志にレベルなどあるのか?と思ったが、「論語」の公冶長篇にはそれに関するエピソードが書かれており、ナカナカ面白い。
ある日、孔子は顔淵と子路という2人の弟子と一緒にくつろいで話していた。
孔子は弟子の中でも顔淵を特に愛しており、彼の深謀遠慮と心の敬虔さを高く評価していた。もちろん子路も愛弟子の1人であり、彼の溌剌としたエネルギーはは孔子を喜ばせた。
だが、孔子はいつも、子路について絶えず深い憂いを抱いていた。それは、子路が、いつもその自負心のゆえに、浅っぽくものを見る癖があったからである。彼は道を実行する勇猛心においては門人たちの誰にも劣らなかったが、
その実行しようとする道はいつも、第二義、第三義的なものになりがちであった。
孔子はそういった子路を諭すため、顔淵と子路に質問をすることにした。
「どうじゃ、今日はひとつ、めいめいの理想といったようなものを話し合ってみたら」
子路は「先生!」と呼びかけて言った。
「先生、私は、私が政治の要職につき、馬車に乗ったり、毛皮の着物を着たりする身分になっても、友人とともにそれに乗り、友人とともにそれを着て、たとい友人がそれらをいためても、うらむことのないようにありたいものだと存じます。」
孔子は、子路が物欲に超越したようなことを言いながら、その前提に自分の立身出世を置き、友人を自分以下に見ている気持ちに、ひどく不満を感じた。
そして、顔淵に発言を促した。顔淵は
「私は、善に誇らず、労を衒(てら)わず、自分の為すべきことを、ただただ真心を込めてやってみたいと思うだけです。」
孔子は子路を顧みた。
子路は、顔淵の言葉に何かしら深いところがあるように思った。そして、自分の述べた理想は、それに比べると、いかにも上滑りのしたものである事に気がついて、いささか恥ずかしくなった。
しかし孔子は何も言わなかった。
かなり長い間沈黙が続いた。子路にとってはそれは息詰まるような時間であった。顔淵までがおし黙って、つつましく控えているのが、いっそう彼の神経を刺激した。
彼はとうとう耐え切れなくなって、詰め寄るように孔子にいった。
「先生、どうか先生のご理想も承らしていただきたいと存じます。」
孔子は深い憐憫の目を子路に投げかけながら、答えた。
「わしかい、わしは、老人たちの心を安らかにしたい、朋友とは信をもって交わりたい、年少者には親しまれたいと、ただそれだけを願っているのじゃ。」
この言葉を聞いて、子路は、そのあまりの平凡なのに、きょとんとした。そして、それに比べると、自分の言ったこともまんざらではないぞ、と思った。彼のイライラした気分はそれですっかり消えてしまった。
これに反して、顔淵のしずかであった顔は、うすく紅潮してきた。彼は、これまで幾度も、今度こそは孔子の境地に追いつくことができたぞ、と思った瞬間に、いつも、するりと身をかわされるような気がしたが、この時もまたそうであった。
彼は、自分が依然として自分というものにとらわれていることに気づいた。
先生は、ただ老者と、朋友と、年少者のことだけを考えていられる。それらを基準にして、自分を規制していこうとされるのが先生の道だ。自分の善を誇らないとか、自分の労を衒わないとかいうことは、要するに自分を中心とした考え方だ。しかもそれは頭でひねり回した理屈ではないか。
自分たちの周囲には、いつも老者と、朋友と、年少者とがいる。人間は、この現実に対して、ただなすべきことをなしていけばいいのだ。自分にとらわれないところに、誇るも衒うもない。
彼はそう思って、孔子の前に頭を垂れた。
このエピソードから、2つのことが読み取れる。
1.志のレベルは、物欲の克服⇒自分の克服⇒利他精神という階段を上がる。
2.志のレベルが低い人にとって、それより高次元の志は全く理解できない時があり、理解するためには謙虚さが必要である。
孔子の生きた世から3000年を経たが、未だにその思想は活き活きとしている。
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