このところお金のことばかり考えている
もうすぐ50代に入っていくというのに、「不惑」どころかお金のことばかり考えている。
まず子育てにまだまだお金がかかる。
大きくなってきたらマシになるのかと思っていたら、当たり前だが、むしろもっとかかるようになってきた。
子どもが小さいときにはお金と時間の両方がかかり、大きくなるとそれに加えてさらにお金が必要になる。
仕事については、お金のことしか考えていない。
どれだけ良い仕事をしようが、どれだけ画期的な取り組みをしようが、結局いくら儲かるのかという話にしかならない。
今年中にいくら儲かるのか、来年にはどうなるのか、3年後はどうなっているのか。
そんなことばかり考えている。
飲み会に行っても、若い人も年寄りも、お金の話ばかりだ。
NISAやらiDeCoやら不動産投資やら、ずっとお金の話ばかりで盛り上がっている。
お金に興味のない人生だった
ずいぶん恵まれた生活をしてきたんですねと言われそうだが、ぼくはずっとお金に対して興味を持たずに暮らしてきた。
別に実家が太いわけでも、年収が高いわけでもない。
働くこと自体は嫌いではなくて、なんなら仕事をすることは大好きだった。
夜遅くまで働いていても、それを辛いと思うことはあまりなかったし、ぼくは何かひとつのことに夢中になって取り組むこと
を幸せだと感じる性格なので、ずっと仕事のことばかり考えていても苦ではないことが多かった。
それは今でもあまり変わらない。
だけどまあ、やっぱり恵まれていたというか、運がよかったのだろう。
働けばそれだけお金は儲かってそれなりの給料が入ったし、あるいは儲からない時は給料が減ったし、それでも十分に暮らしていけると思っていた。
お金というのは、働き続けるために最低限必要な分だけあればいいと思っていた。
その価値観は、結婚して子どもができてからもあまり変わっていなくて、だからほんのわずかな小遣いだけでもやっていけたのだろう。
なぜお金が欲しいと思うのか
ところが今はお金のことばかり考えている。
お金が欲しい、お金が足りない、お金さえあればと思っている。
どうしてこんなことになったのだろう。
はっきり言って、そこまで足りないわけではないと思う。
家族みんなでつつましく暮らしていけば、やっていけない金額ではないと思う。
なのに、足りない、足りないと思って暮らしている。
なぜだろう。
ひとつ思うのは、自分以外の人たちがそう言うからである。
家庭でも、職場でも、飲み会でも、みんなお金が足りない、足りない、という話ばかりしている。
一方で、日経平均株価は史上最高値を記録しているとか、それで大儲けした人がいるとか、どこぞの会社は賃金が大きく上がっているとか、自分以外のうまくいっている人たちの話も聞こえてくる。
その結果、どうも自分はかなりお金が足りないにちがいない、という気持ちになってくるのだろう。
正直、ここまで書いてきて、うんざりしてきた。
お金のことを考えること自体が嫌いなわけではない。
ただ、自分があまりにもお金のことばかり考えているのに、うんざりしているのである。
お金とは一体なんなのか
下の子が言うには、お金というのは「保存ができるもの」として生まれたのだそうだ。
魚や肉や野菜などは日持ちしないので、物々交換をしようにもうまくいかないことがある。
そこで、保存ができる貝殻や布や砂金などが、共通の価値を持つものとして使われるようになったらしい。
そのおかげで、ぼくらは今のような便利で豊かな世界で暮らすことができるようになった。
そのことには何の不満もない。
すばらしい発明だ。
ただ問題は、本当に「共通の価値」を持つものなんて存在するのか?ということなのだろう。
これだけ実際の生活と、お金の動きが大きく離れてしまうと、ぼくたちにとってのお金の価値と、投資市場におけるお金の価値というのは本当に共通しているものなのだろうか、と思ってしまう。
上の子が言うには、r>g、投資市場における収益率(r)が、実際の経済成長率(g)を上回っているのだそうだ。
投資することのできる資本をたくさん持っているほうが得をする。
まあ資本主義を取り入れたんだから、そうなってしまってもおかしくない、とも思う。
だけど、だからといって、地方の森や山が二束三文で外国に売られていくのはなんだか変だなと感じてしまう。
数字の上では変ではなくても、実際に広大な自然の所有者(そもそも「所有する」ということすらちょっと気が引けてしまうような大自然)が数字だけで簡単に変わってしまうというのは、なんだかしっくりこない。
人間が一生かかっても育てきることのできない大きな木々のある土地と、ただの数字(それもたいして大きくない数字)とが「共通の価値」なのだと、本当にみんな思えるのだろうか。
「共通の価値」という幻想
結局、誰もが「共通の価値」というものがあると思いこんでいるから、そういうことになるのだ。
