おれの食生活

おれは毎晩の食事をXにポストするタイプの人間である。Twitterにツイートしてきた人間だといってもいい。

おれには3,600人ほどフォロワーがいるが、毎日おれを観察している人間がいるだろうか?たぶん10人くらいいると思う。その10人は気づいていることと思うが、おれは毎晩ほとんど同じものを食べつづける。

 

貧乏だから野菜が食えないとかいうのは毎晩お好み焼きを食べないやつの戯言にすぎない/関内関外日記

古くは、お好み焼きだった。一家離散して一人暮らしをはじめた。

 

金がないので自炊する。はじめての自炊生活。なにを食べよう。おれはお好み焼きが好きだった。お好み焼きはどうだろう? お好み焼きなら小麦も卵もキャベツも肉もとれるし、栄養的にも悪くないんじゃないのか。なにより、おれはお好み焼きが好きだ。

 

でも、毎日食べると飽きるんじゃないのか?

これが、飽きなかった。おれは来る日も来る日もお好み焼きを焼いて食べた。具にいくらかの変化をつけたりもしたが、基本的にお好み焼きはお好み焼きだ。ソースはオタフクソースではなくブルドックのお好みソース。マヨネーズはキユーピーではなく味の素。これである。

 

貧乏だから野菜が食えないとかいうのは毎晩キムチ鍋を食べないやつの戯言にすぎない・冬/関内関外日記

とはいえ、さすがに飽きたのか、季節の変わり目だったのか、毎晩キムチ鍋を食べるようになった。

鍋は簡単だ。野菜を切って、鍋に入れる。基本的にはこれだ。これも飽きずに毎晩食べた。

 

貧乏だから野菜が食えないとかいうのは毎晩蒸し野菜を食わないやつの戯言にすぎない・春/関内関外日記

そして、蒸し野菜だ。暖かくなると鍋は暑くなる。蒸し野菜も簡単だ。野菜を切って、蒸す。それを酢醤油などで食べる。これである。

 

貧乏だから野菜が食えないとかいうのは毎晩冷しゃぶサラダ食わないやつの戯言にすぎない・夏/関内関外日記

夏には冷しゃぶサラダになったりもする。

 

キムチ鍋 正直飽きた 見たくもない/関内関外日記

やがて冬のキムチ鍋に飽きたりもする。

 

「なんだ、いろいろ食べているじゃないか?」というのは誤解である。

おれはこれらを数ヶ月単位で毎晩食べる。単品である。鍋も蒸し野菜もご飯なしだ。

いつしかおれは、晩飯に炭水化物を食べると胃がもたれるようになっていた。その後、野菜炒めに落ち着いたあと、いまなにを食べているかはXをのぞけばわかるだろう。

 

朝はなにも食べない。朝は苦手だ。

というわけで、非常に単調である。とはいえ、大量の野菜を食べている。肉も少し食べている。極度に痩せることもないし、太ることもない。血液検査で「お酒ですね」と言われることはあっても、「もっとあれを食え」と言われたことはない。米は昼にコンビニ(100円ローソンかミニストップ)のおにぎりなどを食べる。炭水化物断ちをしているわけでもない。

 

毎日同じものを食べる。スティーブ・ジョブスが毎日同じ服を着たように、無駄がない。献立に迷うこともないし、スーパーでなにを買うのかも迷わない。同じ食材を買うので余らせることはないし、SDGsだ。なにより、安上がりになるようなものを選んでいる。おれが金持ちだったら、毎晩ビフテキかもしれない(←昭和の価値観)。

 

月に一度のピザの日

と、おれはまあ、毎日同じようなものを食べているということになる。

抑うつ状態でなにもできなくなったときは、インスタント焼きそばなどで済ませる。近頃はベースブレッドを食べるようになったので、非常時も栄養は悪くない。

なにかと忙しいおまえも完全栄養食のパンを食え/Books &Apps

 

おれはこのような食生活に満足しているのか。しているといっていい。「もっとおいしいものを食べたい」とかいう欲望はあまりない。そりゃ、おいしいものは食べたい。まずいものは食べたくない。

 

とはいえ、コスパというものがある。食費と自炊の手間とリターン。これを考えると、悪くないに違いない。

もしもおれにもっと収入があったら、また別だろう。家族がいても別だろう。しかし、別のおれはいない。おれは一人で同じものを毎晩作ってはXにポストして、食べる。それだけの人間だ。

 

が、しかし、おれを観察している10人くらいの人間は気づいているだろうが、たまに「ピザ。」というポストが混じっている。宅配ピザだ。なぜなのか?

これは、気まぐれなどではない、おれの「決め事」だ。月に一度、宅配ピザを注文する。

 

自分で考えて決めたことではない。ラジオで聴いたのだ。パーソナリティーの先輩が「月に一度ピザを頼むことを、一ヶ月の生きがいにしている」という話だった。

いや、現在形の話だかどうだったかは覚えていない。貧乏なころの昔話、という可能性もある。そのあたりはよく聴いていない。聴いていないが、その発想におれは心打たれた。心打たれたので、おれも「ピザの日」を作ることにした。一人暮らしをはじめて20年以上経っていた。

 

最初にピザを頼んだのはいつのころだったろう……?

