最近、大学生と話す機会があった時に、こんなことを聞いた。
「去年の夏、運転免許を取りに行ったんです。でも、チンピラみたいな教官の路上教習が怖くて、途中で通うのをやめてしまったんです…。」
なぜ自動車教習所の教官は、あんなにも態度が悪い人が多いのだろう。
そもそも民間人なのに、“教官”などと呼ぶ慣習があることも気に入らない。
タメ口は当たり前で、怒鳴り、命令口調で指示し、タメ息でプレッシャーを掛けるなど、指導者としてあらゆるタブーをブチ込んでくる。
「そんなことはない。最近は褒めて伸ばすのが売りの教習所もある」
そんな意見もあるだろうか。
しかしそんなことは当たり前で、売りになることそのものが、業界の異常さを表しているというものだ。
お客様にタメ口で話し、威圧的に商品を提供することで成立する民間のサービスなど、他に何があるのか。
私が免許を取った30年ほど前の、苦い思い出のこと。
ある日の路上教習時に出発のクラッチ操作をミスり、盛大にノッキングを発生させたことがある。案の定、助手席から感情的な怒鳴り声が飛ぶ。
「車が壊れるやろ!クラッチも繋げへんのか!」
ブレーキの踏み込み加減が掴めず急ブレーキになったら、狭い車内に大声が響く。
「痛ってえなあ!もっと優しく踏めよ!」
何の指導にもなっていない。
運転技能の向上に役立つアドバイスには程遠く、ただのノイズで、もはや邪魔だ。
そんなこともあり、私は路肩に車を停めハザードを出すとベルトを外し、指導員の方に向き直った。
見たところ、60代半ばだろうか。
総白髪で、深めに刻まれた頬のシワが年齢を感じさせる。
「おいオッサン、お前そろそろいい加減にせえよ?」
見知らぬ人にこんな乱暴な口調で話すのは、おそらく人生で初めてだった。
それまで居丈高に振る舞っていた態度が一変し、明らかな戸惑いの感情で目が泳いでいる。
「俺が高い授業料を払ってここに何しに来てるのか、答えろ」
「ショックを与え続けて下さい」
話は変わるが、1961年に米イエール大学で行われた「ミルグラム実験」、通称アイヒマン実験というものがある。
人は権威者の命令であれば、殺人のような重大な過ちや犯罪すら起こしてしまう可能性があることを示した、有名な研究だ。
この実験は、「体罰と学習効果の測定」という名目で80名の被験者を集めて行われた。
被験者は教師役で、隣室にいる生徒役に対し次々に問題を出していく。
そして生徒が解答を間違えるたびに、体罰を与える。
体罰として与えられるのは、電気ショックである。
15Vから始まり、最大で450Vまで与えられる装置が、教師役である被験者の前に置かれた。被験者は、生徒が間違えるたびに電気ショックの強度を上げなければならない。
そして生徒役である役者は、台本通り間違った回答をすることで、強烈な電気ショックの体罰を受け続ける。
但し実際に電気は流れておらず、役者の演技で凄まじい拷問に加担しているかのように、被験者に錯覚させる仕掛けである。
実験が進むと、隣室から聞こえてくる悲鳴はやがて悲惨なものへと変わる。
75Vではうめき声であったものが、120Vに達すると痛みと恐怖を訴え、150Vを与えると生徒役は実験の中止を懇願し始める。
さらに270Vになると断末魔の叫び声を上げ、345Vになると動かなくなってしまうのである。
当然のことながら被験者である教師役の多くは、その途中で何度も、実験の継続を躊躇した。
すると白衣を着た“権威ある博士”が現れ、文字通り無慈悲な命令を下す。
「数秒経っても返事がない場合、誤解答としてショックを与え続けて下さい」
想像してほしいのだが、もし自分が被験者であった場合、どこまでこの実験を継続できただろう。
多くの人が、きっとこう思うはずだ。
「こんな実験、倫理的に許されない。私なら絶対に途中で降りる」
私だってそうだ。きっと120Vで心が痛みはじめ、270Vで“権威ある博士”に殴りかかってでも実験を止めさせるだろう。
しかしこの実験で、最大強度の450Vのボタンまで押し続けた被験者は、実に65%に達した。
さらにさまざまな状況で実験を繰り返すのだが、いずれのケースでも61~66%の被験者が450Vまで押し続けたのである。
「60年以上前の倫理観なら、そうだろう。現代ではそうならない」
そう思われるかもしれない。
では2015年、ポーランドで行われた再実験のときはどうだったか。
「90パーセントの被験者(80人中72人)が、最高電圧を与える10個目のボタンを押した」
(WIRED:『権威者の指示なら、「9割」の人々が電気ショックのボタンを押し続ける』)
のである。時代が変わっても、人の本質はそう簡単に変わらない事を示したということだ。
この結果をどう解釈するかは、人それぞれだ。
人は権威者の命令であれば何でもやってしまうというのが、一般的な解釈だろうか。
東洋経済オンラインでは、これこそが日本組織が不正を働く根因であると説いている。
その事を否定するつもりはないが、しかしこの実験結果は本当に組織論の話であり、権威性の問題だけを語るものなのだろうか。
もっと深刻で重大な課題を示唆しているのではないだろうか。
役割と権威
話は冒頭の、教習所での出来事についてだ。
路肩に車を停めると、私はオッサンに向き直り、こう問いかけた。
