先日、りそな銀行のATMでちょっとした“事件”に遭遇することがあった。
お金を下ろそうと中に入ると、機械から聞いたこともないような警報音が発せられ、お札が散らばっている。
さらに足下では、見たところ80代くらいのおじいさんが仰向けに床に倒れ、苦しんでいた。
「大丈夫ですか、どうされたんですか?」
「え…?うん…」
「何かあったのですか、お父さん。今どこにいるかわかりますか?」
「…」
大きな声で呼びかけるが、意識レベルが低い。
頭を打っている可能性もあり、むやみに動かせないので手を握りながら耳元で話しかける。
場所は奈良県の田舎町、近鉄生駒駅に隣接するATMだが、駅前には百貨店もあり人通りは多い。
そのため異変はすぐに周囲に広がり、多くの野次馬が集まってきた。
「どうしたんですか?何かあったのですか?」
「いえ、私も今来たばかりで、状況を把握できてないんです」
「お知り合いなのですか?」
「いえ、私はただの通りがかりです。状況に手を付けるべきではありませんので、警察を呼びましょう」
集まってくる野次馬たちにそんな回答をしながら、スマホを取り出す。
すると60代くらいの男性がこんな事を言い始めた。
「警察よりも生駒駅の駅員さんを呼んだほうが早いで!私、急いで呼んできますわ!」
「いえ、駅員さんを呼んでも…」
「それなら私、近鉄百貨店に行って応援を呼んできます!」
40代くらいの女性もそういうと、ダッシュで百貨店の方に走って行く。
「それなら私、近くの交番に行っておまわりさん呼んできますわ!」
50代くらいの男性もそう言い残して、どこかへ行ってしまった。
3人とも、「誰かの非常事態に際して、何か役に立ちたい」と思っているであろう気持ちは、とてもよく理解できる。
しかし行動としては、明らかに間違っている。銀行ATM内での異常事態に駅員さんや、まして百貨店の店員さんに何ができるというのか。不在の可能性が高い交番を探すよりも、110番の方が早いに決まっているだろう。
とはいえ3人が3人とも誰かを呼んでくるというので、通報をためらい、スマホをしまい込んでしまった。
(今すぐ110番に電話して、警察官と救急車の手配を要請すること以上に、最善の策などないだろう…)
そんなことを考えながら、私はふと、30代の頃に経験した経営立て直しの現場での、一つの苦い記憶を思い出していた。
「そんなこと、とても言えない」
話は変わるが、先の大戦のターニングポイントになった、ミッドウェー海戦についてだ。
近代史に少し詳しい人であればよく知っていると思うが、開戦から米軍を圧倒していた日本海軍が大敗を喫し、主力空母4隻を失った戦闘である。
航空機をはじめとした戦力、兵員の練度・技量も米軍のそれを上回っていたにもかかわらず一方的に敗れ去った戦いとして、今も多くの歴史学者たちの研究の対象になっている。
その敗因について多くの事実が明らかにされているが、ここではそれに触れない。
海戦の経過と組織運用に絞って、お話したい。
ミッドウェー海戦そのものは日本海軍が仕掛け、米海軍の空母を誘出して殲滅することを目的とした戦いだった。
日本とハワイの中間近くに所在するミッドウェー島を攻略すると見せかけ、その阻止に出てきた米空母部隊を一気に叩くというものである。
そして南雲忠一・司令長官率いる空母機動部隊がミッドウェー島に艦を進めるのだが、近辺を哨戒しても米艦船の姿は見当たらない。
そのため「近辺に敵不在」と判断した南雲は、島に向けて第一次攻撃隊を飛ばし、基地施設への航空攻撃を開始する。
しかしそれから間もなくして、偵察機が接近しつつある米海軍の空母機動部隊を発見し、司令部に打電する。
その距離はわずか210海里、もはやお互いの空母艦載機の攻撃圏内という非常事態だ。
「本来の攻撃目標である空母が見つからないので基地を攻撃していたら、すでに敵主力に懐に入られていた」
状態である。
慌てて敵艦隊への攻撃準備を始める南雲だが、しかし基地攻撃と艦船攻撃では、兵装が異なる。
そのため準備していた第二次攻撃隊の換装を命じるのだが、空母どうしでの叩き合いでは、1分1秒でも早く攻撃機、爆撃機を発艦させ、相手を強襲したほうが勝つのが常道である。
もはやこの深刻なタイムロスそのものが、致命的でしかない。
さらに間が悪いことにこの時、ミッドウェー基地を攻撃した第一次攻撃隊が次々と、空母上空に帰投し始めていた。
敵への攻撃を優先したら、第一次攻撃隊の多くが燃料切れを起こし、海上に不時着水してしまうだろう。
この状況において南雲は、攻撃隊の発艦を後回しにし、帰投してきた航空機の収容を優先する。
もはや子供でもわかるレベルの、おかしてはならない禁忌である。
当然のことながら、米空母を発艦した敵攻撃隊は先制し、次々と日本の空母機動部隊に襲いかかってきた。
そして日本の主力空母4隻は多くの魚雷や爆弾を被弾し、大破・轟沈していったのである。
