すぐに頭の良くなる方法、ありませんか?
そう聞かれたら、どう答えるだろうか。
もちろん、ちょっと考えれば「そんなものはない」と言う人が大半だろう。
頭の良さは、スポーツ選手のパフォーマンスと等しく、才能と努力によって得るものであり、インスタントに得られるものではない。
だから、「すぐに頭の良くなる方法、教えますよ」と言われたら、その人は悪意を持っている人と思っても良いくらいだ。
だが「頭の良くなる方法はない」というのもまた間違いであって、適切なトレーニングと、ある程度の時間さえかければ、スポーツと同じようにそれなりの結果を出すことができるようになる。
頭を鍛えるのは楽しい
一般的に「学校における勉強の記憶」が残っているためか、「頭を鍛える」という行為に対しては偏見も多い。
・おもしろくない
・つらい
・くるしい
頭を鍛える、と言われて、そういったイメージを持つ人も多いのではないだろうか。
だが、必ずしもそうとはいえない。
運動するのが大きな喜びを人にもたらすのと同じく「頭を鍛える行為」は人に大きな喜びをもたらす。
「フロー体験」の提唱者である米国クレアモント大のミハイ・チクセントミハイは次のように述べる。*1
人生の幸せは、何も感覚だけを通して得られるわけではない。最も素晴らしい体験のいくつかは感覚的な能力よりも、むしろ思考能力に挑戦をしかける情報を手がかりとして、心の中に生じる。
フランシス・ベーコン卿が四百年近く前に気づいていたように、驚き−知識を生む種子−は喜びの最も純粋な表れである。
思考力を鍛えること、それ自体が人に強烈な喜びをもたらすことが知られている。
そして、「頭の良い人」の本質は、その喜びを知り尽くしていることにある。
「考える事」はとてつもなく楽しい行為であり、頭の良い人は、それを知っているがゆえに、ますます頭が良くなる。
仕事が楽しいのも、作品を作るのが楽しいのも、文章を書くのが楽しいのも、「外部の刺激に溺れるのではなく、能動的に頭を使うことが楽しい」と思える感覚を持てばこそである。
したがって、
「どうやったら頭が良くなるか?」を問うよりも
「頭を使うことが楽しい」と感じるような体験を追い求めるほうが、遥かに「頭を鍛える」ことに対して有効である。
どうしたら「頭を使うのが楽しい」と思えるか?
では「頭を使うことが楽しい」とどうしたら感じるだろうか?
上述したチクセントミハイは、まず「記憶を蓄積すること」を主眼に置くように勧める。
人間の知性が文字で記録され始めた時代に遡ると、最も高く評価された知的才能は洗練された記憶力であった。
(中略)たとえば、何人かの最も創意に富んだ科学者は、音楽や詩、または歴史についての情報を幅広く記憶していることで知られている。
物語や詩、歌詞、野球の統計、科学の公式、数学の運算、歴史の日付、聖句、格言を記憶できる人は、このような能力を洗練していない人に比べて多くの利点を持っている。
このような人の意識は環境がもたらす秩序の有無にかかわらず独立しており、常に自分自身に喜びを与え、心の中にあるものに意味を感じることができる。
「知識」は、頭脳を鍛えることの最初の一歩、思考の出発点、料理で言う素材のようなものである。
素材が悪ければ、如何に料理人の腕が良くとも、出来上がる料理は今一つとなってしまう。
仮に、一枚の絵の前に立っているとする。
何も知識がない場合は、その絵について引き出せる情報は限られている。線、陰影、色、配置、そういった視覚的情報だけだ。
ところが、上に加えて画家の人生、画家の主張から時代背景、ライバルとの人間関係、絵に関して行われたマーケティング、当時の人々の反応などを余さず知っていればどうだろうか。
目の前には絵画の視覚的情報の他にも、遥かに豊かな世界が立ち上がってくるのがわかるはずだ。
例えばパブロ=ピカソという世界的に有名な画家がいる。彼の絵は美術の教科書などで見たことがあるだろう。
一見メチャクチャな、彼の絵がなぜ評価されたのか?
一つの説として十九世紀にダーウィンが発表した進化論により、「変化」=「向上」という概念が初めてうまれ、革新性が評価されたことが挙げられる。具体的には
・フランス近代美術の審美眼が「前衛」を良しとしたこと
・アメリカに誕生した現代美術の殿堂がピカソの作品を評価したこと
により、ピカソの作品は爆発的な人気を博した。*2
そういった知識を得て、あらためてピカソの絵を見るとどうだろう。ピカソ以前の絵画との比較、ピカソの画風の変遷、当時の画壇の状況などがいきいきと想像でき、より作品を楽しめる。
「頭を使って絵画を楽しむ」ことを憶えたひとは、更に様々な知識を身につけ、より絵を楽しむことができるだろう。
この行為が「頭を鍛える」という行為だ。
知識を得て「統制感」を得る
知識を得ることにより、我々は一種の「統制感」を得る。
以前にも記事の中で述べたが「統制感」、すなわちコントロールをしている感覚は人間にとって極めて重要なものだ。
人間はコントロールへの情熱を持ってこの世に生まれ、持ったままこの世から去っていく。
生まれてから去るまでの間にコントロールする能力を失うと、惨めな気分になり、途方に暮れ、絶望し、陰鬱になることがわかっている。死んでしまうことさえある。
(ハーバード大 社会心理学教授ダニエル・ギルバート*3)
この「統制感」を得る体験を一度得てしまえば、人は知識に貪欲になり、ますます「頭を使った遊び」にのめり込む。
そして、その領域に対するある一定の知識が蓄積したとき、
・知識間の普遍的な共通因子を見出す
・知識の類似性を見出す
・知識の新しい組み合わせ、すなわちアイデアを生み出す
などの「知的な活動」が可能となる。
子どもたちは同じ本を繰り返し記憶するまで読む。
大人にとっては「なぜ同じ本を繰り返し読むのだろう」と不思議な事であるが、実は子どもたちは「自分の予想の範囲のことが起きる」ことをささやかな統制感として楽しんでいるのである。
「ここで悪いネコさんがでてくる、でてくる、ほらでた~」
と言った言葉は、子どもたちが統制感を楽しんでいることの証だ。
我々は「知識を記憶し、それをもとに思索すること」によって知的になりうる。
良い文章を書きたければ、本を読み、ブログを読み、ニュースを読み、とにかく膨大なインプットをし、さらに自らの中でそれらを醸成し、整理し、規則性を発見し、それをアウトプットして確かめる。
そういった「知的な遊び」の中で、我々は「頭が良くなる」のだ。
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