この記事で書きたいことは、以下のようなことです。

 

・もちろん程度問題ではあるのだが、子どもは「親が見せたくないコンテンツ」をどうにかして摂取しつつ育つものであって、そこを制御しようとしても無駄

・子どもの「観たい」「読みたい」「聴きたい」という欲求には基本介入しないようにしている

・ただ、コンテンツそれ自体ではなく、コンテンツで描かれている行為や内容について、子どもに勧められて摂取した上で、気になる点があれば自分の感想として表明している

・そのためにも、子どもと「感想のチャンネル」を保持しておくことが大事な気がする

・子どもが楽しんでいるコンテンツを自分も楽しむことによって、今のところいい感じのチャンネルが保持出来ている気がする(もちろん、親が知らないところで摂取しているコンテンツもあると思うし、それにどうこう言うことはない)

・「批判はコンテンツの否定ではない」ということも伝えている

・それはそれとして「TPO」とか「メリハリ」というものはちゃんと教えないといけない

 

よろしくお願いします。

さて、書きたいことは先に全部書いてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう。

 

しんざきは三児の親でして、長男は男子高校生、長女次女は小学生の双子です。

上の子はもう16歳になるので、私の父親歴も16年。自分の人生の三分の一以上の期間を父親として過ごしてきたということになります。そう考えると結構な期間ですよね?

 

私も妻も漫画好き、ゲーム好き、小説好き、アニメ好きである関係上、しんざき家には山ほど漫画や小説がありますし、ゲーム機(セガサターンとか)もあればアニメのDVDもあります。

そして、家にある本については、基本的に制限なしで子どもたちが触れられるようにしています。

 

その為もあってか、長男も長女も次女も、順調にサブカルコンテンツにハマりつつすくすくと育っています。

最近は松井優征先生にハマりつつあるようで、「逃げ若(「逃げ上手の若君」のこと)買って!」とねだられています。

 

「子どもに触れさせたくないコンテンツ」に対する親のスタンスというものについて、ちょくちょく考えます。

 

子どもがずっと宮沢賢治や五味太郎だけ読み続けているなら悩みは発生しないのかも知れませんが、実際そんなわけはなく、成長に従って格闘ものもジュヴナイルも恋愛ものも読むわけです。その中には、性的な要素だって暴力要素だって含まれているでしょう。そんなのは当たり前です。

 

で、時には、「この表現、子どもにはどうなのかなあ・・・・・・」「こういう行為は真似して欲しくないなあ・・・・・・」と感じるタイミングだって、どうしても発生するわけなんですよ。どんな親にもあることだと思います。

 

そういう「子どもに見せたくないコンテンツ」について、しんざき家でとっている現時点のスタンスは、

・こちらから勧めたりはしないけれど、「観たい」「読みたい」には反対しないし、介入もしない

・ただ、作中の描写や表現について、自分も触れた時「これはどうか」と思うところがあれば、それはそれで自分の感想として伝える

になります。

 

まず一つあるのは、「俺も子どもの頃、親に隠れてろくでもないコンテンツばっか摂取して育ってたよなあ」という認識なんですよ。

 

まだ小学生の頃、パソコンのゲームに憧れてログインやらポプコムやら読んでいたのを皮切りに、「これ普通の親なら「読ませたくない」と思うだろうな」というコンテンツは山ほど摂取してきました。

エロもありましたしグロもありました。楳図かずお先生の青年誌ホラーとか、沼正三先生の家畜人ヤプーとか、今から考えても結構エグめのものも読みました。

 

親の目なんてそういつでもあるものじゃないですし、自分一人で本屋でも図書館でも行けましたし、河原にいかがわしい本が落ちたりもしていましたし。

あの頃の「読みたい」をどんなに止められても、結局何かしらの手段で読んでただろうなーと思うんですよ。それこそ山奥に住んで移動制限でもしない限り、子どもの好奇心って止められないんです。

 

つまり、「親が子どものコンテンツを制御しようとしても無理があるし、場合によっては逆効果になる」という認識がまずあるわけです。

 

ただまあ、そういったコンテンツに触れたことで私が人としての道を誤ったかというと、多分そこまででもなく、まあねじ曲がったとしても20度から30度くらいで、90度横道にそれたりはしてないだろう、と。

