世の中には、「論破したい人」「論破したがる人」「論破してしまう人」というものが存在します。

 

辞書を引くと、論破という項目には、「議論して相手の説を破ること、言い負かすこと」であるとあります。

議論を、勝ち負けで捉える人。何か意見が相違した時、まず「相手の意見が間違いであると認めさせること」「相手を言い負かすこと」を目的にしてしまう人。議論を通して、自分が相手や周りよりも上であることを示したくなる人。

 

webでは非常に頻繁に観測できる光景ではありますが、これらの例は、現実世界でも決して珍しい人たちではありません。あなたの身近に、「論破したい人」はいますか?

いちいち「論破したい人」と記載しているとちょっとタイピングが面倒なので、以下、これらの人たちをスーパー論破人と呼称したいと思います。文字数がむしろ増えてる?気のせいです。

 

スーパー論破人の特徴

私は、これら、スーパー論破人な人たちがちょっと苦手です。

私が今働いている職場には、数人のスーパー論破人がいます。

スーパー論破人に対して「違った意見」を提示すると、まずはその「マウントを取ろうとする意欲」に驚かされます。

単純な事実誤認の指摘であれば問題はないんですが、「そこは単なる意見の相違、考え方の違いではないか」という部分にこだわり、あの手この手で「誤り」を指摘しようとする。そして、「これは誤りだ」という部分をロックオンすると、そこが意見の中核かどうかには関係なく、とにかくその部分の「誤謬」を追及し、自分の「正しい意見」で置き換えようとする。

それがどうも、彼らにとっては「多面的な検討」であり、「有益な議論」であるようなのです。

 

別に統計があるわけではないのですが、webにおいては、こういったマウント合戦が非常に可視化されやすい状況であるように思います。とかく、webにおける「議論」というものは、弱点の指摘、あらさがしに終始しがちです。その際は、本来あるべき「この議論はこういうテーマについて考える為のものだよ」「筆者は本来こういうことが言いたかったんだよ」という部分は置いてけぼりにされるのが専らであり、どちらかというと枝葉、場合によっては末節の部分まで、弱点発掘合戦が繰り広げられる場合が多くあります。

何故枝葉の部分が追及されるかというと、彼らにとってそもそもの目的が「相手より自分の方が正しいということを証明すること」であり、議論の中核の部分はそこまで重要ではないからです。

ただ、私の感覚では、それは単なる言葉のぶつけっこ、あるいは説伏合戦なのではないかなー、と。それをそもそも議論と呼ぶのかなー、と。

 

それは果たして「議論」なのでしょうか

議論とはそもそも「勝ち負け」を競うようなものではなく、何らかのテーマに関して知見を出し合って、その知見を積み上げて、そのテーマに沿った新たな結論・アイディア・あるいは新たな問題提起を導出する為に行うものだと、少なくとも私は考えています。

建物を登る為には、階段が必要です。新たな知見を見出す為には、意見と意見のずれが必要です。「同意」だけで終わってしまっては、そこから先の知見を得ることは出来ません。

なので、意見のずれ、考えの違いは、議論においてとても重要なものです。その「違い」は何故発生するのか。その「違い」が示すものは何なのか。そういったことを突き詰めることが、すなわち「議論」なのであって、間違っても「どちらの意見が勝っているのか」ということを決める為にやるようなものが「議論」ではない。少なくとも私はそう思っています。

 

しかし、どうも世の中には、

「意見には優劣と、「間違った意見」というものがあり」
「「間違った意見」を「正しい意見」で正すことが議論であり」
「「相手の意見が間違っている」ということが認定されれば、議論は勝ち」

と考える人が、それなりの数いるようなのです。

仮に「俺の方が正しい」「相手が間違っている」ということを相手に認めさせることが出来たとして、そこに何か新しいもの、新しい知見は生まれるでしょうか?「自分が相手に対してマウントをとれた」ということ以外に、何かメリットはあったのでしょうか。

 

勿論、もしかすると、「自分が相手に対してマウントをとれた」ということが、貴重なこと、重要なものである場合もあるのかもしれません。

しかし、それは少なくとも、「議論によって生まれた新しい知見」ではない。それによって得られたものは単なる立ち位置のやり取りであって、それによって失われたものは「もしかすると生まれていたかも知れない新しい知見」。そして、場合によっては、その相手との「話し合いたい」という意欲すら失わせてしまうかもしれません。

 

私の職場にいるスーパー論破人たちが現在得ているものは、「彼らと意見調整しようとすると色々面倒だから決定事項だけ伝えよう」という、ある種の諦めの空気です。

それがWebだろうと、現実だろうと。議論で何かを生み出したいなら、「論破」してはいけない。

相手との意見の違いを大切にして、そこから何かを突き詰めようとしないといけない。

私はそんな風に思います。

 

【お知らせ】
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。


<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>

第6回 地方創生×事業再生

再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは

【日時】 2025年7月30日(水曜日)19:00–21:00
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。

【今回のトーク概要】
  • 0. オープニング(5分)
    自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
  • 1. 事業再生の現場から(20分)
    保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
  • 2. 地方創生と事業再生(10分)
    再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
  • 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
    経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
  • 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
    「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
  • 5. 経営企画の三原則(5分)
    数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
  • 6. まとめ(5分)
    経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”

【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。

【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)

 

【プロフィール】

著者名:しんざき ←名前をクリックすると今までの記事一覧が表示されます

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて
書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

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