もう30年以上も前の平成初期、大学生の頃の話だ。

 

DPE(写真の現像とプリント)のお店でアルバイトをしていた時、店頭からものすごい怒声が聞こえてきたことがある。

私の担当はフィルムの現像と写真の焼付けのため、少し奥まったところで仕事をしていたのだが、明らかに空気感がヤバい。ただならぬ雰囲気に作業手袋を外し、あわてて店頭に出る。

「てめえふざけんなや!俺がこの年賀状を受け取ったみんなから、なんて言われたと思ってるねん!!」

「本当に申し訳ございません!」

「謝って済むか!今すぐ全額返金せぇクソ女!!」

「そう仰られても、お客様がどなたで、いくらお返しすれば良いのかわからないんです…」

「はぁ?そんなもん顧客名簿でもなんでも調べろや!」

「はい!すぐに調べます!!」

 

目の前で繰り広げられていたのは、そんなやりとりだった。しかし来客担当の彼女が手にとって一生懸命めくっているのは、レジの操作マニュアルである。怒鳴られパニックになっているのだろう。

「お客様、恐れ入ります。大きな声はお控え下さい」

「ああん?お前誰やねん!」

「この時間帯の、店の責任者です」

「そうか、ほなこれ見ろや!お前、これ見てどう思うねん!!」

 

差し出された年賀状には大きく、こう印刷されていた。

“あけしておめでとうございます”

 

少し補足すると、平成のはじめ頃は写真付き年賀状を出したい時、街の写真屋さんに発注するのが一般的であった。それを専門の印刷店に取次ぎ、指定の文言とともにプリントしてもらい、年賀状を完成させお客さんに引き渡す。

この際、元々指定の文章がおかしかったのか、それとも印刷会社の方で脱字があったのかはわからないが、なんせ「ま」の字が抜けていたということである。

「俺はなあ!この年賀状を受け取った皆から『ま抜けの年賀状』っておちょくられたんやぞ!どうしてくれるねん!」

(誰がうまいことを言えと…)

 

思わず笑ってしまいそうになるが、しかしここで下手に笑ったら事態が悪化してしまう。

「お話は理解しました。状況を調べますので、お客様のお名前と電話番号をお聞かせ頂けないでしょうか」

「あああ?黙れクソガキ!俺は今すぐ金返せって言ってるねん!」

「落ち着いて下さい。もしお客様が逆の立場なら、事実関係もどなたかもわからない状況で、言われるままにお金を渡せるでしょうか」

「だから調べろってさっきから言ってるんやろ!」

「はい、お調べして弊店側に落ち度があれば、必ず返金します。ですのでお名前と電話番号を教えてほしいのです」

 

興奮していたオッサンはやっと落ち着きを取り戻し始め、差し出した紙にそれらを書きなぐる。

そして最後に、こんな捨て台詞を残して店を出ていく。

「おい、必ず社長から電話させろよ。今日中に電話がなかったら、お前を◯しにくるからな。それから最低でも、お前はクビに追い込んだる」

 

そういうと荒々しくドアを蹴り出ていったが、足元では女性のアルバイトさんがしゃがみ込んで泣いてしまっている。そのためバックヤードに入るよう促し、社長に電話すると事後処理を始めた。

この話は、私が学生時代に経験したアルバイトの中でも、特に印象深い出来事の一つだ。そして長年、自分の対応に落ち度はないし、アルバイトといえどもこのように対応するのが常識だとずっと思っていた。

 

しかしそれからだいぶ時間が経った今は、こう考えている。

「自分の対応は、間違っていた」

「あんな対応をしてしまったからこそ、事態を悪化させたのではないか」

 

「なんで成果がでーへんねん!」

話しは変わるが、地方の中堅メーカーで縁あってCFO(最高財務責任者)に就き、経営の立て直しに取り組んでいた時のことだ。

ある日のこと、製造部門の担当役員が経営会議で、工場長にこんな詰問をすることがあった。

 

「接続部分の消耗品の製造原価、少なくとも単価で20円は下げろと言った件、どうなってる?」

「常務、その件は金型の初期投資を負担すれば、引き受けてくれる町工場があると説明したはずです」

「300万円も出せるわけ無いやろ!別の方法を考えろ!

