今からどうでもいい話をします。
私の人生は、割と大きなレベルで、忍者ハットリくんによって変わりました。
忍者ハットリくんといっても、アニメ版や原作ではありません。
ハドソンから発売されていた、ファミコン版の「忍者ハットリくん 忍者は修行でござるの巻」の話です。
皆さんご存知ですか?ファミコン版の忍者ハットリくん。
ハットリくんを操作して、ひたすらゴールへと突き進む横スクロールアクションゲーム。
世間的には、ハットリくんのお父さんであるジンゾウが、ゴールにたどり着いて喜んでいるハットリくんに対して、大量のチクワに混ざって容赦なく鉄アレイを投げまくってくるゲームとして著名だと思います。
落ちてきた鉄アレイに直撃しても一瞬動けなくなるだけで済むハットリくんの耐久力半端じゃないとか、
そもそもチクワが好きなのはハットリくんじゃなくて獅子丸だろなんでハットリくんがチクワ与えられてるんだよとか、
ハットリくんが好きなのはハンバーガーだろハンバーガーなげてやれよジンゾウとか、
ハットリくんのジャンプ鋭角過ぎだろどんだけ高速で落ちてくるんだよとか、
色々細かい突っ込みはないでもないんですけど、まあ私好きだったんですよこのゲーム。
「呂布は鉄アレイで思い切り頭を殴ると死んでしまう(参考)」というWebにおける故事成語があるのですが、鉄アレイが何度頭に直撃しても殆どノーダメージで済むハットリくんの耐久力は、少なくとも呂布以上だと言って良いでしょう。
で、このゲーム、割と大きな地位を占めるアイテムとして「巻物」というものがあるんです。
ゲーム中、ハットリくんは12種類の忍術を使うことが出来るんですが、「巻物」を取るごとに使える忍術が増えていくんですよ。
忍術を使うと、ハットリくんはすげえパワーアップします。移動速度が2倍になったり、水の上を歩けるようになったり、敵をすり抜けられるようになったり。
この、「様々なバリエーションでのパワーアップ」って物凄い楽しくって、このゲームを好きだった主要な理由がこれだったんですが。
巻物を取るごとに、ゲームが広がる。
ファミコン小僧として、私が「巻物」に魅せられたことについては、みなさんご納得いただけると思います。
ちょうど似たような時期に、同じくファミコンで「忍者くん」も遊んでおり、こちらでも得点アイテムとして「巻物」は登場していました。
「忍者くん」も私大好きでして、後々の「忍者龍剣伝」や「忍者じゃじゃまるくん」「怪傑ヤンチャ丸」「シャドウダンサー」なんかも含めて、散々忍者ゲーを遊び倒していたわけなんですよ。
そこには、いつも、「巻物」がありました。
で、何をどう間違ったのか、私、ここでちょっと嗜好をこじらせまして。
つまり、「いつか巻物を実際に触ってみたい」という、強い憧れみたいなものを育ててしまったんです。
ちょっと思い込みの強いところがある私にとって、これは「将来」を考えるのに十分な動機でした。
私、当時の学校の先生に、こう聞きました。
「先生、僕本物の巻物に触りたい」
先生はこう答えました。
「本物の巻物は、大学で研究とかに使われてるから大学に行かないと見れないよ」
そうか、巻物は大学にあるのか。じゃあ大学にいかないといけないな。
ひどく短絡的に、私はそう考えました。
今から考えてみれば、この時先生は、学習態度がちゃらんぽらんだった私に対して、一つの短期的な動機づけとしてこのようなことを言ったのではないかと思います。
単に「巻物を触る」というだけの目的であれば、他にも幾らでも手段はあった筈なんです。そこを、「大学」という具体的な目標ポイントに限定させてきたことについては、それなりの作為を感じます。
とはいえ、「だからちゃんと勉強しないとね」などと余計なことを言わなかったことについては、子どもの扱い方をよく知っている先生だったと言わざるを得ないでしょう。言われていたらへそを曲げていたかも知れません。
私はこの時、単に「巻物は大学」という短絡的な関連づけを脳裏に刷り込むに留まり、以降「将来したいこと」には大抵「巻物の研究」と書くようになりました。
