メディアに携わる企業のオフィスは、どこも綺麗で、独創的なデザインをしている。
LINE株式会社しかり、講談社しかり、KADOKAWAしかり。編集者さんと相談するべく、それらのオフィスを訪問するたび、田舎者の私は少し気圧された気持ちになりつつも「すっげぇオフィスだなぁ……」と驚くことになる。
オフィスのつくりに気を配っているのは大企業ばかりではない。オフィスシェアリングしている小さな会社の担当さんに会いに行った時も、間取りや壁紙の色遣い、人が集まる場所の机や椅子の配置に工夫の跡がみてとれた。
なぜメディア企業は、オフィスの改築にお金をかけるのだろう?
巨大メディア企業の場合は、対外的な「ハッタリ」という意味合いもあるかもしれない。
ブランドイメージを維持する一環として、社屋の外側やエントランスだけでなく、オフィス内部も磨き上げておく……というのはあってもおかしくない。
とはいえ企業たるもの、利潤が最優先なわけで、オフィスは機能性重視でつくられていると考えるべきだろうし、LINE株式会社や講談社やKADOKAWAの社員の皆さんは、ああいったキラキラしたオフィスで働くことによって、粗末なオフィスで働くよりも良質のアウトプットを生み出せるのだろう。
世の中には、「キラキラしたオフィスなんて無駄だ」という人もいるかもしれない。
でも私は、キラキラしたオフィスをつくる人たちを馬鹿にできないし、アウトプットの質を変えるためにオフィスを改築するのは有意義なことだと思っている。
どうしてこんな話をしているかというと……私が精神科医だからである。
実は、精神科医は空間の間取りにはちょっとうるさいのだ。そのあたりも含めて、お話しにお付き合いいただければと思う。
「精神病院」という空間が「症状」というアウトプットを変える
皆さんは、精神科病院の閉鎖病棟というものをご存じだろうか。
聞いたことはあっても、実際に目にしたことのある人は少ないだろう。閉鎖病棟の出入り口は施錠されていて、開放病棟よりも医療的保護の必要性の高い患者さんが入院しているのが一般的だ。
行動範囲が制限されるぶん、患者さんがストレスを募らせるのではないかと心配する向きもあるかもしれない。もちろん、そういう患者さんもいらっしゃる。
ところが精神科ではそれと正反対のこともよく起こる。
開放病棟ではものすごく具合が悪かったのに、閉鎖病棟に移ったとたん症状が落ち着き、「こちらのほうが居心地が良いですね」とおっしゃる患者さんも少なくないのだ。
さらに閉鎖病棟のなかには、保護室という、個室単位で施錠できる部屋もある。
保護室は興奮して暴れている患者さんにも対応できるよう、非常にシンプルで頑丈なつくりになっているため、「医療用に改造された牢屋のよう」という印象を受ける人もいるだろう。
実際、患者さんを保護室に隔離するのは人権にかかわる問題なので、精神保健福祉法にのっとった手続きを踏んだうえで、最重症の患者さんが一時的に使用する部屋とみなされている。
で、この保護室というのが一層不思議なのだ。
この頑丈でシンプルな部屋に入ると、それまで幻覚や妄想の激しかった患者さんが、ただそれだけで症状が改善することがしばしばある。
焦燥感の強いうつ病の患者さんのなかにも、保護室に入ると気持ちが落ち着き、楽になるとおっしゃる一群がある。
長年、重い症状に悩まされ続けている患者さんのなかには、保護室に入ると自分の精神状態が改善することを知っていて、具合が悪くなってくると「保護室に入れてください」とわざわざ願い出て来る人すらいる。
こと「症状を改善させる」という点に限って言うなら、抗精神病薬や抗うつ薬を投与するより、閉鎖病棟や保護室といった空間を提供したほうが改善が素早いことがある。
このことが、精神医療に摩訶不思議なフレーバーを与えている。
もちろん正反対のことが起こることもある。
保護室や閉鎖病棟では症状がみられなかったのに、開放病棟に移動するや、些細な刺戟で興奮するようになったり、日常生活のセルフコントロールができなくなってしまったり、おさまっていた幻覚や妄想が再燃してきたりする患者さんだ。
このような患者さんを退院に持っていくのは簡単ではなく、大きな課題となっている。
精神科医たちの空間理論
このように精神科医は、「精神病院」という空間のなかで「症状」という患者さんのアウトプットが変化するさまを目撃する機会が多い。
だから空間が人に与える影響に注目し、空間をどのようにデザインするのかに心を砕く精神科医が出て来るのは当然の帰結だった。
