「自由にやっていいよ」って言われて、結果を出せる人は本当に仕事ができる人だ。これはガチである。
なぜなら「自由」と言うのは、とても強力だが使いこなすのが難しい、例えればRPGの終盤に出てくる、「うまく使うとすごい強いんだけど、デメリットの大きい上級者向けの武器」だからだ。
実際、この「自由を使いこなすスキル」は、かなり個人差があり、「勉強ができる人」だからといって自由を満喫できるとは限らないし、かといって「オレは縛られるのが嫌だぜ、自由に生きるぜ、ヒャッハー!」って言っている人が必ずしも自由を使いこなせているわけでもない。
そういった人々は「自由」に見えても、実際は誰かの考えた型にとどまっていることも多い。
必然的に、「自由」は2極化を生み出す。
そもそも、「自由」とはなんだろうか。
19世紀の功利主義者、ジョン・スチュワート・ミルは「かつて、自由とは、政治的支配者の専制から身を守る事を意味した」と述べた。*1
したがって、国を愛するひとびとが求めたのが、支配者が社会にたいして行使できる権力に制限を設けることであった。そしてこの制限こそ、彼らの言う自由の中身であった。
この解釈によれば、自由とはそもそも権力に対するアンチテーゼとして定義されており、本質的には自由だけが独立して存在するものではないとされている。
だが、時代は移り変わり、自由の意味合いも変わった。
ミルは最終的に、「自由とは本人が望むことをすること」としている。すなわち「自由にやっていいよ」とは、「あなたが望むとおりにやっていいよ」という意味である。
*1
だが「本人が望むこと」はそれほど自明ではない。
たとえば、あるサービス業の会社で目標管理制度を導入したときのことだ。
この会社は会社から与えられる目標以外に、「自己目標設定」という制度があり、自分で自由に目標設定をして良い、ということになっていた。
そしてそのミーティングに出席していた私は、上司と部下のやり取りを見せてもらっていたが、以下のようなやり取りだったと記憶している。
「じゃあ、これで成果と、成長に関する目標設定はおしまいだな。ところで最後に、上半期の自己目標は、どうする?」
「うーん、考えてみたのですが、あまり思いつきません。」
「本当になんにもないのか?」
「逆に、本当に何でもいいのでしょうか?何かやってはいけないことってあるんでしょうか?」
「仕事に関係のあることだったら。」
「あいさつをしっかりする、とかでもいいんですか?」
「お前、そんな小さいことが目標なのか?」
「挨拶が大事っていつも上の人は言うじゃないですか。」
「そりゃそうだが……。」
「考えてもよくわからなかったので……これで良いです。」
彼は「自由にやっていいよ」と言われたにも関わらず、「普段上司から言われていること」を勝手に目標にしていた。もちろんそれを選択するのは「自由」だ。
ところが一方、その後に行った「できる社員」への面接は上とは全く異なった様相になった。
「最後に、上半期の自己目標は、どうする?何か考えてきたか?」
「もちろんです。」
「ほう。ぜひ聞かせてくれないか。」
「はい、仕事において私がやりたいのは「人脈作り」です。」
「ほう、なぜ?」
「うちは既存顧客とのつながりが非常に強く、八割の売上を既存顧客が占めています。でもそれでは、徐々に利益率が下がりジリ貧です。今後、新規顧客開拓に力を入れるべきですが、いきなりのお取引は難しいでしょう。」
「うむ。」
「そこで今のうちに、新規顧客獲得の見込み客を積極的に拡大しておこうと思います。具体的には……」
自由にして良い、と言われたとき、前者の「あいさつ」を選択する人は全く自分の頭で考えることができていない。もし「すべてが自由だよ」と言われても、彼に大胆な目標は作れないだろうし、「自由なのは困る」と上司に言いそうである。
逆に後者の「人脈」を選択した人は自ら事業の可能性を考え、行動を導きだし、最適となるように動くことができる。むしろ既存の目標という枠組みを与えず、好きにやらせたほうが、さらなる高みを目指すためには良いのかもしれない。
このように「自由を使いこなすスキル」は個人差が大きい。
「自由」とはそれを使いこなす能力の低い人物にとっては迷い、不安定、そして恐怖の対象である。
逆に高い能力を有する人物にとっては、主体性、野心、開放などを意味する。
そして、高い能力を有する人物は自由を使いこなしてさらなる自由を手に入れ、能力の低い人物はますます自分で自分をを制限し、規制し、枠の中にとどまろうとするだろう。
結局のところ「自由市場」「自由競争」「自由主義」「自由権」など、すべて自由は、その対価すなわち責任、能力、思索、勇気などを人に要求する。
周知の通り、現代は自由を使いこなすスキルが高ければ高いほど得をするシステムとなっている。
だから、「自由」は2極化を生み出す。
自由とは誠に取扱いの難しいシロモノである。
(2025/6/16更新)
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第4回目のお知らせ。
<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第4回テーマ 地方創生×教育
2025年ティネクトでは地方創生に関する話題提供を目的として、トークイベントを定期的に開催しています。
地方創生に関心のある企業や個人を対象に、実際の成功事例を深掘りし、地方創生の可能性や具体的なプロセスを語る番組。リスナーが自身の事業や取り組みに活かせるヒントを提供します。
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【ゲスト】
森山正明(もりやま まさあき)
東京都府中市出身、中央大学文学部国史学科卒業。大学生の娘と息子をもつ二児の父。大学卒業後バックパッカーとして世界各地を巡り、その後、北京・香港・シンガポールにて20年間にわたり教育事業に携わる。シンガポールでは約3,000人規模の教育コミュニティを運営。
帰国後は東京、京都を経て、現在は北海道の小規模自治体に在住。2024年7月より同自治体の教育委員会で地域プロジェクトマネージャーを務め、2025年4月からは主幹兼指導主事として教育行政のマネジメントを担当。小規模自治体ならではの特性を活かし、日本の未来教育を見据えた挑戦を続けている。
教育活動家として日本各地の地域コミュニティとも幅広く連携。写真家、動画クリエイター、ライター、ドローンパイロット、ラジオパーソナリティなど多彩な顔を持つ。X(旧Twitter)のフォロワーは約24,000人、Google Mapsローカルガイドレベル10(投稿写真の総ビュー数は7億回以上)。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
ご視聴登録は こちらのリンク からお願いします。
【お知らせ】Books&Appsで広報活動しませんか?
・安達裕哉Facebookアカウント (安達の最新記事をフォローできます)
・編集部がつぶやくBooks&AppsTwitterアカウント
・最新記事をチェックできるBooks&Appsフェイスブックページ
・ブログが本になりました。