勿論、「巻物の研究をしたい」ということが、24時間頭の中にあった訳ではありません。忍者ゲームばっかりやっていたわけではありませんし、そこそこ趣味は多い方でした。
10000メートルを走る時も、ダライアス外伝で全国スコアに挑戦した時も、私は巻物のことを忘れていました。
ただ、小さな頃の思い込みというのは恐ろしいもので、何かしら進路を選択する時には、その都度ふいっと、私の頭の中に「あ、巻物が」という言葉が出てくるのです。
高校の時文系理系を選択した時も「巻物があるしな」という理由で文系にしましたし、古文や漢文をそれなりに頑張って勉強した時も「巻物読むのに必要だしな」と思っていましたし、大学で文学部を選択した時も「巻物だからな」とごく当然のように決めました。大学に行く積極的な理由も、突き詰めれば「巻物に触るため」でした。
この、「巻物かそれ以外か」という選択の時には、本当に頭の中に何の疑問も迷いも沸いてこないのです。恐ろしい話です。ある意味自己洗脳と言って良いと思います。
そして、大学3年にあがった時、私はついに本当に、「巻物」に対面し、実際にそれを紐解くことになりました。
その研究室は「国語学研究室」と言いました。正式には、「文学部言語文化学科 日本語日本文学(国語学)専修課程」 という長ったらしい名前なんですが、皆「国語学」としか呼んでませんでした。
国語学というのは、日本の古い文献を元に、現在の日本語の成り立ちとその在り方についての研究をする学問です。
その研究室の書庫には、古い書物特有の匂いがぶわっと詰まっており、最初入った時、私は何回か目を目をしばたたかせました。
始めて実際に触れることになった巻物は、平安時代の装飾経を鎌倉時代に写経したもの、だったように記憶しています。私はこの時、「紐解く」という言葉が文字通りの言葉なのだと、生まれて初めて知りました。
夢がかなった鮮烈な感動、みたいなものは正直それ程なかった様に思います。
当時の私は、巻物が実際にはどんなものなのかを知っていましたし、古い時代の文献には木簡や竹簡、ないし今の本と同様に綴じられた書物の方が一般的にみられることも知っていましたし、巻物と忍術には本来殆ど関連がないことも知っていました。
忍者が巻物を加えて忍術を使うのは講談の中だけの話でした。
ただ、すげえなー、と思ったことは覚えています。
目の前にあるものは、実際に700年だか800年くらい前に書かれたものなんだ、と。
日本の数知れない「巻物」イメージの、まさにそれ自体なんだ、と。
積もりに積もった数百年の時間を、そのまま飲み込んでいるんだ、と。
まあ紆余曲折ありまして、私は最終的には、書物の体裁をした「唐大和上東征伝(参考)」の研究をすることになりましたので、初志貫徹したかと言われると難しいところがあるのですが。何にせよ、「巻物触りたい」という子どものころの夢を実現したことについては、私はそこそこの自負を持っています。
つまるところ私は、ファミコンで遊んだ「忍者ハットリくん」から、ずっと「巻物に触りたい」と言い続けて、それをとうとう大学まで引っ張り続けました。
このことから私が学んだことは3点あります。
・子どもの憧れとか、指向の原動力というものは何をきっかけに発生するか分かったものではない
・大人から見て理解出来ない憧れであっても、将来案外有益なものに繋がるかも知れない
・だから、子どもが傾倒している遊びとか憧れというものは、長い目で見守ってあげた方がいいかも知れない
今のところ、しんざき長男はプラレールや電車旅に強く傾倒しておりまして、将来は東急に入って運転手になるんだと固く決意しております。これが彼の色んなモチベーションに繋がっている節もあり、まあ暖かく見守っていきたいと思う次第なのです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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