ピザで多幸感を得ちゃいけないって誰がいったんだ?/関内関外日記

 

2017年2月22日だ。まあべつにいちいちリンク先読まなくてもいいです。というか、ブログ書きという人種ももうほとんど生きてはいないだろうが、長くやってるとこういうことがわかる。それはメリットだろうか? よくわからない。とはいえ、そのときの率直な感想はわかる。

おれはビールを開け、飲み食いするぞ! とテンションを上げてピザを食った。サイドメニューを食った。……なんだこの多幸感は!

アルコールやレキソタンよりいいぞ。脳に響く、ピザ! 脂か! 肉か! ふだん基本的に生の野菜か、野菜を煮たものばかり食っているせいか! 炭水化物を抑えているせいか! これは麻薬か! よくわからん! 幸せだ!

精神科医はピザを処方するべきだ。保険がきいて三割負担でピザが食えるようになれば最高じゃないか。心の病も解決だ! だが、べつの成人病が増える。

「これは麻薬か!」という衝撃。これは嘘偽りの感想ではない。誇張ではない。べつにブログを読み返さずともその衝撃を覚えているからだ。それくらいのものだった。

 

肉も一応は食っているものの、野菜中心のヘルシーな食生活。そこにぶち込まれる糖質と脂分の暴力。長州力なら「食ってみな、飛ぶぞ」と言うところだろう。

おれはもう心底、宅配ピザというものに打ちのめされた。人生、そりゃまあミシュランタイヤがどうこうの高級料理店なんて行ったことはないけれど、ごくごくたまには外食だってする。おふくろの味、というものもあるだろう。

 

それでも、なんといっても、おれがこのとき食べたピザは最高だった。脳が痺れた。おいしかった。いや、おいしいとかまずいとか、味を超えたなにかだった。そんな食体験したことは後にも先にもない。……いや、正確に言うと似たような食体験はあと二つあって、初めて「あぶらかす」をがっつり食べたときの脂の衝撃と、オーボンヴュータンという店のケーキの衝撃だ。

 

まあいい、それからおれは、欠かさず毎月一度、22日前後にピザを頼むようになった。毎月同じ店ではばれてしまうので、ピザハットとピザーラとドミノピザを使い分けた。

 

ついにピザに飽きる

が、2020年にこんなことを書いている。

そろそろおれのピザの日について語っておくか/関内関外日記

ダイエットのチートデイなどという生半可なものではないのである。そう思えた。

……思えた、と過去形になったのは、だんだんその興奮が薄れてきたからである。「あれ、22日か」くらいのものである。そして、おれ自身の加齢によって、ピザ一枚がきつくなってきたというのもある。数年前は(最初におれが「ピザの日」を始めたのはいつだったのだろう?)「Lサイズいくか? サイドメニューつけちゃうか?」と思っていたものだが、もうちょっと無理だ。

なんか、弱音を吐いている。一枚がきついの、塩分がどうの、と。

それによりも「興奮が薄れてきた」というところに注目だ。たぶん、最初の一枚が最強だった。それは確実だ。そして、次の月も強かったはずだし、おれは月に一度のピザを楽しみにしてきたはずだ。だが、3年経って「薄れてきた」と書き残すにいたっている。

 

早いのか? どうなのか? わからない。わからないが、このころには薄れていた。ブログを書いているとこういうメリットもある。メリットだろうか? まあいい、一番興奮していたのに間違いない宅配ピザに、興奮しなくなってしまった。

 

いや、当然だろう。精神科医の松本俊彦医師はこう述べている

そもそも、人はいかなる快感にも呆れるほどすぐに倦んでしまう生き物である。我々の中枢神経は悲しいほど簡単にさまざまな刺激に鈍麻し、いかなる快楽にも倦んでしまいやすい。

……それにも関わらず物質の使用がやめられないのが「依存症」だ。おれは自分のアルコール依存症と「減酒」という方法で向き合っているが(365日の多量飲酒から、週に4〜5日の断酒日を作れるようになってきたので、あるていど成果は出ているだろう、いまのところ)、まあピザ依存症ではなかった。

月に一度というのがどのていどの頻度なのかわからないが、それでも3年経てば飽きる。

 

いや、まだ、「飽きてきたかな」だったのだ、3年では。「飽きてきたかな」となってから、さらに4年経った。

いま現在。いま現在どうなったか。おれはもうはっきり言って、ピザに飽きた。「見たくもない」というほどではないが、もう「月に一度のご褒美」という感じはまったくなくなった。惰性でやっていることだ。

 

ああ、あんなにも感動し、興奮したものが、惰性になってしまった。これは悲しい。

しかし、人間は基本的にそれの繰り返しなのかもしれない。はじめての快楽、快感。サルみたいに夢中になる。それでも、いつか飽きる。飽きなければそれは……それについてすごく相性がいいのか、才能があるのか、あるいは依存症なのか。

 

