先日、大学時代からの友人と飲んでいた時のこと。

大手メーカーで課長職を務める彼から、こんな事を聞かれることがあった。

 

「これ以上のポストに昇れることは、もう無さそうな気がしてきた。部長級までは昇りたかったんやけどな。俺の仕事には、何が足りんかったんやろうな…」

 

質問というよりも、飲み会のグチのようなノリだ。

当然彼も、意味のある回答など期待していないだろう。

しかし私はマジレスで、こんな事を答える。

 

「正直、お前とは仕事での付き合いが無いからわからん。だけど昔からどこか、リスクを取ることに臆病なところがあった気がする。仕事でもそうなんか?」

「そらそうや。大企業なんてリスクを取ったほうが損をするんやぞ。失敗は減点なんに、成功は評価されへんのやから、当然やん」

「やろうな。多分それがもう一つ上に行く手応えを感じられへん理由ちゃうんか」

「それはお前が、大和証券をすぐに逃げ出したから言えることや。大企業で生きていくのって、いろいろ辛いねんぞ」

 

飲み会の席とはいえ、そう返されるとなかなか次の言葉を継げない。

そのため話の矛先を変えて、こんな事を答えた。

 

「そうやな。この先も勤めていくのに、希望が無くなりつつあるっていうのが、本音なんやと思う。

そうやとして、少しこんな話を聞いてくれるか」

 

「もうこれ以上待てない」

話は変わるが、40代より上の世代にとって今も忘れられないであろう大災害の一つに、阪神大震災がある。

平成7年(1995年)1月17日の早朝、5時46分に発生した未曾有の大災害で、死者は6,434名、負傷者は43,000名余りにのぼった。

当時、京都の大学に通っていた私も友人の兄弟姉妹に犠牲者が出るなど、今も胸が痛む忘れられない記憶になっている。

 

この地震では、阪神高速が倒壊したことに象徴されるように、犠牲者の8~90%の死因が、実に「建物の崩壊による圧死・窒息死」であった。

その多くが即死であったと推定されているが、崩壊した建物の下で、救助を待ちながら命を落とした人も多かったのだろう。

いわば、少しでも早く大規模な救助活動が始まっていれば、より多くの人命が助かっていた可能性が高い地震であったということだ。

 

そんなこともあり、貝原俊民・兵庫県知事(当時)には震災後、

「なぜ迅速に、自衛隊に対して災害派遣要請を出さなかったのか」

という批判が根強くなされることになる。

 

とはいえ1995年といえば、時の総理大臣が社会党の村山富市であったことからもわかるように、リベラルが強い支持を受けていた世相である。

加えて、近畿地方は伝統的に左派勢力が強いこともあり、自衛隊は今とは比べ物にならないくらいに“虐げられていた”時代だ。

自衛隊に対する理解が広がり、多くの国民から敬意を集めている今とは全く異なる。

知事も総理も、自衛隊への協力を即断できなかったのだろう。

 

そんな中、一人の自衛官が歴史に残る英断を下していることを知っている国民は、おそらくほとんどいない。

その自衛官の名は、黒川雄三・1等陸佐という(当時、以下敬称略)。

1945年の生まれなので、震災当時は50歳である。

 

黒川は震災当時、兵庫県伊丹市に所在する、第36普通科連隊の連隊長であった。

兵庫県の東部と大阪府の中・北部の防衛警備を担当する、阪神大震災でもっとも被害の大きかった地域を受け持つ部隊である。

 

そして震災当日の早朝、5時46分に発災を確認すると、黒川はただちに登庁し災害派遣に備えるよう隷下部隊に命令を下す。

しかしながら、30分経っても1時間経っても、地元首長からの出動要請が降りてこない。

とはいえ、部隊を勝手に動かすなどクビになる可能性もあり、とてもできない…

ということになりそうだが、黒川は違った。

 

「これほどの大地震で、もはや一刻の猶予も許されない」

そう確信した黒川は、自衛隊法第83条3項の近傍派遣条項を援用し、独断で部隊を動かすことを決めた。

なお自衛隊法第83条は災害派遣に関する条文であり、その第3項は以下のようなものである。

 

“庁舎、営舎その他の防衛省の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。”

 

素直に読めば、防衛関連施設に被害が発生または予想される場合に、その拡大を防止する目的で部隊を動かすことができる、という趣旨の条文なのだろう。

黒川は、この条文を“拡大解釈”し部隊を動かすと、直ちに住民の救助に向かった。

 

当時の世論を考えると、おそらく黒川は状況が落ち着いたところで“政治家”たちに攻撃されクビになるだろう。少なくとも、処分は免れないのではないのか。

しかし黒川は、そんなリスクなど恐れなかった。

 

