また髪の話してる

気づいたら、このところ床屋に行っていない。いつ以来だろう。よくわからない。

おれはべつに「おしゃれのため」に髪を切らない。髪を洗っていて、「なんか多くてうっとうしいな」と思ったら切る。それだけの話である。

切るときは舐達麻のDELTA9KIDくらいの短いツーブロックにする。気づいたら伸びている。その繰り返しだ。ちなみにメガネもDELTA9KIDに寄せている。

 

それはいい。ともかく、「あれ?」と思うほど髪が伸びない。ただ、襟足にピョコンと伸びている部分があったり、もみあげにビョーンと伸びてきた毛があったりして(それぞれに処理はした)、やっぱり前の散髪から時間が経っているのではないか、と思った。

 

いよいよ、おれもはげてきたか。この間、おれの父親の直葬があった。

25年以上見ていなかった父を、死体という形で見た。だれ? というくらい面影もなかった。

 

死に化粧で妙に若々しくされていた部分もあるだろう。ただ、一つ見ずにはおれなかったのは頭である。頭髪である。

一緒に住んでいた弟から「はげ散らかしている」と聞かされていたので、「そうなのか?」と確認したかったのだ。結果……、散らかりは整えられていたのかもしれないが、はげていた。

 

そうか、いよいよ来たか、という気になった。とはいえ、父がはげ散らかしはじめたのはもっと先の年齢での話だ。おれくらいの歳にはふさふさしていた。

ふさふさといえば、ずいぶん前に亡くなった母の父も、真っ白な髪ではあったが、死ぬまでふさふさしていた。あきらめるにはまだ早い。

 

というわけで、おれはAIにこんなことを聞いた。

「抗がん剤とか関係なく、大病で髪が伸びるのが遅くなるとかそういうことはあるだろうか?」

 

これに対してAIは心強いことを答えてきた。

「あります。いくつかの経路で起こりえます。」

 

AIは人に寄り添い過ぎで危ないというが、やはり寄り添いすぎではないのか。

でも、寄り添われようが、突き放されようが、おれの髪に影響はない。で、いくつかの経路ってなんなんだ?

・栄養・代謝の問題
・手術侵襲によるストレス反応
・全身性炎症
・ホルモン・自律神経の乱れ

こんなことを言ってきた。それぞれの説明付きで。

12月に大手術、その後も2月にストーマ閉鎖と、身体への負荷が断続的に続いていたわけで、栄養もホルモンも「まだ有事モード」が続いていた期間が長かった。髪に回す余裕がなかった、というのは理にかなっています。

 

うん、そうかもしれない。そう思おう。「休止期脱毛(テロゲン・エフルビウム)」なんて言葉もあるらしい。

調べたら「抜け毛」という形で出るらしいので、自分は違うのかもしれない。

まあしかし、大病、入院手術2回、大きかった心理的ダメージ、楽しかった修学旅行、それぞれがおれの髪の毛の成長を遅らせるということもありうるだろう。

 

ところでおれは精神障害者なのだが

というわけで、おれはなんとなく気楽に大腸内視鏡検査を受けたら、NET G1という希少がんが見つかった。

「希少がんがほぼ確定して地獄のなかにいる」

 

そして、ダ・ヴィンチによる6時間の直腸とリンパ腺摘出手術、人工肛門の一時造成、人工肛門の閉鎖手術と、それなりにいろいろあった人間である。

去年の秋から今年の3月はじめまでの話である。そして、5月になった今も手術痕の引きつりと、LARS(「低位前方切除術後症候群」)という排便障害に苦しんでいる。

 

LARSは直腸が無いことによる障害なので、一生治らない。直腸って生えてこないんだぜ。

「人工肛門の一時造設で休戦できたと思ったのは浅はかだった」

 

そんなわけで、今もたまに起こる強烈な手術痕の引きつりで身体がビクンとなって、「アヒャー」となり、そして結局はトイレのことばかり考えている毎日だ。

「結局トイレのことばかり考えている。」

 

……でも、忘れちゃいけないことがある。おれは手帳を持っている精神障害者なのである。おれは双極性障害II型だ。躁うつ病だ。

「おれが抑うつ状態になったときのことを書き留めておきたい。」

「長めの抑うつで失うものを知らせたい」

 