空間設計が人に与える影響といえば、思想家のミシェル・フーコーの著述が有名だ。
フーコーは「パノプティコン」「一望監視装置」と呼ばれる、当時の精神病院や監獄で流行っていた空間が患者や服役者にもたらす効果を、かなりえげつない筆致で書き記した。
実際、「パノプティコン」のような空間設計は日本でも流行っていて、私が研修医になった20世紀末にも、それを彷彿とさせる閉鎖病棟がまだ残っていた。
それらはすっかり古くなって取り壊しが決まっていたけれども、昔の精神科医が何を考えて空間をデザインしていたのかを今に伝える、ちょっとした建築遺産でもあった。
時は流れて、21世紀。現在の精神科医も、空間設計にはかなり気を遣っている。
「パノプティコン」は時代遅れになったとしても、ナースステーションと病室の距離・死角をつくるべきか否か、窓やベランダからの飛び降り自殺を防ぐための工夫、などは進化し続けている。
「症状」という患者さんのアウトプットを改善させるための空間が必要とされる限り、これからも精神科医たちは空間をデザインし続け、その効果を確かめることだろう。
できるだけ良い空間でアウトプットに臨め
オフィスの話に戻ろう。
こういった空間意識があるものだから、私は、執筆や取材の関係で企業のオフィスを訪問するたびにキョロキョロせずにはいられない。
太陽光を取り入れる天井。曲線的なデザインの壁紙。雰囲気の異なった大小の会議室。外国産のお菓子や飲み物が取り揃えられた休憩コーナー。煎茶が飲みたくなる和室。どこのオフィスも十人十色で、私の好奇心をくすぐってしようがない。
本当はそういったオフィスをじっくりと眺めまわしたいのだけれど、あまりジロジロ見るのも行儀が悪いと思って、チラチラと盗み見る感じでオフィスを観察する。ついでに人の動きも。
美しいオフィスをゆったりと回遊する社員の方々を眺めていると、「御社のオフィスはアウトプットの出しやすい環境ですか?」などと訊きたくなる(が、もちろん我慢する)。
働きやすいよう工夫が凝らされているのは明らかだからだし、訪問している私自身、そういったオフィスでの打ち合わせやインタビューではアウトプットが冴える気がしてならないからだ。
こうした空間とアウトプットの考え方は、個人のデスク周りや、個人の情報端末などにも適用できる。
ときに、「パソコンはマッキントッシュに限る」と主張する人や「デュアルディスプレイ、それも一枚は縦置きディスプレイの環境でなければいけない」とこだわる人がいるのを見かけることがある。
たぶん、ああいうのもアウトプットの質に直結する問題なのだろう。実際私も、打ち慣れたキーボード、大きくて目にやさしいディスプレイ、座り心地の良い椅子、といった環境が揃っている時のほうがアウトプットは安定する気がしている。
私のこだわりどころは、「ディスプレイの広さは『一度に考えに入れられる範囲の広さ』に直結している」というやつだ。この文章も、いちばん広くて使いやすいディスプレイで書いている。
じゃあ、スマホが全く使えないかといったら……そうとも限らない。いつもの環境で行き詰まってしまった時には、わざとスマホの狭い画面に切り替えて、フリック入力で原稿にチャレンジしてみると、びっくりするほどサクサクと言葉が出てきて仕上がってしまうことがある。
これも「空間が変わるとアウトプットが変わる」の一例だろう。文章作成に詰まった時の奥の手として、わりと重宝している。
まとめ
結局何が言いたいかというと、「人間は、ふだん考えている以上に空間から影響を受けている」ということだ。
空間によってアウトプットが変わり、とどのつまり人間の行動全般が変わるとしたら、空間を設計すること・空間をコントロールすることは、人間を設計すること・人間をコントロールすることに通じている。
だからこそ、メディア企業はオフィスの改築にお金をかけ、精神科医たちは病院の空間設計に工夫を凝らすのだろう。
こうした空間設計は、自分のデスク周りの環境を変えたりPC環境を変えたりすることで、個人でも取り組めるものだ。
そういう意味では、スランプの日にデスク周りの掃除をしてみたり、会社のそばのコーヒーショップにノートパソコンを持ち込んで作業してみたりするのも、案外有意義なことかもしれない。
たかが空間。
されど空間。
皆さんも、良い空間で、良いアウトプットを。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
(Photo:Marcin Wichary)