「今の発注先にそれだけの単価の引き下げを求めても、応じるわけがありません。現実的な指示をして下さい!」

 

今の時代で言えばパワハラでしかない上司の指示に、キッチリと論理的に反論する工場長という構図だ。こんなやり取りは見飽きていたが、やむを得ず割って入る。

「常務、なぜ300万円を出せないのですか?」

「経費削減のためや!その大元はあんたやろ」

「私はそんな事言いません。投資に見合う回収ができるなら、むしろ良い提案です。どれくらいの期間で回収できる計算なのですか?」

「…工場長、どれくらいやねん」

(根拠なく否定してるのかよ…)

結局この工場長の提案は、1年半ほどでペイする計算が立ったので採用することにし、製造原価の削減に大いに貢献してくれた。

 

また別の日のこと。

営業部長が部下に対し、成果が出ないことを叱責している場面を見かけることがあった。

「なんで成果がでーへんねん!」

「本当に申し訳ございません…」

「言われた通り、毎日5か所訪問してるんやろうな?帰ってきたら、見込みCランク以上には全部電話してるんやな?」

「はい、しております」

「じゃあやり方が悪いんちゃうんか!もっと工夫せえよ!」

 

どこの会社でも、営業部では朝から晩まで、飽きるほどに繰り返されているような光景だ。

しかしどう考えてもこのやりとり、上司が悪いに決まっているだろう。部下に具体的な仕事の指示をして、その通りにやったのに成果が出ないなら、上司のせいに決まっている。

 

「自分の指示は正しい、やり方が悪い」と分析して、何一つ状況を把握・改善していない。

こういうリーダーが、組織も部下もぶち壊すという、典型的な存在だ。部長は結局、いつまで経っても成果を上げることができず、大株主からの圧力で更迭され退職していった。

 

「権限を与えないのに、失敗の責任を押し付ける」

こういったメチャメチャなリーダーは、決して珍しくない。

 

投資の権限を与えないのに部材の単価を下げるなど、品質を落とすか下請けを泣かすかの2択である。しかも工場長には、そのどちらかを選択する権限すらも与えられていない。

同様に、営業のやり方や行動までマイクロマネジメントしているなら、部下に権限が与えられていないのと同義だ。

「なんで成果が出ないんだ!」は、鏡に向かって自問すべき言葉だろう。

 

「成果を出す方法は示しただろ、責任と権限を渡せよ!」

幸い、工場長は芯の強い人だったのでそうやり返すことができた。しかし営業部長の下にいたメンバーたちは皆、この理不尽なパワハラにひたすら耐えやり過ごしていた。

権限と責任は当然、表裏一体でなければならない。

「権限を与えないのに、失敗の責任を押し付ける」

こういったリーダーの存在を認めると、会社も個人も簡単に壊れてしまうという想い出だ。

 

人は簡単に壊れる

話は冒頭の、DPE店での私の対応についてだ。

一見うまくやったように思えるクレーマー対応だが、今は何を間違っていたと思うのか。

 

あのクレーマーに対し、私は自分を、その時間帯の責任者であると名乗った。

そのためきっと相手は、私に多くの責任と権限があると思ったのだろう。だからこそ多くを要求し、何一つ受け入れられないと興奮し激昂した。

 

しかし私など、ただの学生アルバイトである。俗に言う“バイトリーダー”的な立ち位置だったが、ただそれだけだ。

であれば私は素直に、こういうべきではなかったのか。

「ただのアルバイトなので、何もわかりません。社長に言って下さい」

 

確かに給料をもらっている以上、店を守ろうという使命感は持ち合わせて当然である。

しかし責任も権限も与えられていないことについて、そのリスクを積極的に引き受けることは正しいと言えない。

クレーマー対応について、何一つ方針を示していなかった経営者の落ち度がある以上、それをアルバイトが身の危険を顧みず引き受けることなど、あってはならないということだ。

 

少なくとも自分が経営者なら、アルバイトにそんなことは絶対に求めない。数千円程度さっさと渡せ、不正があれば警察に突き出すから何よりも自分を守れと指示していただろう。

責任を取り切れないことを押し付けたら、人の心は簡単に壊れる。

だからこそ、権限を与えられていないことについて、その責任を求めるような上司を許してはならないし、部下の方も、それを積極的に引き受けるようなことはやるべきではないという話である。

 

もちろん、自分の職責を超えて積極的に責任を取りに行き、「出世を重ねる仕事ができる人」を社会が必要としていることに、疑いの余地はない。

大事なことは、「自分はこのやり方でやってきたんだから、皆もそうしろ」と、そのやり方を周囲に強制してはならないということだ。そこを勘違いするとやがて、製造担当常務や営業部長のようなマネジメントをするようになり、部下と組織が壊れてしまう。

 

余談だが、冒頭のクレーマーは調査の結果、オッサンが書いた発注書の脱字が原因と判明し、返金は一切しなかった。

「そんなの、常識的に修正するべきだろ!」

と最後まで怒っていたが、無茶を言うな。発注書の文章を勝手に書き換えるようなリスクを、なんでお前のために店や印刷会社が背負わなアカンねん。アホか。

 

 

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(2025/3/10更新)

 

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

写真屋さんでのバイトでは、最高月収15万円くらい稼ぎました。
しかしその15万円を、店の前にあるパチンコ屋さんで給料日当日に溶かしました。

X(旧Twitter) :@ momod1997

facebook :桃野泰徳

Photo:Mak