最近身の回りで「自責思考」という言葉が流行っているので、それについて少し考えたことを書きたいと思います。
言いたいことは、以下の3点です。
・個人において:「自責思考」というのは「いつなんどきも自分が悪い」と考えることとは違う。「この状況で自分に仮に何かできる/できたとしたら何があるかしら」と考えて状況や自分を向上させるための思考のことでは。
・組織において:上位者が上位者たる義務を怠って、「自責思考」を口実に部下に責任を押し付けたり搾取するようなことがあってはならないなあ、気をつけよう。
・もう少し話を広げると:「自責思考」を始めとする「圧倒的に正しそうでそれ単体には反論しづらい大きな概念」を持ち出して搾取する構造を作ってはならない。マネジメント側は気をつけるべきだなあ。
ではそれぞれ書いて参ります。
自責思考は「自分が悪いと思え」とは違う
「自責思考が大事」という話を最近よく聞きます。
文字通り、「すぐ人のせいにしないようにしようね」という感じですね。
基本的には良いな、と思っています。すぐに人のせいにして文句ばっかり言っても、大体いいことないですからね。
ただこの「自責思考」について、勘違いが発生しやすいな、と思うことがあるのです。
というのも、「自責思考」=「自分が悪いと思うべし」と解釈されているのではと思うことが。
「自分が悪い」とするのは(少なくともそれだけで終わるのは)、一見美徳のような気がしなくもないですが、それは「自責思考」の本来意味するところではないと思いますし、自分を苦しくさせちゃう思考法だなと思うのです。
例えば、仕事で何かミスが発生したとします。
それは自分が社内の他部署の担当者と進めている仕事だったのですが、他部署の担当者が自分が伝えた内容を勘違いしており、ミスにつながりました。
ここで、「はい!私が悪かったです!ごめんなさい!」ととにかく謝ったり、「あ〜自分が悪かったな〜」としみじみ思うことは、良い自責思考でしょうか。
たぶん違いますね。
それだと何にもなりません。特に学びも成長もなく自己肯定感が下がるだけです。ミスもまた起こりそうですね。
私が思う「自責思考」は、
・「自分が悪かった」とただ単に自らを責めることではなく、
・「あの時自分が仮に何かできたとしたら何ができただろう?そして今から自分は何をすべきだろう?」と考えてみよう
という、モノゴトを前に進める考え方、自分を成長させる考え方です。
また「自責思考」と、「責任の所在は全て自分にあると考える」ということは全く別の話だと思っています。
前述した通り、「自分にももっとできたことがあったな。次回からは、自分は●●のように行動を改善してミスの確率をより減らそう」ということは考えた方が良いと思います。これは私が思う「自責思考」です。
しかし、それとは別の話として「この今回のミス単体については、相手の責任によるところが9割以上よね」ということはあり得ると思ってますし、そう認識すること全く悪いことではないと感じます。
むしろ、次に向けた改善をよりよく行うには、「私が悪かったよー!」で終わらせるのではなく、「今回の責任の所在」の認識を当事者間ですり合わせたほうが良い(ことが多い)ように思います。
ここまでが、「自責思考」を「自分が悪いと思い込むこと」としてしまうといいことないよな〜と思っている、という話でした。
組織において:「自責思考しなさい」って人に言って逃げてない?
で、次なんですけど、
上司的な立場の人、要はマネジメント側が「自責思考しなさい」って部下に言いまくるのって、場合によっちゃ危険なこともあるなと思ったんですよね。
原則スタンスは「自責で考えよう」は良いと思うんです。
ただ、「それは自責思考が足りないよ~」「自責思考しようよっ★」
みたいなフィードバックばかりになるのは、時としてはそれこそマネジャー側が「自責思考してない」状態なんじゃないかなーと。
例えばこんなことがありました(知り合いから聞いた話にフェイクを入れて書いています)。
ある会社で営業職を務めるAさんは半年前に中途で入社をしたメンバーです。
成果を出そうと一生懸命に働いていましたが、なかなかパッとした成果が出ません。
Aさんだけでなく、部署全体としても目標未達の状況が続いています。
原因は明快で、進捗管理や引き継ぎなどがなされていないことで、効率が低い状態だったのです。
過去の販売実績もきちんと残っていないため、リピート可能性があるクライアントに適切なアプローチができていないということも多く発生していました。
このままの体制で進めても成果は上がらないと感じたAさんは、上司に現在成果が出ていない理由と、今後どうすべきと考えているかをまとめて上司に提案・相談しました。
しかし、「成果が出ていない理由を今までのやり方のせいにするなんて、自責思考が足りない」と逆に叱られてしまいました。
Aさんとしては建設的な提案をしたつもりでしたが、上司としては、今までのやり方を否定されたような気持ちになったのでしょう。
また、成果を上げるための上司へのいくつかの手助けの依頼も「自責思考が足りない、もっと自分でどうすれば良いか考えろ」と却下されてしまいました。
このケースは一つの例でして、この文章だけからでは、Aさんが正しく上司が悪いのか、本当のところはわからないというのはもっともな話です。
ただ、「自責」を言い訳に、「部下に対して必要な手助けや助言をしていない」ということはないでしょうか。
「自責思考が大事」という言葉で、体良く部下の不満を押さえ込もうとしてはいないでしょうか。
「圧倒的自責思考がある人を採用します」という言葉で、入社したメンバーに必要な手助けをすることを怠ってはいないでしょうか。
もちろん場合によるとは思います。
ただ「自責思考」自体が使いやすい概念なだけに、マネジメント側は「自責思考」という言葉を言い訳にしないよう注意する必要があると思うのです。
「良さげな概念」で思考停止させて/していませんか?
前段では、組織において「自責思考」を強調することで弊害が発生し得る可能性について、書きました。
どうしてこのようなことが起こるか、もう一段視点を上にあげて考えてみると、これは自責思考が「圧倒的に良さげで反論しづらい概念」であることに端を発するものではないかなと思うのです。
例えば会社のビジョン・ミッションや、行動規範、クレド、などと呼ばれるものなどは、だいたいこれに当たりそうです。
「自責思考」に留まらず、「常に挑戦しよう」「スピード感を持とう」「お客様のために行動しよう」のような何かしらの「圧倒的に良さげで反論しづらい概念」は、場合によっては、人を苦しくさせたり、思考停止させたり、搾取したりするものになり得ると感じます。
もちろんそういった大義名分や行動規範を掲げてモチベートすることは、同じ目標達成のためにはとても効果的かつ大事なことだと思いますし、それ自体を否定してしまうことは筋違いだと思います。
ただただ、「良さげな概念」「良さげな言葉」が人を搾取したり、人をがんじがらめにして苦しめるものになってしまわないと良いなあと思ったのでした。
私も気をつけます!
今日は以上です!
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【プロフィール】
滝沢頼子
1991年生まれ。大学卒業後、UXコンサルとベンチャー2社を経て、現在はフリーランスとして幅広く活動中。
上海に2回住んだことがあり、中国に関する情報発信、視察アテンドや講演なども行っている。
神楽坂とワインとももクロが好き。
ウーパールーパー、カピバラなどの目が離れている生き物に似ていると言われがち。
ブログ:たきさんのちゃいなブログ
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note:たきさん
(Photo:Brian Siewiorek)