手な振る舞いを許してくれる!」と考える人はいるだろう。
私も、気分によってはそのように考えてみることがある。
が、今日はそんな気分ではない。ベーシックインカムが普及した後もなお、社会が人間になんらかのものを要請する。……とあえて考えてみたい。
ここでいう社会からの要請とは、社会の一員として、国や共同体の一員として、ベーシックインカムにフリーライドするのでなく、「なんらかの貢献をせよと」せがむような、そういった圧のことだ。
つまりベーシックインカムが普及するからといって、個々人が社会に貢献するよう期待する(または強いる)圧は無くならない……という筋で未来世界について考えてみたい。
「社会貢献せよ」という圧は現代社会にも存在している
個人の欲求を充たすためにベーシックインカム+αを求めるのに比べると、まるでベーシックインカムと引き換えのように社会貢献を期待される話は面白くない、とみる人もいるだろう。
人権が天賦のものであるのと同様、ベーシックインカムも天賦のもの、無条件のものであって当然だと考える人もいようし、さきに述べたとおり、私も気分によってはそのように考える。
だがしかし、個人の欲求に執着してベーシックインカム後の世界で呻吟するのも、社会からの要請に追い立てられてベーシックインカム後の世界で呻吟するのも、どっちも人間って感じがするんじゃないですかね、とも思う。
そもそも今日においても社会からの要請は不断にあり、私たちは多かれ少なかれそうした要請に追い立てられ、そうした要請に服従し、生きざるを得ない側面がなかっただろうか。
たとえば障碍支援、福祉支援を受けている人のことを考えてみよう。彼らに社会的要請が無いかといったら、そんなことはない、ようにみえる。
たとえばそうした支援は陰に陽に個人の自立や自律を促している。支援を受けている人が破天荒な人生を歩みたいと主張する時、支援者たちは顔を曇らせるだろう。
支援の名分として「自立」という金色のプレートが掲げられている。そのようなプレートは認知症の高齢者には似つかわしくないようにも思える。
が、支援のタテマエとして金色のプレートが掲げられ、現在の社会体制のなかで経済的にも精神的にも自立した、持続可能なライフスタイルへの移行が被支援者に期待されているのはつとに感じることではある。
もちろん認知症の高齢者をはじめ、経済的自立がどうしても困難な人もいる。しかしそのような人でも、できる限りの社会参加は期待されるし、それが無理ならせめて社会の枠組みから大きく逸脱しないことが期待されている。
収入面では経済的自立が困難でもできるだけ経済的自立に近づくこと、就労不可能でもたとえば福祉的援助の枠内で自律した生活を営めること、そうした期待は確かに存在している。
つまり、障碍の程度や状況に応じてだが、より好ましいかたちで社会参加し、社会参加をとおして社会貢献することはなお期待されている。少なくとも被支援者がなんの留保も要請もないまま・無条件に支援を受けているとはいいがたい。
そうした支援者側の期待や要請に根ざした馴致から逃れることは、果たして可能だろうか?
私には、非常に難しいように思える。今日の支援体制に内包されている社会参加や社会貢献のニュアンスを逸脱したまま支援を受け続けるのは容易ではない。そのような被支援者は社会参加や社会貢献の要請になじむよう、絶えず修正を迫られるだろう。
今日の社会体制のもとでは、そうして支援を受ける必要性の高い人は相対的に数が少なく、狭義の仕事をとおして収入を得、自立している人のほうが多い。狭義の仕事は個人に収入を与えてくれると同時に、それ自体が社会参加や社会貢献に直結している。
だがテクノロジーが進歩して人間の仕事が極端に少なくなった時には、狭義の仕事をとおした社会参加や社会貢献の道がほとんどなくなり、ベーシックインカムを受け取るそれぞれの社会参加や社会貢献が改めて問われるだろう。
さて、そのとき、ベーシックインカムを提供してくれるスーパーコンピューターだかAIだか超エリート官僚だかが何の思惑もなく、何の見返りもなく、人々にベーシックインカムを黙って提供し続けてくれるものだろうか?
