子どもがいる家の夏休みは大変だ
共働きで子育てをしていると、夏は1年のうちでも非常に厳しい時期だ。
平日に、子どもが家にいる。
特に小学校のあいだは本当に大変だ。
下の子の場合は、ありがたいことに学童保育が夏休み期間も対応してくれていたのでかなりマシだったが、上の子の時はそういう環境になかったので、
「この日は夫婦のどちらかが休んで」…
「この日は祖父母のところに連れていって」…
「この日から数日間は夏休みのキャンプ・プログラムに放りこんで」…
と綱渡りのような毎日だった。
新学期が始まるとき、ああ、ようやくこの苦しい日々から解放される…という気持ちになったものだ。
今は下の子も中学生になったのでずいぶんマシになったのだが、あまりに放置するのはまずいだろうということで、子どもたちがずっと家にいる予定の日に合わせて、在宅勤務をする。
これはこれで、うっとうしい。
仕事に集中できない。
コロナ禍の時は二人とも小さかったので、親の言うことをそれなりに聞いていた。
何時から何時まではみんなで集中する時間にしよう、と決めて、そのあいだは子どもは夏休みの宿題を、ぼくは仕事をする。
これはこれでけっこう効率もいいし、非日常な感じがあって楽しかった。
ところが今は二人ともすっかり自我があるので(当たり前だが)、ぼくの言うことを聞かないし、狭い家でボール遊びをはじめて家具を壊したりする。
あるいはずっとスマホやタブレットを触り続けている。
…いや、そんなこと、放っておけばいいのだ。
子どもは子どもの時間をすごしているのだ。もう親がごちゃごちゃ言うような年齢ではない。
わかっているのだが、どうしても同じ空間にいると気になって、色々と言いたくなってしまう。
そして親子で言い合いをしているうちに、もう夕食の準備をする時間になっている。
まずい…もう日中に仕事できる時間が終わった…という感じで、残ったぶんは、しかたなく夜に持ち越される。
そして寝不足になる。
暑さもあいまって、体調を崩す。
ぼくが子どもの頃はそんなに大変そうでもなかった
ところで、ぼくも子どもの頃は、両親が共働きで、いわゆる「鍵っ子」だった。
それじゃ夏休み、どうしていたかなと思い出すと、とにかく小学校の頃はダラダラしていた。
たしか小学校で一定期間開かれているプール講習のようなものに行くように言われていたが、ぼくは泳ぐのが苦手で、とにかく行くのが嫌だった記憶がある。
サボって家にいたような気もする。あまり覚えていない。
今のようにスマホもない、パソコンもない。
昼間のテレビはつまらない。ワイドショーは違う番組で同じ内容を繰り返す。
とにかく退屈だった。
虫やザリガニを捕まえに、近くの空き地や川にはよく行っていた。
カブトムシやクワガタのようなかっこいい虫なんていない。
だいたいカナブンかゴマダラカミキリ。
夏休みも終わりに近づく頃に、大きなカマキリが出てくる感じ。
あとはカナヘビやシマトカゲ。
シマトカゲは動きが素早すぎて、一度も捕まえることができなかった。
捕まえた生き物は、色々世話をしてみたが、だいたいすぐに死んでしまった。
あまりマンガやゲームを買ってもらえなかったので、自分で下手くそなマンガを描いたり、自作のTRPGっぽいものを作って一人でサイコロを転がして遊んだりしていた。
弟とも遊んだが、それよりも一人で妄想の世界に浸るほうが楽しかった。
本もよく読んだが、特別好きだからというよりも、他に面白いものがないから、しかたなく読んでいた。
母はわりと本を読むほうだったので、それらを適当に引っ張り出して読んでいた。
父はよくレンタルビデオ屋で映画を借りてきた。
夜、それを一緒に観ることも多かった。
特に夏休みに限ったことではない。
ぼくはわりと退屈で、怠惰で、刺激の少ない時間をすごしていたように思う。
それが良いとか悪いとかではなく、そうだったなと思い出す。
そろそろ「子ばなれ」のタイミングかな
最近は「体験格差」なんていう言葉も聞く。
