H先生の話をします。

 

H先生は、私が小学校3年から4年の時に担任を持ってもらった先生です。

男性で、眼鏡をかけていて、体格はそこそこ良くて。多分当時、30代後半から40代くらいだったのだと思います。気さくで、笑顔が多くて、授業中でもちょくちょく雑談をしては、クラス中を笑わせるような先生でした。

 

ちなみに、この記事で「巻物を触る仕事をしたい」という素っ頓狂な発言をした私に対して、「大学でなら触れるで」という適切な方向付けをしたのはそのH先生です。

私の人生において、ある意味かなり重大な影響を与えられた先生でもあります。

 

私が子どもの頃ですので、今の小学校とはまた色んな事情が随分違うとは思いますが、H先生がクラスで慕われていたことは間違いありません。

小3から小4くらいの小学生というのは本当に難しくて、面倒くさくて、一歩間違えると先生の言うことなど全く聞かなくなります。

その点、私のクラスは、先生の話を聞かないということもなく、かといってクラスがしーんとしているということもなく、休み時間には先生をグラウンドに引っ張り出そうとする生徒も多く、相当上手く運営されていました。恐らくH先生も、色んなところで細やかな配慮をされていたのでしょう。

 

なにせもう30年近く前のことですので、正直ディテールは曖昧なのですが、私がH先生について覚えていることの中で、こんなことがあります。

 

クラスの中に、とても忘れ物が多い子がいました。

「宿題をやったけど、そのノートを忘れる」というのはいつものこと。教科書を忘れることもあれば、定規を忘れることも、体育館履きを忘れることも、筆箱を丸ごと忘れることもありました。

 

ちょこちょこ忘れ物をするというのはよくある話ですが、「ちょっと常軌を逸しているな」とは、なんとなくクラスの他の生徒からも思われていたのでしょう。

その子自体、元々口数が少ない子だったこともあり、クラスの雰囲気はかなり微妙でした。いついじめが発生してもおかしくない、みたいな状況だったかも知れません。

 

そんな中、ある時先生がこんなことを言い出しました。

「悪い、先生出席簿忘れた。出席とれんわ今日」

ええーーー、とクラスが騒ぎました。先生なのに!と笑う子もいました。

 

「いや先生、忘れ物多いんだよなあ。みんなどうやって忘れもの気を付けてんの?」

先生も忘れものをするものなんだ!!ということは、小学生にとってそこそこ衝撃だったように思います。

当然のことながら、その時以降先生には「忘れんぼキャラ」という属性が付与され、例えば先生の「忘れものノート」を作ったり、忘れ物をした時の罰ゲームを考えたり、ホワイトボードにその日持っていくものを書いて渡したり、クラスは色々と盛り上がりました。

 

その一方で、件の「忘れ物が多い子」についての微妙な空気は、そのうちなくなっていました。よく覚えていませんが、その子の忘れ物自体、だんだん改善していったようにも思います。

今にして思えば、ほぼ間違いなく、先生の「忘れ物」は単なる「振り」だったのだと思います。そもそも出席簿なんて家に持ち帰るものなのか、という点も怪しい話でして、取りに戻れば済みそうな気もします。

 

その上で、先生は、「今のクラス状態なら、「忘れ物属性」を自分が引き受けても統率は取れる」ということを、その時計算されてその振りを行ったのだろう、と今では思います。

自分の弱点を生徒に提示するというのは結構なギャンブルであって、場合によってはそこで生徒が先生をなめてしまうこともありそうに感じます。

敢えて博打を打って、それできちんと成果を挙げてしまう辺り、タイミングやらなにやら、私が当時気づかなかった工夫も恐らく色々とされていたのでしょう。

 

以下は、ずっと後になってから知ったことです。

 

確か、私が高校くらいの頃、たまたま出身小学校に遊びに行く機会があって、その時まだ残っていた先生に聞いたのだったと思います。

 

H先生は、我々の担任を持つ何年か前、今でいう学級崩壊に近いことを経験されていたようなんです。

先生が何か言っても、皆話を聞かない。先生が発言する時に限って、狙ったように大騒ぎする。宿題をわざとやってこない。最近時折聞くような、授業中に立ち歩くというようなことがあったかどうかは知りませんが、まあかなり荒れた状態だった、ということは聞きました。

学級崩壊というのは90年代後半くらいから聞くようになった言葉のように記憶していますが、まあその前からそれに相似した状態はあったということなのでしょう。

 

当時は、今でいうサポートの先生やらが入ってなにやかや、収拾しようと尽力したけれど、結局その学年が終わるまで問題は収束しなかったらしく。当然ながらH先生も、その時散々ご苦労をされたし、挫折も味わったのだと思います。

生徒が自分の話を聞かない、という状況は、先生にとって地獄です。先生に対するクラス全体のいじめ、と言ってしまってもいいでしょう。

 

あの気さくで、笑顔が多くて、生徒からしょっちゅう遊んでとせがまれていた先生の姿は、先生なりの地獄を潜り抜けてきた後に醸成されたものだったのか。苦労の末に練磨されたものだったのか。

それを知った時、そこそこの衝撃を受けたことを覚えています。

つまり、挫折をしても人間は立ち直れるんだ、ということ。

 

地獄からレベルアップをして戻ってくることも出来るんだ、ということ。

小学校の先生というものも、本当に大変な苦労をしているんだ、ということ。

笑顔の裏に物凄い工夫と努力を隠しているものなんだ、ということ。

 

担任を持ってもらっていた時以上に、この時学べたことは多かったように思います。

 

だから今でも私は、小学校の先生に対して、結構精神的な肩入れをしてしまいます。

先生が何か授業運営で工夫をしていると嬉しくなってしまいますし、頑張った先生は報われて欲しいと強く思います。こんなに頑張っている先生もたくさんいるんだよ、ということを広めたいとも思います。

 

例えば、今長男が担当してもらっている担任の先生も、本当に色んな工夫をされる方で、その工夫についてはまた折に触れて書いていきたいと考えています。

ところで先日、こんな記事を拝読しました。

小学校の時、私のクラスは学級崩壊していた。先生に「優しく」できなかった。

結果、Y先生の療養は長びき、そのまま年度末に退職。

5年生と6年生になるときにクラス替えはないから、副担任がそのまま担任になり、彼女のクラスとして卒業文集が作成され、Y先生はいなかったことにされた。

「ずっと夢だった」と言っていたはじめての教師生活は、きっとY先生にとって、最悪の思い出として残っているだろう。

こちらで描かれているY先生が、あの時のH先生のように、地獄から復帰して、挫折の上に笑顔を乗せられていますように。生徒たちとの信頼関係を築けていますように。

私はそんな風に考えたのです。

 

残念ながら、その後私の人生は、H先生と交錯はしておりません。あの頃お世話になったお礼をすることも出来ておらず、クラス運営の工夫について聞くことも出来ていません。

年齢からすると、既に定年で退職なさっているようにも思います。

ただ、あの後もきっと、時には色々なトラブルを抱えながらも、いくつものクラスの生徒と信頼関係を結ばれ、笑顔の絶えないクラス運営をされていたのだろうと。

そう信じています。

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

 

(Photo:scarletgreen