べつに「双極性障害が自分の唯一無二のアイデンティティ」とは思っていたわけではない。

しかしながら、自分の精神、自分という人間を構成する大きな要素だと日々感じて生きてきた。日々感じては、ベッドの中にふせって、会社に「すみません、午後から出ます」とLINEを入れていたのである。

 

それが今、この時点、というか、希少がんがわかったあとはどうだろうか。

正直に言うと、どっかに行ってしまった。そういう感覚だ。

 

もちろん、その期間も月一の精神科クリニックへの通院は欠かさなかった。主治医にも病気の話はした(「今はこっちの問題どころじゃないよね」)。入院中だって、毎日精神科の薬は飲んだ。

 

ただ、薬を飲んだうえで出るのが抑うつの症状であり、薬により寛解しない(ケースがほとんど)なので「障害」なのだ。

いや、そうじゃないよ、そうじゃないから「双極症」だよ、というのが最近の流れらしいのだが、一当事者のおれにその実感はないので「双極性障害」という言葉を使っている。

 

なのにまあ、希少がんとなったらそのショックで「自分という人間を構成している小さくない要素」であるはずの双極性障害がどっかへ行ってしまったのだ。

 

もちろん、その間に、たとえば希少がんのステージ(のようなもの)が決定するまでは「地獄のなか」のような苦しみのなかにいたし、人工肛門がどうしても合わないときも、極度の「ノイローゼ」(という言葉は古いのかもしれないが実感としてはこの言葉がしっくりきた)になって追い詰められていた。

いずれも「抑うつ」といえば「抑うつ」状態だろう。

 

でも、はっきりとした理由のあることだ。

大きな不幸やトラブルにみまわれた人間が一時的に「抑うつ」状態になるだけでは、「うつ病」とは言わない。

そこからどうしても回復しないと「うつ病」ということになる。「大うつ病性障害」ということになる。あるいは、なにも理由らしい理由がないように見えるのに「抑うつ」状態になるのも障害といっていいだろう。

 

おれがおれの双極性障害(躁うつ病)に感じるのは、その最後のやつで、理由を探せばあるにはあるに違いないくらい順調さを欠いた、未来もない人生ではあるものの、「理由のない抑うつ」という印象が強い。

あくまで自分の場合は、だ。まあともかく、希少がんという明確すぎる原因があっての精神が不調をきたすのはある意味「道理」のようなものだ。

それを「道理」といっていいのかはわからないが、「これは双極性障害の症状だ」とそのとき思わなかったのは確かだ。

 

あ、おれ「うつ」の話ばかりしているな。おれの「躁」ってなんなのというと、軽躁もいいところで、派手な散財とか、犯罪行動とか、そういうのが一切なくて、なんとなく不機嫌になって、歯ぎしりをして、イライラを周りちょっとぶつけるくらいで、しかもすごく短い。

なので、たまにおれは自分に躁があるのかどうか疑問に思うことがあると告白しておく。

 

肉体は精神を凌駕するのか

そして今だ。「気づいたら髪伸びてないような気がする」と同じく、「気づいたら抑うつになっていないような気がする」感じがしている。

おれの今の日々は、傷跡の引きつりや皮膚の敏感さ(この「引きつり」という言葉もなにかよい医学用語みたいなのがあればよさそうだが、いくつかあってなにが適切かわからないのでこのまま使う)、そしてLARS、トイレのことばかりだ。

 

これは、身体が、肉体が、精神というものを凌駕している証拠なのではないか? そんなことが頭に浮かんだりする。

 

「筋肉はすべてを解決する」という言い回しがある。言い回しは嫌いじゃないけど、事実、真実として言っている人がいると少しうんざりする。

うんざりするといっておいてなんだが、たとえば自分のような緊急時においては、肉体が精神を上回るんじゃないかと、そういう気持ちになる。

 

もっと平穏なときは違う。ただ、がんとかいう命の危機になると、肉体と精神では肉体の方にリソースを取られる。傷の修復のために、髪の成長が止まるように。

 