なおこの戦闘では唯一、山口多聞・少将率いる空母「飛竜」だけが独断で攻撃隊を飛ばし、米空母「ヨークタウン」と刺し違えることに成功するのだが、本論ではないので割愛する。
なぜこの時、南雲は攻撃を優先せず、帰投部隊の回収を優先するような禁忌をおかしたのか。
その疑問について、南雲の下で航空参謀を務めていた源田実は戦後、要旨こう回想している。
「図上演習なら間違いなくそうしただろう。しかし実戦はコマを動かすのとわけが違う。血の通った戦友たちに『燃料がなくなったら不時着水しろ』とは、とても言えなかった」
本来の目的は敵空母の殲滅であったのに、中途半端にミッドウェー基地に攻撃を仕掛け、懐に入られ先制攻撃を許した情勢判断の誤り。
今すぐ攻撃隊を飛ばすべきだったのに、「人情」から帰投部隊の回収を優先した戦況判断。
その結果として、日本海軍は回復不可能なダメージを受け、主力空母と歴戦のパイロット、兵士を多く失うことになってしまった。
このようなリーダーの判断から得られる教訓は、あまりにも多い。
「もう待てない」
話は冒頭の、りそな銀行ATMでの件だ。
野次馬の皆が“間違った解決策”で走り回る中、なぜ、経営立て直しの現場での、苦い記憶を思い出していたのか。
経営の立て直しでは、意外かもしれないが一番の障害になるのは、実は経営トップであることが非常に多い。
例えば、こんな具合である。
経営立て直しの見込みよりもキャッシュの枯渇が早い場合、スポンサー企業を探し、支援の対価として経営権の一部を握ってもらうのは常套手段のひとつだ。
立て直しそのものが難しい場合、身売りも当然、有力な選択肢となる。
しかしこのような場合、特に地方の歴史あるオーナー企業では経営トップが屁理屈をこねて、その選択肢を全力で排除しようとする。
「自分がオーナーでいられない経営の立て直しなど、意味がない」
と考えるためだ。
そして、とにかくお金を貸してくれる人を探すというような、非現実的で無意味な対策を語り、他のステークホルダーの利益などかえりみようとしない。
そういった意味で、TAM(ターンアラウンドマネージャー:事業再生責任者)に求められる能力とは、
「経営再建策を立てること」
などではないのだろう。そんな事はできて当たり前だ。
「経営再建策を、経営トップをはじめとした経営陣に理解させ実行させること」
こそが、もっとも難しい仕事である。
言い換えれば、やるべきことを迷いなく実行し、また実行させる意志の強さだ。
そこでは、経営者の経営に対する想いや情感といったものなど、本質的には考慮に値しない。
しかし若い頃の私には、こういった“経営トップの想い”を無視することが難しく、非合理的な決断にたびたび付き合い、結果として企業価値を毀損させるような事をやらかした。
その苦い思い出が、この「りそな銀行ATM事件」に際して、よみがえってきたということだ。
案の定、生駒駅の駅員に助けを求めに行った60代くらいの男性は数分ほどで戻ってくると、こんな事をいう。
「あかん!助けを求めたのに、『ウチの所轄ではありません』と言われた。どうしよう!」
(そらそうだろ…。むしろなんで、来てくれると思ったねん…。)
もうやるべきことを、待つ余裕などない。
私は改めてスマホを取り出すと110番に電話して警察官と救急車の手配を要請する。
するとどこから駆けつけたのか、警察は3分ほどで、救急隊は5分ほどで到着してくれた。
後は“第一発見者”として状況を説明しつつ、タンカで運ばれて行くおじいさんを見送りながら、ほっと胸をなでおろし家路につくことになる。
そして話は、ミッドウェー海戦についてだ。
非常時において人は、「何を一番に優先すべきか」という“戦略目標”を、容易に見失ってしまう。
自衛隊用語では「必成目標」というが、他の全てを犠牲にしてでも、必ず達成しなければならない目標のことである。
南雲司令長官も源田参謀も、「必成目標」を何度も見失い、結果として敵主力に懐に入られ、さらに“人情”から攻撃を後回しにして艦隊の壊滅を招いた。
この歴史の出来事から学ぶべき教訓はきっと、
「リーダーとは、混乱のさなかにある時こそ、本来の目標に立ち返らなければならない」
ということなのだろう。
りそな銀行ATMでの私の判断、かつてのTAMとしての判断の誤りも同様である。
自分の役割は何なのか。
仕事の目的は何なのか。
そういったシンプルな自問自答こそが、そういった時に“効く”処方箋なのかもしれない。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など
先日珍しく、お隣さんが呼び鈴をピンポーンと鳴らして、世間話をしに来たんです。
30分ほど立ち話をしてるだけで、目視できるだけで11箇所も、蚊に刺されてました。
3日たった今も、まだかゆい…。
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Photo by:Matúš Kovačovský