「商売は卑しい」、「金儲けは悪だ」という考え方は依然として存在する。最近では欧米の影響なのか、「金儲けは立派なことだ」とする人も増えてきたが、依然として「儲けること」を忌避する人も数多くいる。
なぜ日本人は「商売は卑しい」と考えるようになったのだろうか。そして、それはいつから始まったのだろうか。
その一つの回答を、新渡戸稲造が著した「武士道」という書物に見ることができる。
余談であるが、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という有名な一節は、この書物ではなく江戸時代に発行された「葉隠」という書物の一節であり、新渡戸稲造の著作とは関係ない。新渡戸稲造の「武士道」は日本人ではなく「外国人」に、宗教を持たない日本人がいかに倫理観や道徳律を身につけるかを説明するために書かれた本である。
閑話休題、この本には「なぜ商売が卑しいとされたか」について、次のように説明されている。
”人の世の中におけるあらゆる立派な職業の中で、商人と武家ほどかけ離れた職業はない。商人は社会的身分階層としては士農工商の最下位に置かれていた。サムライは(中略)銭勘定ごとと、算盤は徹底して忌み嫌っていた。
私達はこの社会階級の序列の底にある知恵を知っている。
モンテスキューは、貴族を商業から締め出すことは権力者に富を集中させないための褒められるべき政策である、と明言した。権力と富の分離は、富の分配をより平等に近づけることに役立った。
『西ローマ帝国最後の世紀におけるローマ社会』の著者であるディル教授は、ローマ帝国衰微の原因の一つは、貴族が商業に従事することを許可し、そのためにごく少数の元老とその家族が富と権力を独占したことにあったことを私達の前に明らかにした。”
この文からわかるように、「商売が卑しい」とされたのは、主として「富と権力の分離」が目的であった。これは日本における特色であり、当時のヨーロッパが富と権力の集中を目指す「絶対王政」であったこととは対照的である。
当時のヨーロッパが内乱と革命に明け暮れていたことを考えると、江戸時代という300年近くにわたって内乱のない平和な世の中の礎となったのは、『富と権力の分離』という考え方であってもおかしくない。
日本において、1945年に戦争が終結してからからまだ60年程度である。江戸時代はあと200年、戦争がなかったのであるから、大変よい世の中だったのだろう。昔の人々の知恵を現代にも活かすのであれば、「企業経営と政治」は分離すべきであるし、「富の偏在を防ぐ」という事に対して不断の努力を続けるべきであろう。
そういうことを何となしに考えると、「商売は卑しい」と考えることは、あながち間違っているわけではないと言える。
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