かつて私は、老人ホームの嘱託医のような仕事を担当していた時期があった。

 

精神科病院で入院治療している高齢者に比べると、その老人ホームの入居者さんは心身ともに健康だった。ただし、彼らに処方されている薬をみれば、その健康が人工的につくられたものなのは一目瞭然ではあったが。

循環器系の薬。白内障や緑内障の点眼薬。抗認知症薬や向精神薬。たくさんの薬によって彼らの健康は守られていた。

年齢が年齢だけに、急性肺炎が命取りになることもあるし、骨折がきっかけで認知症が一気に進む人もいる。それでも彼らの日常は、平穏そのものだった。

 

そうやって、おおむね健康に過ごしている高齢者を頻繁に診察していて、ふと思ったことがあった。

診察を通して私がすべきことの第一は、「健康上の問題を発見し、治療すること」である。だが、第二にすべきことは「あなたは健康ですよと告げること」ではないか?

「大丈夫です。今日もいいコンディションです。」

「いつもの○○さんですね。お元気そうですね。」

「腎臓も血糖値も悪くなっていません。食事はいまのままでいいですよ。」

 

私がこうしたコメントをするたびに、入居者さんの顔はパッと明るくなる。

精神科の診療でもこういう体験が無かったわけではないが、老人ホームの嘱託業務のほうが頻繁に出会う。ルーチンな診察の「大丈夫ですよ」「問題ありません」といった言葉に彼らは敏感で、とても嬉しそうな表情を浮かべたのだ。

 

若い患者さんの場合、ルーチンの診察で、顔はそこまで明るくはならない。

うつ病が完治して投薬不要になったとか、そういった時には相応の明るさが出るのだけど、30代で高脂血症や高血糖が見つかった患者さんを内科的に治療し、異常データが改善したぐらいでは、喜んで貰えないことが多い。

「治って当然」という顔をしている人、関心の無い顔をしている人もいる。あの老人ホームで診ていた入居者さんに比べると、健康であること・無病息災であることに対する喜びが少ない。

 

だから老人ホームで働いていた時のキャリアは忘れがたいものになった。

「年齢が変わると、関心事が変わっていく」

「年を取り、立場が変わると、気持ちも変わっていく」典型例を見たように思えたからだ。

私も高齢者になったら、内科医から「大丈夫ですよ」「問題ありません」といわれるたびに破顔するようになるのだろう。

 

年を取ると、人間は心変わりしていく

年を取り、立場が変わると気持ちが変わっていくのは高齢者だけではない。

たとえば、自分自身のキャリアアップに無我夢中の20代の気持ちと、少し周りが見えるようになってきた30代の気持ちと、後進の育成や組織全体を意識する40代の気持ちは、同じではない。

年齢や立場の変化にあわせて、気持ちはどんどん変わっていく。

 

同じく、親に育てられる立場の子どもと、自分で稼いで自力で暮らすことを良しとしている若者と、子どもを育てる立場の親の気持ちも同じではない。

親になってみて、子どもとの心理的な距離が少しずつ離れていくにつれて初めて心に浮かんでくる気持ちもある。

「親の心子知らず」とはいうけれども、実際、子離れにまつわる気持ちなどは、自分自身の独立やキャリアアップで頭がいっぱいの若者時代には無縁のものである。

 

子育てしていなくても、20代と40代では心は大きく変わる。

20代の頃のような初々しい気持ちには戻れないし、人生が折り返し地点を迎えたという自覚も生まれよう。

若い頃、夢中になって追いかけていた流行が、だんだんわからなくなってくるかもしれない。そもそも、なぜ流行にあんなに夢中になっていたのか、不思議に思えることすらある。

 

「自分とは何か」という悩みに対する答えも、40代にはあらかた出揃っている──今、鏡に写っているその人物が自分自身なのである。40になったら自分の顔に責任を持たなければならない。

 

もし、年を取るにつれて自分の心や気持ちが変わっていくのだとしたら。

20代のあなたにとっての真実と、30代のあなたにとっての真実と、40代のあなたにとっての真実に違いがあるのだとしたら。

いつまでも若者の気持ちのままで年を取っていこうと想定するより、年を取るにつれて自分の心境が変わっていくことを想定したほうが現実的ではないだろうか。

 

近著『「若者」をやめて「大人」を始める。』は、そういう考えに基づいて、20-30代のかたを想定読者としてつくったものだ。

個人主義が浸透した現代社会では、ついつい「若者」に近い目線で人生のプランニングを考えたり、人生の”コスパ”について考えたくなるものでしょう。

つまり、自分自身の成長や欲求こそが重要であるという考え方です。

インターネット上で語られる幸福論や人生論にも、そういった「若者」としての内面や価値観を持ったまま歳を取っていく前提で人生を語ったものを多く見かけます。10代の私の考えも、概ねそのようなものでした。

しかし、「若者」を終えて「大人」が始まってみると、幸福とは何か、人生における価値とは何かといった、議論の土台の部分がひっくり返ってしまうのだと、私は知りました。

同世代を眺めている限りでは、生き生きと活躍している「大人」は、多かれ少なかれ、そのような価値観の転換を経験しているようにもみえます。

若いうちは健康に無頓着だった人でも、高齢者になると健康が喜びの対象になるのと同じように、20代にとっての「人生のベスト」と40代にとっての「人生のベスト」は違っている。

それに伴って、「人生のコスパ」を計算する方程式も年を取れば変わっていく。20代の頃の人生のコスパ方程式のままで40代に辿り着くと、計算の辻褄が合わなくなる。

そう、このツイートのとおりなのだ。若者にとっての勝利条件と中年にとっての勝利条件はイコールではない。若者にとっての敗北条件が、中年には勝利条件かもしれないのだ。

だから、自分がだんだん若者ではなくなってきたら、これから自分の勝利条件がどのように変わっていくのか、自分にとっての人生のベストやコスパがどのように変わりそうなのか、よくよく再検討したほうが人生の次のステージに馴染みやすい、と思う。

 

何歳になっても心が変わるから、年上はいつもお手本になる

人生のベストやコスパの移り変わりを再検討するうえで、避けて通れないのは年上の存在だ。

自分には未経験で、これから新たに経験していくことを、年上の人々は既に経験している。今は自分には無縁の悩みや喜びも、年上の人達ならば知っている。

ということは、年上の人々の生きざまから学べるなら、これから自分が直面するであろう未経験ゾーンについて、ヒントが得られるということでもある。このことを知っているのか知らないかで、人生の難易度はかなり変わるのではないだろうか。

 

もちろん、年上の生きざまが全部自分に当てはまるわけではない。世代や時代の違い、価値観の違いは考慮しなければならない。

それでも肉体的加齢や社会的加齢で共通する部分はあるはずだし、なかには、自分がいかにも進みそうなライフコースを進んでいる年上の先達も見つかるはずだ。

そういう、ロールモデルになりそうな年上を参考にすれば、何歳になっても未経験の絶えない人生を、ちょっとばかりは生きやすくできるかもしれない。

 

20代の頃に20代らしい心で生きるのは素晴らしいことだけど、私は、40代の頃に40代らしい心で生きるのも結構悪くないと思っているし、きっと60代の頃に60代らしい心で生きることにも喜びがあるのだろうと予想している。

年を取るにつれて心が変わっていくことは、恐れるようなものではない。人生というゲームに、新しいステージが追加されたような感覚で、もっと肯定的に受け止めて良いものではないだろうか。

 

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(2019/10/15更新)

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。

twitter:@twit_shirokuma   ブログ:『シロクマの屑籠』

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(Photo:Alex The Shutter)