論理的思考という言葉がある。

 

この言葉は、ビジネスでは大変な人気で、

「論理的思考力を鍛えよ」とか

「論理的思考力を身につけましょう」とか

「ビジネスパーソンに必須の素養」とか

そんな言われ方をしている。

 

ところが、この「論理的思考」という言葉は、実は、最も説明の難しいことばの一つだ。

 

 

もう10年以上前のことだが、コンサルティング会社に在籍していたとき、

「ロジカルシンキング」の研修テキストを作っていたことがある。

 

ロジカルシンキングとは、日本語では「論理的思考」と訳されるが、私が在籍していたコンサルティング会社では

「難解な用語は、中学生でもわかるくらいにかみ砕いて説明しなさい」

という方針があった。

そのため「論理的」という言葉の正確な定義について調べたのだった。

 

まずは当然、辞書を引いてみる。

すると、「論理の法則にかなっているさま」とあった。

 

そこで再度、「論理」について調べた。

すると、そこにはこう書かれていた。

議論・思考・推理などを進めていく筋道。

思考の法則・形式。

論証の仕方。

 

これを見て、嫌な予感がした。

というのも、思考の筋道をすべて論理というのならば

「論理的である」というのは、事実上、どのような思考であっても、筋道さえあれば論理的である、ということになる。

 

あるいは思考の法則や形式について、「論理」というのならば、

帰納や演繹、三段論法などの有名な形式のみならず、世の中には無数の論理が存在しており、逆に言えば

「なんでもあり」

と言って良いことになる。

これではテキストが作れない。

 

そこで、マッキンゼーの出身者が書いた「ロジカル・シンキング」の本等を参照してみた。

しかし結局、彼らが用いている「論理」の形式、たとえばMECEや、So what、why soなどの、ロジック・ツリーを構成する要素の説明に終止している。

これは、「論理的とはどういうことか」に対する回答にはならない。

 

みんな口々に、「論理的思考力を身に着けよ」とか言ってるけど、本当は誰もわかってないのでは?

と思ったのが、当時の良い思い出だ。

 

なお、近年になって読んだ、元マッキンゼーの、波頭亮さんの著作「論理的思考のコアスキル」には、論理の定義が示されている。

まずは「論理そのもの」、すなわち論理の定義を示そう。  論理とは、「ある命題(既呈命題)から、推論によって次段階の命題が導かれている命題構造」、あるいはそうした命題構造における「既呈命題から次段階の命題を導くための思考の道筋(推論)」である。

 

ただし、この定義は抽象的すぎて、「中学生にもわかる」ように説明するのは難しい。

 

ただ、この本には良いことが書いてある。

要するに結論と根拠を「したがって」と「なぜなならば」でつなぐのが、論理だというのだ。

確かに「論理とは筋道」である。

(波頭亮「論理的思考のコアスキル」 ちくま新書)

 

ただし波頭亮さんは、「論理的」というためには、条件がある、という。

それは、この「したがって」と「なぜならば」について、大多数の賛同が得られるような客観的妥当性と、受け手の納得感が求められることだ。

 

しかし。

そう考えていくと、論理というのはどこまでも主観的要素である、とも思えてしまう。

 

ただ、ビジネスではこの定義で問題ないかもしれないが、科学的発見などの論理においては、大多数も納得感も不要だ。

 

結局、当時の私は、「論理的」という言葉そのものの、本質的な定義をあきらめた。

 

そして、社内で協議をした結果、ロジカルシンキングのテキストには、「中学生にもわかるように」

・結論を最初にいうこと

・そのあと、結論に根拠をつけること

というシンプルな形式を採用することにした。

 

これは普段、コンサルティング会社が実践していることであるし、何よりわかりやすい。

抽象的な論理の話はさておき、研修ではこの程度でも実用性に問題はなかった。

 

結論から言って → 結論ってなんですか?

ところが、これを運用しだすと、別の問題が発生した。

 

「結論から言って」と要請しても、「結論から言えない人」というのが、大量に存在したのだ。

その話は、こちらの記事に書いてある

 

そしてついに、「結論ってなんですか?」という人が現れた。

そして、上司もそれに答えることができない。

 

そう。

「論理的」と同様に、「結論」という言葉も、非常に抽象的、かつ定義の曖昧な言葉だったのだ。

 

これに対する実践的な回答は、以下の著書に書いた。

 

結局、上の本にも書いた通り、10年以上コンサルタントをやってきて、出した答えは要するに

「結論」とは、「相手の最も知りたい話」のことだ。

 

繰り返すが、「結論から言う」とは要するに、「相手の一番知りたいことから話す」ということなのだ。

だからこれは、シチュエーションや話者、聞き手によって解釈がいくらでも発生する。

 

受け手の「結論」と話し手の「結論」は往々にして食い違う。

そもそも相手の思考を読まないと、結論が何かすらわからない。

 

だから、「結論から言えない」ということは必ずしも話し手だけの責任ではない。

 

「論理的思考とは何か」に決着

そうずっと思ってきたのだが、最近一冊の本に巡り合った。

渡邉雅子「論理的思考力とは何か」

 

この本がすごいのは、私の今までの疑問に、最終的な答えまでとはいかずとも、かなりの部分、解答を示してくれている点だ。

詳しくは買って読まれると良いと思うが、私が惹きつけられたのは、「論理的」の定義である。

 

これは、アメリカの応用言語学者、カプランによるところが大きい。

カプランは世界三〇カ国以上から来た留学生の小論文を分析し、言語圏別に論理の展開の特徴を視覚的に分類してみせた。

その結果、読み手が「論理的である」と感じるには、統一性と一貫性が必要であるという。

統一性とは、記述に必要十分な要素があることであり、一貫性とは、それらの要素が読み手に理解可能な順番で並んでいることである。

 

これらを総合すると、論理的であるということは「読み手にとって記述に必要な要素が読み手の期待する順番に並んでいることから生まれる感覚である」と定義することができる。

つまり論理的というのは、「社会的な合意の上に成り立っている」であるとの結論だ。

 

だから、本書で示されている「論理的」というのは、アメリカ人とフランス人、イラン人と日本人、4者でかなり異なっている。

「提示される情報の順番」に対する期待が異なるからだ。

 

これは非常に目からうろこだった。

 

結局、私たちがコンサルティング会社で実践していた「結論から言う」=「相手の一番知りたいことから話す」

ということは、まさに、「論理的」の定義そのものであった。

 

「結論から言う」ことは「相手の知りたい事から話すこと」それがすなわち、「論理的に話す」ということ。

これらは全く同じ行為。

それさえわかっていれば、「論理的思考」は、もう怖くない。

 

小難しいことを言わずに、「相手が欲しい順番に、欲しい情報を渡してあげる」こと。

「論理的」とは、たったそれだけのことだ。

 

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

 

【著者プロフィール】

安達裕哉

生成AI活用支援のワークワンダースCEO(https://workwonders.jp)|元Deloitteのコンサルタント|オウンドメディア支援のティネクト代表(http://tinect.jp)|著書「頭のいい人が話す前に考えていること」65万部(https://amzn.to/49Tivyi)|

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◯note:(生成AI時代の「ライターとマーケティング」の、実践的教科書

Photo:Jan Huber