そこそこまともな大人にはなれたと自己評価していますし、一応社会人として生活出来ているわけです。もちろんn=1の話ですけど。

 

「子どもが、摂取したコンテンツから悪影響を受けない」かというと、そういうわけでもないだろうと思います。

本を読んでショックを受けたことも、知らなかった行為を知ったことだってあったでしょうし、それを悪影響と言うならそうなんでしょう。読者が全く影響を受けないコンテンツなんて存在しないでしょ、とすら思います。

 

ただ、

・「コンテンツの悪影響」を抑止したいなら、それは「そのコンテンツを差し止める」のではなく、「そういう行為は良くないことだと思うよ」という、感想共有の形で行うのが一番望ましい

・その為に、子どもと気軽に「感想」をやり取りできるチャンネルを保持しておくべき

とは思っていて、それに基づいて行動しているわけなんです。

 

以前から何度か書いているんですが、長女や次女だけでなく長男も、結構私に「これ面白かったよ!読んでみて!」とお勧めしてくれるんですね。階段島もスケットダンスも本好きの下剋上も、私は子どもから教わりました。

「面白いもの」って人にお勧めしたくなるし、感想を共有したくなる。真剣に読んでくれる人にはとっておきの本を読ませたくなりますよね?

 

で、このチャンネルを保持するために一番重要なことって、やっぱり「そのコンテンツを否定しない」「感想をちゃんと伝える」ということだと思うんですよ。

読んでもいないのに頭ごなしに「そんなもん読むな」って言われたら、そりゃ「お前に何が分かるんだ」ってなりますよね。

 

面白かった点があれば、それについてちゃんと言語化して相手に伝える。たとえ「あんまり面白くないな」と感じたとしても、相手の「面白かった」は尊重する。

これ、オタク同士のコミュニケーションで学んだことです。

 

その上で、例えばコンテンツ内の表現について、「ここはどうしても気になるな」という点があれば、そのコンテンツ自体の否定ではない、その作者さんの否定ではないという前提の上で、「こういう行為は良くないと思った」と感想を表明する。

感想って何しろ真面目に聞いてくれるので、これが一番相手の心に届くわけです。

 

これ、「親の倫理観」というものを子どもに伝える、貴重な機会にもなり得ると思うんですよ。コンテンツに触れる機会を握りつぶしてしまうと、このチャンスまで失ってしまう。

 

もちろん、読んだもの全部お勧めされてるわけじゃないですよ?親にエログロコンテンツ勧めてくる子どもがいたら、むしろそれはそれで心配するべきです。

 

親に言わずに観ているコンテンツだって山ほどあるでしょうが、軸の部分できちんと「意見のやり取り」「感想のやり取り」が出来ていて、親としての考えを伝えられていれば、まあ大きく悪影響が顕在化するようなことはないだろうと、今の私はそう考えているのです。

 

もう一つ思うところとしては、子どもの精神って大人が思うよりは強靭で、例えばショッキングな描写があったとしても、「理解できない部分」「受け取りたくない部分」をそのままにしてスルーしておくことはある程度出来るっぽいんですよね。

「意味わかんないけどまあいいや」という感じで流しておいて、大人になって読み返したら意味が分かった、といったコンテンツ、私にはかなり多いんです。

 

そういう意味で、「子どもに触れさせたくない」というのを過度に気にする必要はないかな、ただ自分の意見や感想を表明出来る関係性は重要だなーと。

現在のしんざき家ではそういう風に考えているわけです。

 

ただ、今までの話とは別問題として、「TPO」「メリハリ」というものはちゃんと教えないといけないなーと考える次第でして、本やゲームに夢中になって宿題を全スルーしていたらそりゃ叱らないといけませんし、他の人が静かに作業しているのにデカい音でゲームやってたら注意しないといけません。

 

そういう意味で、「子どものコンテンツ摂取を全て許容する」という意味ではない、ということはご理解ください。

 

子どもを育てる上で「正解」があるかというと、もちろんそんなことはなく、家庭によって、子どもによって、その時一番適したやり方というのは変わってくるでしょう。

このやり方を一般化するつもりはなく、今のところ上手くいっているように思える、育児方針の一例示だということはご承知おきいただければ幸いです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

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