大阪府の高校で、教師が生徒に黒染めを強要したことが問題になっている。

大阪府立高3女子、髪黒染め強要で府提訴

が生まれつき茶色なのに学校から黒く染めるよう強要され、精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校3年の女子生徒(18)が府に226万円の損害賠償を求め、大阪地裁に提訴した。27日にあった第1回口頭弁論で府側は請求棄却を求めた。

その高校では、地毛が明るい生徒にも黒染めを強制し、生徒が頭皮の痛みを訴えても姿勢を変えなかった。

しかも「黒髪でないと学校行事には参加させない」「金髪の外国人でも黒染めさせる」という趣旨の発言をしている、なかなかの強硬派である。

 

この出来事は多くのメディアで取り上げられたが、わたしは「校則の正当性」や「黒髪信仰の是非」にはあまり興味がない。

この件について記事を書くことに決めたのは、「人には人の事情がある」という当然のことについて、いま一度考えてみるべきだと思ったからだ。

 

自分にとっての「当然」と他人にとっての「当然」

昔、部活の朝練に遅刻してくる子がいた。毎日毎日、である。

遅刻してくる子は、毎日すまなそうに謝ってくる。それでも次の日、また遅刻する。

 

下級生が朝練の準備をしなくてはいけないので、人数が減ると、ちゃんと時間通りに来ているわたしたちの負担が増える。

 

ある日、彼女はいつものように遅刻し、いつものように謝ってきた。

腹に据えかねていたわたしは、「起きられないなんて言い訳じゃん」と言ってしまった。

 

その子はなにも反論せず、ただ「ごめんなさい」と言うだけだった。

 

そう言ってしまったことを、わたしは10年経ったいまでも、ものすごく後悔している。

 

わたしは早起きが苦じゃないし、うちの家族もみんな朝が早い。だから、「起きられない=怠惰」だと思っていた。

でも大学生になり、友人の家に泊まったり友人同士で旅行をするうちに、「朝が苦手な人は本当に起きられない」ということを知った。

 

わたしが同棲しているパートナーもそのタイプで、仕事だとちゃんと起きるくせに、休日だと何回起こしても起きない。

そして毎週末、寝すぎてしまったことを後悔する。

 

わたしは朝4時起きでも5時起きでも寝過ごしたことがないから、「だれだって目覚ましをかければ起きられる」と思っていた。

でも実際に「起きれない人」と一緒に暮らしてみて、「自分にとっての当然と他人にとっての当然はちがう」という、当たり前のことに気づいたのだ。

 

みんなができることを、できない人

毎日朝錬に遅刻していた同級生が、起きるためにどれだけの努力をしたか、わたしは知らない。

 

もしかしたら、ただ自分に甘いだけなのかもしれない。

それでも、目覚ましを5個使っても起きられないのかもしれない。

 

後者なら、その子はきっと、遅刻するたびに罪悪感を感じていただろう。「なんで自分はできないんだ」と自分を責めながら、みんなに謝っていたはずだ。

 

もちろん、遅刻する方が悪い。人に迷惑をかけたら謝るべきだ。

ただ、朝起きられないなら、そのぶん放課後練の準備をがんばってもらうとか、ちゃんと話し合って対策や処置を検討することだってできた。

 

わたしはその子の事情をまったく考えることなく、自分の「当然」を押し付け、一方的に責めてしまった。

わたしも他の子たちも、「あの子は遅刻する子」として、見放してしまった。

 

その子と特に仲が良かったわけでもないのに、わたしは自分が言った一言を、ずっと後悔している。

その子が本当に自分の力では起きられないような体質だったとすれば、責めるのでも見放すのでもなく、寄り添うべきだったんじゃないか?という後悔だ。

 

この大阪府の高校生のニュースを見て、わたしはその子のことを思い出した。

地毛が明るいこと、黒染めすると頭皮が痛むことなど、その子なりの言い分・事情がある。

だがまわりが耳を貸さなければ、ただの「協調性のない子」になる。

 

「自分にとって当たり前であること」ができない人間に対し、人は時として、無意識に残酷になってしまう。

 

できない人に「やれ」と言っても意味がない

世の中の多くの人は、社会が求める「当然」をこなすことが出来る。朝だって起きれるし、必要とあらば髪を黒染めできる。

 

その一方で、社会のルールや規則、慣例などをちゃんと理解したうえで、「それでもどうにもならない」ことだってある。

そこでいくら、「黒髪が当然だから染めろ」「朝早くおきて朝練に来い」と言っても、できないのだから仕方ない。

 

たとえ100人中99人が当然のように黒髪をしていても、時間通りに来れるとしても、それができない人がいるのであれば、それに理解を示さなくてはいけない。

そしてできれば、「じゃあどうするか」を一緒に考えてあげるべきだ。

 

大多数の人は目が見えるが、目が見えない人だっている。

大多数の人は歩けるが、自力では歩けない人だっている。

わたしみたいにマンゴーアレルギーの人だっているだろう。

そこに「なんで」「合わせろ」と言っても何にも変わらない。

 

「どうやったらお互いにとってストレスがなくなるか」という道を探そうとしなければ、少数派を追い詰めるだけになってしまう。

 

大阪の高校の例でいえば、もうちょっと女生徒の事情に理解を示してもよかったと思う。

もし「どうしても黒髪でなければならない」というのなら、一緒に編入先の高校を探すとか、やり方はあったのではないだろうか。

 

他人の事情を慮り、理解を示すことを、「思いやり」もしくは「人の心に寄り添う」などと言い表す。それは、人間として忘れてはいけないことだ。

 

あなたも、過去のわたしと同じように、誰かに対して「なぜできないんだ」と思ってしまうことはないだろうか。

相手が話す事情を「言い訳」だと決め付けて、跳ね除けてしまってはいないだろうか。

 

これを機に、自分の思い込みがだれかを追い詰めてしまっていないか、考える必要があるのかもしれない。

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
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(2025/6/2更新)

 

【プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

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