話題作であるララランドをみてきた。
率直に言って、これはかなりとっつきにくい作品だ。正直作りは相当にマニアックだと思うし、これが一般向けにヒットしているってのはちょっと驚きである。
実際、あの映画をみても全然よくわからなかったって人も多いと思うので、今回はあの映画が何を描きたかったのかについて書いていこうかと思う。
古典は古臭くて見る気がおきない・・・を覆す
ララランドはミュージカルとジャズというちょっと古い娯楽を題材とした作品だ。これらは昔の娯楽が少なかった頃は、一大ジャンルとして成功していたが、現代ではどちらかというと好事家が好むタイプの娯楽である。
僕たちはちょっと古くさい娯楽を楽しむのが苦手だ。
ゲームだって今更ファミコンをやろうと思うような人はかなり少数派だろう。選べるのならばみんな、ニンテンドースイッチのゲームで遊ぶ。ファミコンのゲームに最新のゲームにない素晴らしいエッセンスがいくらあろうとも、それをわざわざ読み解きにいこうと思うような人はほぼ皆無といっても間違いではない。
本作で出て来るミュージカルとジャズもこの状況と非常に酷似している。
どちらも素晴らしい文化であり、そこには素晴らしいエッセンスが沢山詰まっている。だけど僕たちはそんなものには見向きもしない。というか何がいいのかよくわからないのだ。
けど、この映画を最後まで見切ると、その素晴らしさがどういうものかがちょっとだけわかるようになる。以下映画の構図を書きながらその事を追って説明しよう。
ララランドの構図
本作の男性主人公は、古き良きアメリカをこよなく愛するタイプの人間だ。こんな時代に古臭いアメ車に乗ってる。そしていまは死につつあるジャズという音楽をこよなく愛している。
彼は世間一般での成功よりも、自分をキチンと理解してくれるただ1人の女声の為に生きるのを選択するようなタイプの人間だ。
一方女性主人公の方はというと、男主人公とは結構対称的な存在だ。世界的な娯楽としてのし上がったハリウッドで働く事を夢としているし、乗ってる車はプリウスである。
男性主人公と比較して、アメリカという文化への執着はそこまで強くない。ただ本物を見る目を備えており、劇中で男主人公がレストランで弾いたジャズミュージックの素晴らしさを、ただ1人だけ見出すというキレイな感性の持ち主である。
気がついた人もいるかもしれないけど、男主人公はトランプ大統領が保護しようとしている”古き良きアメリカ人”を象徴している。
これに対して、女主人公はシリコンバレーやウォール街、ハリウッドといったグローバル的に成功した現在のアメリカを牽引している“アメリカの本当の上位層”を象徴している。
結局最終的に男主人公と女主人公はくっつかなかったのだけど、これはちょっと前まではこれら新旧2つのアメリカ人は、ほどよくよき隣人同士として上手く付き合えてきたけど、これからはお互いを尊重しつつ別々の道を歩むようになるのかもしれないという今後のアメリカの未来を描いているのかもしれない。
なんでジャズとミュージカルなのか
本作がたびたび劇中にジャズとミュージカルを入れるのは、これらが本当に凄くいいものを持っていると作品監督が心の底から思っており、それを何とかして人に説明したかったからだろう(構図的にはハリウッドや現代音楽がニンテンドースイッチに相当し、ミュージカルやジャズがファミコンに相当する)
さっきも言ったけど、僕たちは古臭い娯楽はどちらかというと好まない。そこに素晴らしいエッセンスがあろうが、それを読み解く労力がおきないのだ。
この映画が凄いのは、ジャズとミュージカルの素晴らしさをたったの2時間で観客にある程度理解させる事に成功している事にある。
この映画、はっきりいって初めの方は結構退屈だ。冒頭のミュージカルとか全然グッとこないし、ジャズも別になぁ・・・って思った人がほとんどだろう(劇中でもレストランで男主人公が弾いたピアノのジャズミュージックは、観客の心を全く打っていない。僕達の心もそんなに打たなかったはずだ)
それがラストシーンで一気にこの構図が覆される。一年前にレストランでやったときは見向きもされなかった男主人公のジャズミュージックは、2時間の映画という時間を通す事で、僕たち観客に全く違った感性を呼び起こす。
そしてそれを彩るのは古臭い芸術であるミュージカルだ。あんなにクソほどにもつまらなかったミュージカルなのに、この物語をみてしまった後で最後のあのミュージカルをみると、不思議な事にこちらの心を物凄くうつのである。
こうしてジャズとミュージカルという衰退しつつある2ジャンルの素晴らしいところを、たった2時間この映画を見ることで観客に理解させるという部分に監督の強烈な手腕がみてとれる。これはちょっと普通の才能では表現できない。
なおこの物語だけど、個人的には監督であるデミアン・チャゼルによるスコット・フィッツジェラルドのグレート・ギャツビーの21世紀における再解釈がベースになってるんじゃないかと思う(グレート・ギャツビーはアメリカを代表する文学作品だ。村上春樹をはじめとして、この作品に強烈な影響を受けた作家は結構多い)
ララランドに感銘を受けた人は、是非ともグレート・ギャツビーも読んで欲しい。
そこにはアメリカ人の持つ喪失に対する綺麗な感性が詰まっている。ララランドがアメリカで受けるのも、グレート・ギャツビー的な感性がアメリカ人の心を打つからだろう。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
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・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki
(Photo:Pieter van Marion)