ちょっと昔話をします。
何度か書いたことがありますが、私は昔、近所の小さな補習塾で塾講師のアルバイトをしていました。
補習塾というのは、要は「学校の成績が悪い子をサポートする為の塾」でして、受験の為に通う進学塾とはだいぶ性格が異なります。
当然ながら塾に通う子たちは勉強が苦手な子ばかり、とはいえもちろんいろんなグラデーションがありまして、家庭の事情も様々なら、本人の特性も様々でした。
塾講師のアルバイトを通じて、私は随分いろんな子を見ました。二行以上の文章が読み取れない子もいれば、割り算の意味をどうしても理解してくれない子もいて、当時はひたすら試行と錯誤を重ねて、勉強を教えるやり方を考えたものでした。
今から考えると貴重な経験でしたが、当時はさすがに相当しんどくって、ストレスでハゲないか心配でした。
そんな中で一人、今でも強い印象が残っている子がいます。仮に名前をAくんとしましょう。
Aくんは当時小学5年生、主要4科目はほぼ全滅で、特に国語と算数が厳しい状態でした。
親御さんは中学受験を勧めたかったようなんですが、ちょっと成績的に受験を検討出来る段階にない、ということで、進学塾の前段階として補習塾に来られた形でした。
私、Aくんを教え始めて、すぐに「あれ?」って思ったんです。何がって、彼、「言葉でのやりとり」だとめちゃくちゃ勉強出来そうに思えたんですよ。
これは一般化してしまっていいと思うんですが、勉強が苦手な子は、自分の「わからない」を言語化出来ません。
例えば「4 – 9/16」 という計算が出来なかった場合、その原因は「分数の理解が不十分」「通分の概念がない」あたりから「桁下がりが出来ない」「そもそも引き算が出来ない」まで様々で、どこからやり直さないといけないかを探り出さないといけないんですが、「どこがわからない」ということを明確に表現出来る子は、まあ殆どいません。
大抵の場合、「この問題、どこがわかんなかった?」と聞いてみても「・・・・・・・・・・・・」となってひたすら沈黙が続いてしまうので、本人のプライドや心理的安全性をケアしつつ、少しずつ前段階の問題にシフトしていくのがもっぱらだったわけです。
これ自体は全然珍しいことではなく、「どこがわからないのか」なんて説明出来ないことが普通で、大人にだって簡単なことではありません。
ところがAくんの場合、言葉でのやりとりだと、するするっと「分数じゃない数字から分数を引くとどうなるのかわからない」と言えるんです。
つまり、「分数」というものが何なのかはなんとなく分かっているが、「分数」と「整数」を行き来する概念がない。
「整数を分数で表現するとどうなるのか」「通分、帯分数とは何なのか」あたりを解決すればいい、ということが簡単に理解できるので、マインスイーパーがあっさり終わります。
勉強に関するコミュニケーションがちゃんと出来ているんですね。これ、一般的には「すごく勉強が出来る」子の特徴です。
勉強に対するスタンスもわりと前向きで、モチベーションも低くはない。今まで出来なかった問題が出来るようになると目を輝かせて感動してくれて、本当「なんでこの子が成績悪いんだ?」と思いました。
ところが彼、「プリント」や「テスト」という形だと全く出来ない。問題が解けないというよりそもそも読み取れていないというか、集中力がまるで発揮出来ないようで、言葉のやりとりだと解けた問題、ほぼそのままでも「テスト」形式だと全然解けなくなるのです。口頭で解けた問題が、紙だと解けない。不思議ですよね。
実を言うと、「もしかして視力か?」とはすぐに思い当たりました。
勉強をする上で「視力が悪くて字が読みにくい」というのは、子どもにとって大変なストレスで、学習が覿面に妨げられます。
「眼鏡が合っていなかった」というだけの理由で文章読解が出来なくなった子を見たことも、左右で視力が違う為に問題を読み違えまくっていた子を見たこともあります。
子どもの視力って落ちる時も急で、しかも本人的には「それが普通」であって「見えにくい」ということを説明出来ない場合もあるので、フォローが行き渡らないことも多いんですよ。
ところが、Aくんのご両親に聞いてみると、視力を疑ったことは親御さんもあって、視力検査や屈折検査では全然問題がなく、乱視や斜視の傾向もないというんですよ。正直「???」と思いました。
結論を先にいってしまうと、問題は「明るすぎ」でした。彼、光に対する感覚が過敏だったんです。
明るい照明の下で白い紙を眺めているとちかちかとしてしまって、全然式や文章が頭に入っていなかったようなんですね。
視覚過敏というそうで、当時は知らなかったんですが、そんなに珍しくない症状だったようです。