受験勉強だけでなく、多様な体験を子どもにさせられるかどうかも重要らしい。
なんというか、もういい加減にしてほしいな、と思う。
ちゃんと学校も通わせて、受験勉強もさせて、こちらは仕事をセーブして一緒にいる時間を作り、子どもたちが寝静まってから、残った仕事や作業に取りかかる。
そのうえで「体験格差」だって?勘弁してくれ、と思う。
人の子育てのことは、ほっといてくれ、とも思う。
なんというか、子育てほど「将来のために今こういう投資をするべき」という論法が通じやすい世界はない気がする。
「今のうちにこういう勉強を」「今のうちにこういう体験を」という言説が飛び交い、親はそれに日々振り回されている。
何を隠そう、ぼく自身がそういう親になっていた。
それについては後悔してもしかたないし、それぞれの考え方だから、何が良いとか悪いとかではない。
それはそれで頑張ったと思う。30代と40代、ちゃんと子育てに取り組んできたと思う。
そのうえで、ぼくはすっかり飽きてしまった。
やるだけやったから、とも思うし、やっぱりこの考え方だけではつまらない。
じゃあ、どうするのか。
そもそも、ぼくはもうすぐ50歳。
これまでのような体力も集中力もない。
一方で、子どもたちはいよいよ大人になっていくタイミングだ。ぼくはそろそろ積極的に「子ばなれ」していきたいと思う。
子どもから遠ざかるという意味ではない。
ただ、「子育てする親」と「子育てされる子」という関係性から、自立した人間同士の関係性へと、自分自身のとらえ方を変えていきたいと思うのだ。
距離感を変えていく
最近、上の子が急に進路を変えたいと言いはじめた。
高校3年生の大事な時期に、である。
親子で色々と話したし、周りの人たちにも助言をもらった。
そして結局、本人の意志は変わらなかった。
ただ、ぼくは彼が自分の進路について主張した時点で、なんとなくわかっていたような気がする。彼はもう出発してしまったのだ。
自分の人生という、終わりのない探求の旅に。
そんな人間に対して「将来のためにこんなことをしておくべき」なんて言う権利が誰にあるだろう。
彼は茫洋とした「将来」を生きているのではない。
自分が決めた方向に、自分で歩きはじめている。その歩みは「いま」なのだ。
これはすごく良いきっかけだと思う。
ぼくが自分から「子ばなれ」しようとしなくても、ちゃんと子どものほうから自立を始めている。
ぼくができることは、彼を邪魔しないことだ。
一人の自立した人間として、敬意を持って接することだと思う。
もちろん、おかしいと思うことは伝えるし、まずいと思ったら注意するけど、それは親子でなくても同じことだ。
とにかく、そうやって、せっかくもらった「子ばなれ」の機会をちゃんと生かしたいと思う。
じゃあ「子ばなれ」したら、どうするんですか、という話だが…。
別に、何かが大きく変わるわけではないと思う。
むしろ、これからが一番楽しい時ではないだろうか。
お互いのイヤなところも恥ずかしいところも知り尽くした者同士の、自立した関係性がやっと始まるのである。
人と人のあいだには、その関係性に応じて適切な距離感があると思う。
親と子であっても同じなのだろう。
親は老いていく。
子は成長していく。
関係性は変わるのは当たり前だ。
まあ、そんなことはずっと昔から、誰もが知っていたはずなんだけれども。
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(2026/8/3更新)
【著者プロフィール】
著者:いぬじん
ブロガー/エッセイスト。
広告会社でコピーライターの仕事をしていたが、態度が悪すぎて左遷されたのをきっかけに、2012年からブログを書きはじめる。人生についてあれこれ悩み続けるのが趣味。WEBメディアや書籍への寄稿も行っている。その後も、態度は特に良くなっていない。
ブログ:犬だって言いたいことがあるのだ。
Photo by:Jordan Whitt




