小さなころから文化系一筋の地味なわたしは、ゲームや音楽や小説や映画が大好きで、とにかく学校が終わればすぐ家に帰る子どもだった。
中学生のころ、母に強制的に入らされた運動部を半年ほどで辞めた。想像に易いが、帰宅部の中学生にロクな奴はほぼいない。
わたしはただひとり図書館に通いつめ、小説をよく読むようになった。そしてその小説が映画化されていることを知ると、帰りにツタヤに寄ってDVDを借りて家で観る。そんな思春期だった。
いつしか映画監督を志していたわたしに決断のときが訪れたのは、高校3年生の春。17歳だった。
「日本映画大学」という映画の単科大学が次の春から開校するらしかった。前身は三池崇史監督やバカリズムさんを輩出した日本映画学校だ。
そのニュースは当時、わたしにとってまたとないチャンスのように思えた。父と母は反対もせず、「お前の行きたいところへ行け」と話す。
高校はそもそも進学校でなかったので、進路に関することは野放しだ。周りは受験勉強に勤しむ子もいれば、専門学校や指定校推薦でさらりと決めてしまう子もいた。
それに、幸い比較的勉強をしてきたほうだったので偏差値での悩みはなかった。つまり「行く」と決めれば、行ける感じだったのだ。
しかしわたしは臆病だった。将来が決まってしまうことを、怖がった。映画監督になりたい気持ちは本当だ。
でも、撮ったことも演じたこともないわたしに、何ができるだろうか。映画監督になれなかったとき、わたしに何が残るだろうか。仕事に就けなかったらどうしよう。就けたとしても辛くて苦しかったらどうしよう。
誰かの才能を目の当たりにして、夢が夢でなくなってしまったらどうしよう。
そうしてビビッて、映画大学への道を自ら閉ざした。それから普通に受験生をして、結局マンモス大学の私立文系学生になった。時は流れて、わたしは今インターネットの世界で編集の仕事をしている。
17歳のとき、映画監督の夢を追いかけなくて本当によかったと思う。きっとそのまま生きていたら、サハラ砂漠までバックパッカーで行く19歳にはなれなかっただろう。
日本全国をめぐる20歳の温泉ライターにもなれなかったし、22歳で結婚もしなかった。たぶん。
どちらがよかったかは当然判断がつかないが、あの狭い視野のまま映画の世界へ飛び込んでいたら、すぐに折れてしまっていたと思う。わたしにはこれしかない、と自分で自分を追い詰めてしまっていたと思う。
今からでも映画監督をやろうと思えばやれそうなことを、わたしは頭の片隅で気づいている。
いつだって何かをするのに遅くないことを、17歳の当時は知らなかった。後回しにすることだって、いつかは自分にとって正解になることがあるのだと考えている。
わたしが母になり、子どもの夢がそんな夢物語だったらどうだろう。いまの経験則でいえば、ふつうに進学しろと反対すればいいだろうか。
いいやわたしは、自分の母がそうしてくれたように、「お前の好きにしなさい」と言ってやりたい。
自分の選んだ道が正解かどうかではなく、自分の選んだ道を正解にすることが強さだと思うから。
(2024/12/6更新)
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著者:ながち
とあるWEBニュースの編集者。
過去に全国をめぐる温泉ライター、受注型オウンドメディア運営、旅行情報誌の編集など。
ウイスキーと温泉と大河ドラマをこよなく愛する、23歳の既婚者。
Twitter : https://twitter.com/1001log