「ウチの会社、ビジョンがないんだよね」
八重洲の居酒屋で、隣のサラリーマンらしき男女が話をしている。カウンター席なので、彼らの話は嫌でも聞こえてくる。男性が先輩、女性が後輩で、どうやら彼らは営業の帰りのようだ。
「やっぱりさあ、ビジョンのない会社でずっと働くのは無理だよね〜。上も何をしたいかよくわかんないし、オレ今、転職を考えているんだよね〜。もっと将来性のある会社にさ。」
女性はじっとそれを聞いている。
「あーあ、こんな会社だったら、◯◯に入っておくべきだったよ、内定出ていたのにさ。」
女性は黙って聞いていたが、先輩への配慮を見せておくべきだろう、とでも考えたのか、相槌をうつ。
「えー、すごいですねー、◯◯に内定もらってたんですかー、なんでウチの会社に来たんですか?不思議です。」
「そりゃさ、あの時はウチの会社のほうが将来性がある感じがしたんだけどね……」
「へえ、どんなところですか?」
「やっぱり、IT業界が盛り上がってるように見えたし……あと会社説明会が良かったかな。」
「会社説明会は、たしかに私もいいと思いました。」
「でしょ?」
「ですね。」
男性は意見を受け入れてもらったことが嬉しいようだ。
女性はビールをちびちび飲んでいた。
「でもなんでビジョンがないって、思ったんですか?」
「この前、経営計画の説明会があったでしょ?その時に「2020年ビジョン」が発表されたじゃない。覚えてる?」
「憶えてますよ。確か「存在感のある会社になる」とか「グローバルにマーケットを求める」とかそんなやつ。」
「あんなの全然ピンとこないじゃない、どこの会社でも言ってそうなことをビジョン、って言われてもねえ……あんなもの、ビジョンでもなんでもないよ。もっと具体的で、自分の中に入ってくるようじゃなきゃ。」
男性はいかにも困った、という様子で首を振った。
「そうですね……でも私はビジョンを押し付けられるのはイヤです。あの程度で良いんじゃないかな、とも思います。」
「え、なんで?」
「私、会社に具体的なビジョンなんて要らないと思うんです。その時その時で会社の状況なんて変わるでしょ?」
「……」
「ビジョンなんて、個人で解釈して勝手に頑張ればいい、っていう程度のものだと思います。むしろ私、押し付けがましいビジョンなんて大嫌いだし。理念を唱和させられるような会社じゃなくて本当に良かったと思ってます。」
「えー、でもビジョンがない会社って、不安じゃない?将来どうなるのかわかんないし。」
「会社なんて、言うことコロコロ変わりますって。また数年経ったらビジョンも変わるでしょ。」
————–
経営にビジョンが必要か、と言われれば、意見は割れるだろう。
それによって不安が解消される人もいるが、「押し付けがましい」と感じる人もいる。
ただ、「ビジョン(笑)」と言われるようなビジョンが多いのも事実だ。
それは、とりあえずビジョンの作成を外注したり、社員をあやつるための「ツール」としてビジョンを利用している「底の浅い経営」が社員に見ぬかれている、ということでもある。
社員は会社を実によく見ているのだ。
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