あるいはそのベーシックインカムをめいめいが受け取って生きる未来世界において、人々はお互いに対してまったく没交渉かつ無関心でいられて、粒度の高い個別の人生を好き勝手に追いかけることを許容するだろうか?
私には、それが疑問でならない。やっぱり社会参加や社会貢献が期待されちゃうのではないかと思うのだ。
もちろんそれは「滅私奉公しろ」とか「人柱になれ」とか、そういう極端なものではない。けれどもその未来世界の秩序を逸脱しないようには期待されようし、せめてお互いに危害を加えたり迷惑をかけたりするのはよしてくれという要請は残るだろう。
ベーシックインカムという以上、そうした要請を守れているか否かによってベーシックインカムが減額されることは無いに違いない。けれどもその時代の社会関係のなかでは、そうした要請をどれだけ守れているか、あるいは要請を上回る社会貢献をなしているかが問われ続けるのではないか、とは思う。
もちろん「ハンディキャップやパフォーマンスをふまえたうえでの個々人の社会参加や社会貢献が問われる」という形でだが。
そうして考えてみると、ベーシックインカムが到来した社会では狭義の仕事はなくなるとしても、広義の仕事はなくならない……ってことになる。
むしろ、狭義の仕事という明白な社会参加や社会貢献がなくなったぶん、私たちはより積極的に・仕事以外の分野で社会参加や社会貢献しなければならないのではないだろうか。
ベーシックインカムのある社会が圧のない社会とは限らない
人間は群れをなして協力しあって生きてきた社会的生物だから、承認欲求や所属欲求といった社会的欲求が存在する事実と、社会や共同体に参加し貢献すべきという圧が存在する事実は、おおむね表裏一体なのだろう。
ところが狭義の仕事をとおして収入を得る道がレア化すると、個人が社会的欲求を充たすことだけでなく、社会参加や社会貢献をすべきという圧までもが、その主な宛先を失う。
宛先を失ってもなお、社会がホメオスタシスを失わないためには、スーパーコンピューターだかAIだか超エリート官僚だかが頑張って滅私奉公しなければならないだろうし、もちろんそれらは滅私奉公するだろう。
それでもなお、社会において、いや、人と人の間において、社会参加や社会貢献の圧はきっとなくならない。「私は仕事が忙しいから」という言い訳が成立しなくなった異様に平等主義的なベーシックインカムの国において、お互いがお互いに期待する社会参加や社会貢献の圧が軽くなるなどとどうして思えるものだろうか?
富貴を求めて競争する社会が終焉を迎え、「清貧な平等社会」が実現した未来において、AさんもBさんも社会参加している、ハンディキャップのあるCさんだって自分にできる限りのことをやっているんだ、だというのにDさんはちっとも社会参加や社会貢献をしていないし、むしろ社会の迷惑をまき散らしている、となった時に、Dさんにとって具合の悪い事態が起こらずに済ませられるだろうか?
そのような未来社会では、ベーシックインカムをもらいながら社会参加や社会貢献を「やっている感」を出すジェスチャーが流行ったりするかもしれない。ああ、なんて愚かしい未来社会だろう!
でも、テクノロジーの進歩のスピードに対して人間自身の進歩なんてたかが知れているので、たとえば100年以内にベーシックインカムが普及したとしても、そのとき未来の人々は今日の人々と同様、社会的欲求を求めあうだろうし、お互いに対して社会参加や社会貢献の圧をかけあうだろう。
そのような人間自身を、あなたは好きだと言えるだろうか。愚かしいと思うだろうか。もう、生かしておくだけ無駄だと思ってしまうだろうか。
同じく、スーパーコンピューターだかAIだか超エリート官僚だかが、わざわざベーシックインカムを配ってまで人間を生かしておくに値すると思うだろうか。思ってくれるとして、未来永劫、思い続けることができるだろうか。
さておき、社会参加や社会貢献をお互いに求めあう性質がどうにかならない限り、狭義の仕事が激減しベーシックインカムが普及しても、結局私たちは広義の仕事からは解放されないだろう、というのが今回の私の未来予測だ。
ベーシックインカムによる「清貧な平等社会」、これこそ、そういう圧の高まりやすい条件ではないだろうか。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』

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