この時、5時46分に発生した災害に対し、黒川が部隊を動かすことを決めたのは午前7時30分。

1時間30分待って、それでも出動要請がなかったので自らリスクを背負い、部隊を動かした形だ。

対して、地元自治体からの災害派遣要請が正式に自衛隊に寄せられたのは、実に午前10時である。

犠牲者の8~90%の死因が「建物の崩壊による圧死・窒息死」であった震災の性質を考えると、この遅さは致命的だ。

 

なお震災後、地元自治体の首長の一人が、

「自衛隊の動きが遅かったので、犠牲者が増えた」

という趣旨の、許しがたい発言をしている。

 

その一方で、黒川は震災後、程なくして香川地方連絡部長(現・地方協力本部長)に異動になる。

そして香川県での在任中、四国八十八ヶ所霊場を廻り、震災犠牲者の冥福を祈り続けた。

 

「もっと早く部隊を動かしていれば、より多くの命を救えたのではないか…」

そんな悔恨の思いからであったそうだが、“政治家”たちとの余りの対比が際立つエピソードではないだろうか。

 

あの震災のさなか、黒川がこのような英断を下していたことを知る国民が余りにも少なすぎること、残念でならない。

当時の世相の中での決断ということも踏まえて、一人でも多くの人に知ってほしい話である。

 

“何もしていないに等しい”

話は冒頭の、友人との飲み会についてだ。

「この先も勤めていくうえで、希望が無くなりつつある」友人に、私はこの黒川のエピソードをそのまま話した。

最初は難癖をつけ、腐しながら聞いていた彼だが、やがて何かを思い出したようにビールを片手に、素直に耳を傾け始める。

 

「お前にもわかると思うけど、あの時代に自衛隊の指揮官が独断で部隊を動かすって、すごい勇気やったやろうな」

「…」

「それでもなお、『もっと早く部隊を動かすべきだった』と、悔恨の念からお遍路さん周りをするって、よほど悔しかったんやと思う」

「…で、その黒川さんという人は、クビになってへんのか?」

 

そう質問する彼に、黒川1佐はクビどころか処分を受けることもなく、定年まで勤め上げたこと。

最後には営門将補(名誉陸将補)に昇任し、無事ご退役の日を迎えられたこと。

陸上自衛隊での出世は、CGS(指揮幕僚課程)時代の成績が大きく関係するので、さすがにこの時の“手柄”で出世をすることは無かったことなどを説明する。

 

「そうか、おもしろい話を聞かせてくれてありがとう。で、なんでそれを俺に教えてくれたんや」

「自分の仕事を“やるべきこと”から考えて無いように思ったから、かな。リスクを優先して判断すると、10年後にきっと、悶絶するくらいに後悔してると思う。よく考えてくれ」

 

もちろん、“いい話”のひとつやふたつで彼の行動が変わることなど、きっと無い。

しかし多くの人にとって、長年忘れられない後悔というのは大概、

「あの時、こうしておけばよかった」

という、“やるべきこと”を貫けなかった悔しさのはずだ。

そしてその多くは、“リスクがあってとてもできない”という理由と判断である。

 

どうすべきかは、後は自分の考え方次第だ。

そんな事を付け加えて、その日はお開きにした。

 

余談だが、私の敬愛する陸上自衛隊の元陸将は、上司からの明らかに間違っている指示に対し異論を唱え、左遷されたことがある。

しかしその後も、自分の信じるところを貫き、後に陸上幕僚長(陸自トップ)に昇る最高幹部にも直言を続けた。

その後、異例の本線復帰を果たし、最後には陸自No.2にまで昇っている。

 

そしてご退役後、自分をなぜ引き上げてくれたのかと、うるさく直言を続けていた元陸上幕僚長に聞きに行ったことがあるそうだ。

その時の答えは、こういうものであったという。

 

「最後まで俺に正しいことを直言してくれたのは、お前だけだった」

 

この教訓に、汎用性があるとはさすがに思わない。

しかし「リスクを取らない」とは、個人事業であれ大企業であれ、経営的には“何もしていない”に等しい。

経営幹部に昇る野心があるのに、リスクを取る意志がないのであれば、それは役割が違うのでさすがに難しいだろう。

普通預金にお金を預けて、1年で倍にしたいと言っているようなものである。

 

最終的に彼が、黒川・元陸将補の話をどう解釈し何を変えることができるのか。

また次の飲み会を楽しみにしたいと思っている。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

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ご飯にかけて麻婆豆腐を食べる以上に美味しい豆腐の食べ方なんて、絶対にありません!

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