それを依存症とするかどうかは、まあ社会が決めることだ、というようなことは前にも書いたか。

ゲームに夢中になりすぎる子供を「ゲーム依存症ではないか」と医者に連れてくる親はいるが、勉強に夢中になりすぎている子供を「勉強依存症ではないか」と医者に連れてくる親はいない。

 

いずれにせよ、松本医師の言うとおり、人間は「いかなる快感にも呆れるほどすぐに倦んでしまう」のだろう。あの快感も衝撃も、全部惰性になってしまう……。

 

そうならないこともあるだろう。恥ずかしながらおれはまあ、あれについてはぜんぜん飽きることを知らない。飽きるほどやったのかといわれると、まあどうなのか、そのあたりはわからないが、しかしまあ、あれについては、そうだな、どうだろう。

 

あれってなんだよって、あれだよ、言わせんなよ。でも、やめられないわけでもないし、やれないからといって、どんな手段でもやりたいとまで思わないので、依存症ではないけれどな、あれについては。

 

あれの話はともかくとして、まあおれはもうピザに快感を覚えない。ご褒美でもなくなっている。それなのに、おれは惰性でそれをつづけていた。

 

快楽の棚卸し

棚卸し……という比喩が正確なのかわからないが、まあ「快楽だと思っているのに実は惰性になっていること」について見直してみる必要はあるかもしれない。

 

生きがいだとか、生きるうえで必要な快楽だとか、そんな風に思って、金を出したり、時間を使っているものについて、実は惰性になっていませんか? ああ、余計なお世話ですか。でも、そんなふうになっている趣味、ないですか? 趣味だと思っているそれ、本当に楽しいですか? 脳内でいい感じのなにかが出てますか?

 

おれはもう、ご褒美の月一の宅配ピザはやめます。というか、やめました。でも、かわりのご褒美はほしかった。ほしかったので、宅配サービスを使って、ケンタッキーフライドチキン食べました。

おれは二十年以上ケンタッキーフライドチキンを食べていなかったので、ひょっとしたら脳内にドバドバとチキン快楽物質が溢れ出すんじゃないかと思いました。

 

……いや、出なかったね。というか、二十年ぶりに食べたオリジナルチキン、「あれ、コンビニのホットスナックのほうが美味しいのでは?」とか思ってしまった。

さすがにケンタッキーでは脳内になにかが分泌されないか。あ、名誉のために言っておくけど、バーガーはとてもおいしかったです。常識の範囲内で。

 

というわけで、ピザのかわりは模索中。しかし、模索する必要はあるのか? という気もする。

べつになくたっていいじゃないか。そうだ、べつにいいんだ。でも、なんか、ちょっと、月に一度のご褒美はほしいよな。

 

どっかいい店に食べに行け? めんどくさい。ピザにしたって、このあたりには「真のナポリピッツァ協会」に認定された店もあれば、パスタの美味しいピザ屋も、ドルチェが異常においしい(ちょっとこれは脳に衝撃がある)ピザ屋もある。でも、出かけるのはめんどうだ。

 

幸いにも、Uber Eatsをはじめとした宅配サービスはいくつかある。そこから、なにか探そうと思う。あるいは、宅配寿司。最初、ピザにしようか寿司にしようか迷ったこともある。日本人なら寿司か? でも、寿司ってなんか宅配ピザの暴力性に比べると、どんな高級寿司だとしても及ばないなにかがあるような気がする。

 

新しい快楽探し。惰性になった快楽の残骸を捨てて、またなにか取り憑かれたい。いや、それよりも、習慣をやめたくない。それがあるのかもしれない。

習慣への執着。人間にはそういうところもあるかもしれない。いや、主語が大きい、「おれには」。最初に書いたように、おれは同じものを食べつづける。コストの問題もあるが、同じことをするという習慣に取り憑かれているのかもしれない。

 

はたしてそれは健康的なことなのだろうか。たとえば、運動という習慣(おれもちょこざっぷにいやいやながら通いつづけている)、「ジョギングが日課です」というのなら文字通り健康的だろう。

ただ、おれはジョギングのやり過ぎで精神科で摂食障害と診断されるほど痩せてしまったこともある。健康的な習慣もやり過ぎはとうぜんよくない。当たり前だが、元来健康的でない習慣というものもある。

 

ときどき、習慣を見直す。見直さないと、惰性だと気づかないかもしれない。惰性だと気づいたら、やめる。依存をやめるのは大変だが、惰性をやめるのは簡単だ。

でも、快楽だと思っていたものを一つ手放すと、一つ欲しくなる。手放して自由だけ残ったのなら、それでいい。だが、おれはピザのかわりがほしい。

 

今日は金曜日だ。おれは毎週金曜日の夜に、コンビニでワインと東スポを買って、帰ったら飲みながら競馬を予想する。今日はワインを飲みながらピザのかわりを考えてみようか。

 

さて、おれは週に一度のワインに飽きていないか? 惰性になっていないか? 競馬はどうだ? いや、競馬はつねにフレッシュだ。それは断言しよう。これがギャンブル依存症かどうかの判断はあなたに任せよう。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Quin Engle