だけど実際はそうではない。
ある人にとっては何の価値もない古本が、別の人にとっては非常に価値があったりする。
野菜が50円高くなったら高い、高い、という人が、推し活には惜しみなくお金を注ぎこんだりする。
何に価値を感じるかは、人それぞれ違うのに、みんなまるで「共通の価値」があると思いこんでいて、同じ基準を守っていて、それよりも多いとか少ないとかいうことに一喜一憂しているのである。
…いや、そんなことは昔からわかっている。
ぼくは資本主義の限界に対して何か熱くモノ申したいわけではないのだ(もちろん、多少は、いやそれなりにモノ申したいことはあるけれども)。
問題は、ぼくはなぜ50歳を目前にして、こんなことに一喜一憂しているのだろう、ということなのだ。
一体、ぼくは何にとりつかれているのだろうか。
これが「老い」というやつなのかもしれない
ふと思ったのは、若い頃ならそんなモヤモヤはすぐに吹き飛ばせたな、ということだ。
ぼくは氷河期世代の一人として若い頃を過ごした。
不景気の中でとにかく、めちゃくちゃ働き続けた。
そこには、どれだけ景気が悪くても、どれだけ状況が良くなくても、やれるところまでやってやる、という心の強さがあったと思う。
もちろん、だからといって無敵だったわけではない。
働きすぎて腰を悪くしたり、メンタルもやったりした。
だけど、それでもなんとかなるさ、と思える若さがあったように思う。
しかし、年を取って、家庭ができ、いつのまにか守りに入ってしまって、そんな自分に対してモヤモヤしたり、悪あがきをしたりしているうちに、なんとか折り合いがつくようになった。
その代わりに、ぼくは「やってやる!」という若さを失っていったのかもしれない。
若さを失ったぼくは、お金という「保存がきく価値」に頼るようになってきた。
お金さえあれば、これからぼくがダメになっていったとしても「保存がきく」。
若い頃のように必死にがんばらなくてもいい。
たくさん持っているだけでよくて、しかも腐ってなくなることのない「共通の価値」に頼りたい…そう思いはじめているのだ…。
きっとこれが「老い」というやつなのだろう。
そんな自分をまずは受け入れてみる
エライコッチャ…とも思うのだけど、焦ったところでどうにもならない(そう思えるのは、老いることによる利点の一つである)。
まずは、自分が老いて、根拠のない強い自信を持てなくなってきた、ということを受け入れてみよう。
また、そのせいで、一度手に入れたら今後がんばらなくてもなんとかなりそうな「保存がきく価値」を欲しがっているということも受け入れよう。
それは、ぼくがようやく大人になったということなのかもしれない。
ようやく現実を知り、冷静に世界を見つめようとしているからなのかもしれない。
あるいは50年近く生きてきて、さすがにこれ以上、飛躍的な伸びしろはない、ということを客観的に認められるようになったのかもしれない。
ふむふむ、そういうことか。
いやあ、ちゃんと大人になれたんだなあ、ぼくは。
やっと現実を受け入れることができるようになったのだ…
なんてこと、言うと思った??
いったん書いてみたけど、やっぱりそんな風には思えない。
三つ子の魂百まで、である。
ぼくが大切にしているのは、いくつになってもチャレンジし続けることなのだと思う。
ちょっとお金が足りないからとか、ちょっと年を取って体力や気力が失われているからとか、ちょっと周りからゴチャゴチャ言われているからとか、そんなことでひるんでいる時間なんてないのである。
お金は必要だ。
それは、やりたいことをやるための手段の一つでしかない。
じゃあ、ぼくがやりたいことは?…たくさんある。
なんなら若い頃よりもたくさん。
だったら、現状を嘆いていても何も始まらない。
足りないことや、至らぬこと、失われていくことに目を向けている余裕があるなら、少しでも手を動かしていこうと思う。
そんな風に思う気持ちは、数字に変換して保存することはできないのだから。
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【著者プロフィール】
著者:いぬじん
プロフィールを書こうとして手が止まった。
元コピーライター、関西在住、サラリーマンをしながら、法人の運営や経営者の顧問をしたり…などと書こうと思ったのだが、そういうことにとらわれずに自由に生きるというのが、今ぼくが一番大事にしたいことなのかもしれない。
だけど「自由人」とか書くと、かなり違うような気もして。
プロフィールって、むずかしい。
ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。
Photo by:Andrea Jaeckel-Dobschat