気づいたきっかけはちょっとしたことでした。Aくん、塾の講義室だとぱちぱちと、やけに頻繁に瞬きをしていたところ、廊下で話している時はそんなに瞬きをしないんです。
古い雑居ビルで廊下は薄暗く、一方講義室はきちんと明るくしてあるので、「もしかしてまぶしいのか?」と。
そこで、試しに別の部屋で、光量を抑えて、ついでにプリントの紙もわら半紙(最近見なくなりましたが)に変えてみると、嘘みたいに集中力が続くようになって、今まで読み込めていなかった文章がちゃんと読めるようになった。
そこで初めて、本人も「まぶしくて読みにくかったかも」ということに気付いたようなんですね。
悪いことに、彼が通っていた小学校の校舎の建て替えと、彼自身の勉強部屋が用意されたことが重なって、「子どもの視力が落ちないように」明るい環境を整えたことが逆に裏目に出てしまっていたと。
結局学校や眼鏡屋さんに相談して、子ども用の遮光眼鏡を作ってもらって少しずつ成績も回復したと、そんな経緯だったわけです。
本人にとっては「それが普通」なので、自分でも違和感を表現出来ないし、何に困っているかを説明することも出来ない。何か不具合はあるんだけど、それを可視化することが出来ない。
Aくんくらいちゃんと「言語化」が出来る子でもそうなってしまうわけで、「困りごとを言語化して他人に伝えることが出来ない」状況って全然珍しくないんだなあと、私が学んだのがこの件でした。
***
なんでこんな話を書いたのかというと、最近仕事上で「明らかに困っているんだけど、自分でもその状況をうまく言語化出来ていない・可視化出来ていない」という状況にある人を複数観測したからです。
例えば、仕事上明らかに不要なフローを抱え込んでしまって、手が回っていないのに「そのフローは不要だ」と気付いていない人だとか。参考に出来る資料がたくさんあって、基本的な部分はそれをちょっと応用すれば済むのに、一生懸命一から考えようとして大苦戦している人だとか。
共通点として、自分では「そういうものだ」と思っているので、自分が苦境にある理由を可視化・言語化出来ていない、そもそも自分が苦境にあることに気付けていない、という点でした。
先日、安達さんがこんな記事を書かれていました。
「困っている人を助けることが、必ずしも良い結果を生むとは限らない」というお話ですね。私、これは非常にもっともな話だと思ったんです。
ただ、安達さんは「仕事で困っている人を見かけたらどうするのでしょう。」という問いに対して、
1.まずは目を離さない
2.本当に困っていそうなら「助けを欲しているかどうか」を聴く
3.助けを求められたら「何を助けたらよいか」を確認する
4.当人の力量を超えた事態であれば、介入したほうが良い場合も
という4点を挙げられているんですが、私に関して言うと、この前にもう二つ、「「困っている」ということを言語化出来ているかどうか確認する」「言語化出来ていなかったら言語化に協力する」という段階があってもいいかもな、と思ったんです。
当たり前のことですが、まず「自分は困っているんだ」ということに気付かないと、「助けを求めるかどうか」を判断することも出来ません。
「困っていますよね?」と聞かれても、「なんのことですか?」となってしまいます。特に問題がないと思っているところ、「助けてあげようか?」と言われても、それはまあ戸惑ってしまいますよね。
「他人の助力」を「余計なお世話」と感じてしまうケースも、半分くらいはこの状態だと思うんですよ。
これ、実際のところ全然珍しいことではなくって、私自身直近「コーヒーの淹れ方に明らかに困っているのに自分が困っていることに気付いていなかった」という状態を経験しています。
誰にでも起こり得ることなんですよね。まあ、「コーヒードリッパーを知らない」という状況が誰にでも起こり得るかどうかは分かりませんが。
コーヒードリッパーを知らなかった四十代男が、火傷せずにコーヒーを淹れるまで
以前にも書いたことがありますが、「自分が何を知らないのか」を知るのはとても難しいことです。
なにしろそこには、知識を求める為の「とっかかり」というものがない。知識量ゼロの状態だと、「自分には何が分からないのか」が分かりません。
そういう意味では、「困っていますか?」「助けは必要ですか?」と聞く前に、「自分の苦境を言語化出来ていますか?」と確認してみることはそれなりに有益なんじゃないか、マネジメントって「言語化に協力する」という側面もあるんじゃないか、と。
そんな風に思った次第なのです。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
Photo:Tachina Lee