「俺が高い授業料を払ってここに何しに来てるのか、答えろ」
「…」
「車の運転ができへんから、その技能を教わりに来てるんやな。違うか?」
「…そうや」
「なら、うまく運転できへんかった時は、何がダメだったのか、どうすればうまくいくのかを説明せえや。それがお前の仕事やな、間違ってるか?」
「…そうかもしれんけど、失敗が多いんで」
「言い訳すんなや!お前、最初のノッキングからずっとやないか。今日、俺に教えたことを一つでいいから言ってみいよ」
「…」
自分の中に、こんな乱暴で荒ぶる一面があったことに自分でも、驚き戸惑った。
しかし、アルバイトで貯めた大事な大金を費やし、まともなサービスも受けられないことに我慢の限界を超えた。
容赦なくオッサンをド詰めし、自分の役割を果たし、提供すべきサービスを提供しろと迫り続ける。
オッサンは下を向き無言で聞いていたが、親子以上に年齢の離れている学生からこんな事をいわれて、何を思ったのだろうか。
やっと口を開いたかと思うと、こんな事を言った。
「あの…そろそろ時間なので教習所に戻らないと」
なるほど、それもそうだ。ベルトを差し込み、最短距離で教習所に戻ると降車間際に、こんな事を言ってきた。
「申し訳ありません。今日の路上教習は規定のコースを走れなかったので、補講にさせて下さい」
この思い出について、私は最近まで、こう思っていた。
「学生を舐めてたら反撃され怖くなり、しおらしくなったのだろう」
しかしきっと、そういうことではない。
「役割と権威を勘違い」していたことに気がついたオッサンが、仕事の原点に戻れたのではないだろうかと、好意的に解釈している。
そして私たちはまさに、程度の差はあれ誰もが「役割と権威を勘違い」する。
例えば、会社組織で上司と呼ばれる人たちだ。
上司に与えられた役割は、例えば数字を作り、あるいは組織としてお取引先様とのやり取りをスムーズに進めるための取りまとめ役である。
それ以上でも、それ以下でもない。
にもかかわらず、部下に対し上から目線の偉そうなモノの言い方をし、あろうことかパワハラやセクハラをすることすら、なんとも思わない者が少なからずいる。
100歩譲って、パワハラが役割を果たす上でもっとも効果的で成果を出す方法であるなら、そういう選択もあるだろう。
しかし断言するが、そんな仕事など絶対に存在しない。
教習所のオッサンと同じ類であり、部下を伸ばすことも仕事を教えることもできない、組織のゴキブリである。
そして話は、「ミルグラム実験」についてだ。
多くの研究は、この結論を「人は権威者の命令であれば何でもやってしまう」という結論に持っていくが、決してそんなレベルではないだろう。
人は役割を与えられるとそれを権威と勘違いし、大概のことをやらかす可能性がある、ということを物語っているのではないだろうか。
だからこそ、仕事のできない”課長”は部下を威圧することに勤しみ、ビッグモーターの副社長は常軌を逸した振る舞いで多くの人を傷つけた。
世の中の経営者やリーダーと呼ばれる人には、考えて欲しい。
自分は本当に、「役割と権威を勘違い」していないといい切れるか。
きっと思い当たることがあるはずだ。
そして勘違いリーダーの下で苦しんでいる人にも、ぜひ考えて欲しい。
「自分なら150Vで絶対に、権威ある博士を止める」
という思いで、上司と向き合えているか。
「ミルグラム実験」が示すように、無意味な服従関係など会社や組織の発展にとって、害悪でしか無い。
ぜひ、多くの人に考えてほしいと願っている。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
- 0. オープニング(5分)
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」 - 1. 事業再生の現場から(20分)
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例 - 2. 地方創生と事業再生(10分)
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む - 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説 - 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論 - 5. 経営企画の三原則(5分)
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
若い頃は、蕎麦屋さんで酒を楽しみ、仕上げに蕎麦を食べて帰るオッチャンの価値観がまるで理解できませんでした。
今はむしろ、それが楽しみで生きてます。
X(旧Twitter):@momono_tinect
fecebook:桃野泰徳
運営ブログ:日本国自衛隊データベース
参考文献:
・(公社)日本心理学会『ミルグラムの電気ショック実験』
・WIRED『権威者の指示なら、「9割」の人々が電気ショックのボタンを押し続ける』
・東洋経済オンライン『「勤勉な国」日本で組織的不正が起こる根因』
Photo by:Art Markiv