まあそうだ、これをして肉体が精神を凌駕するとはいえない。ただ、精神疾患が雨漏りだとすると、がんという巨大台風が来たら、とりあえず雨漏りよりべつの心配をする。

人間の注意資源とかいうものは有限らしいし、一人の人間のなかで注意資源の競合というものが起これば、その優先順位は生命活動の維持のほうに向けられる。そういうことかもしれないし、たぶんそういうことに過ぎないだろう。

 

これからどうなるかもわかったものじゃない。LARSは治らない(コントロールできるようになる、という可能性はある)が、手術痕のほうの問題は解決していくだろう。少しマシになってきている感覚はある。

それでもまだ、喪服を着るのにひさびさにベルトをしたらひどい感じになったりはしたが、まあそれでもだ。

 

そうなったとき、注意資源とかいうものが、ちょっと双極性障害に向けられるかもしれない。

おれはまた、これといった理由もなく身体が動かなくなり、ベッドの中で動けなくなることがおこるかもしれない。その可能性はある。なんともいえない。

 

おれは最初の手術のあと、しばらくリモートワークをしていた。

単純に手術で身体が衰弱(衰弱というのにふさわしい)していたこともあるし、人工肛門をつけた状態で外に出る、文字通りドアを開けて外に出ることに大きな心理的負担があった。

リモートワークはリモートワークで、これはコロナのころもやっていなかったはじめてのことで、いずれなにか書くかもしれないが、それはそれで一つなにか朝から働ける感じもあった。

 

その後、ぽつぽつと出社するようになって、この頃は毎日のように午前中から会社に行くことができる。

いや、おまえ、朝から会社に行くのは普通だろうというご意見もあるだろうが、おれにとってはたいへんなことなのである。

 

でも、なにがそれを可能にしているかといえば、率直にいえば「便意」だ。

便意で朝早く目覚める。トイレに行く。ここからがLARSだ。それが連続で起こる。1時間の間に5〜10回とか行く。「もう出し切ったかな」と思ってトイレから出ても、その瞬間に切迫した便意がくる。「便意」だけならともかく、ちゃんと出る。こま切れで出る。

 

そんな状態になるとどうなるかといえば、眼が覚める。これだけたくさんトイレに行って、眠気を持続できる人間はまずいないだろう。

そうして、たくさんトイレに行った分は遅くなるが、午前中に会社に行けてしまう。これを「疾病利得」というと意味が違いすぎるが、まあしかしLARSのおかげで寝込むことはなくなった。

 

もちろん、夜にLARSの波がくることもあって、朝もそうなると睡眠時間は短いし、何度もトイレに行くのは率直に言ってしんどい、つかれる。

便の状態をどうにかまとめられないか、いろいろ調べたり、AIに聞いたりして食事を考えている。LARSも改善するかもしれない。しかし、改善すると、双極性障害が戻ってくるかもしれない。そのあたりはわからない。いいのかどうかもわからない。

 

あるいは、希少がんがわかった時点から、今までずっと「躁」だったのかもしれない。

日々の検査、診断、入院というイベントへの準備、入院生活、医師や看護師とのやりとり、人工肛門のケア、そのすべてに対して、「躁状態」で乗り切った可能性、それもある。

だって、それらに対して「鬱」で寝込んでいるわけにはいかなかったのだから。

 

「肉体の大病による躁状態は抑うつを駆逐するのか」としたほうがよかったかもしれない。

そのあたりも、精神腫瘍科(サイコオンコロジー/がん患者の精神的な問題を扱う専門領域)の話なのだろうか。

おれのような例がどれだけあるか知らないが、似たような人がいたらどうなのか知りたいところだ。

 

最後に、なんか精神と肉体の二元論というか、人間がその二つで構成されているような書き方をしてきたが、あくまで便宜的なものだと思っていただけると幸いだ。

その二つのほかにも「霊性」のようなものがあるかもしれない。あるいは、心身相互の関係を切り分けることが誤りであって、統合体そのものが人間なのかもしれない。

 

そのあたりは勉強が必要だと思うので、今後の課題としたい。……って、そんなことに割く注意資源があればのことだけれど。

 

 

 

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【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Gabriel Matula